| JRグループ 冬(12〜2月)の増発列車 国内航空 11〜1月ダイヤ・運賃 津軽鉄道 12月1日(月)ダイヤ改正(冬ダイヤ) 三岐鉄道北勢線 12月1日(月)ダイヤ改正 南海高野線・泉北高速鉄道 11月1日(土)ダイヤ改正 京阪中之島線 10月19日(日)新線開業 京阪本線系統 10月19日(日)ダイヤ改定 「昼行バス」全国主要434路線と、「夜行バス」全国全路線全停車駅収録!! ■JTB時刻表『スパなび』 2008年11月7日(金)発行(臨時号)12/1津軽鉄道ダイヤ改正=<通巻第230号>= ※2008年10月28日(火)発行(臨時号)12/1三岐鉄道北勢線ダイヤ改正=<通巻第229号>= ※2008年10月20日(月)発行(定期号)JR冬の増発列車初掲載=<通巻第228号>= ※私鉄のダイヤ改正については、対応次第、随時臨時号を発行= ※次の月一回定期号発行予定日は、2008年11月20日(木)(本誌12月号発売日)= ※2001年3月8日(木)正午創刊=月一回定期号発行(本誌発売日基準)= ■お知らせ■
■最近の主な改正■……その他の改正や、過去の変更履歴は、末尾の別項を参照
■『スパなび』未対応の、列車運休・時刻変更■
■収録内容■
■補足■
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その102)■ 【真田氏の城 上田と松代】 体育の日3連休を利用して、長野新幹線で信州へ。通勤電車並みに混んだ新幹線は、通勤時間程度であっさり上田に到着。横川の釜飯や電気機関車の後押しの儀式もなく、混んでいて外も見えず、エレベーターの扉が開いたらそこは上田だった・・という風情。 ちょうど昼時で、やっぱりソバ。壁に真田十勇士の絵。次は池波正太郎真田太平記館。柳町、保命水、旧北国街道とたどって、上田城跡公園に向かう。近くの上田中央消防署の最新鋭消防車のナンバープレートが0119なのに気付きうれしくなる。お城は櫓が2つ残るのみ。そんな険しい城でないのに、さんざん徳川秀忠を悩ませたのは真田のいくさのうまさか。新幹線としなの鉄道が見える。じつに近い。 屋代駅前に泊まって、翌朝駅の窓口(しなの鉄道)で長野電鉄(駅舎の反対側にホーム)の切符を買おうとしたら、中を勝手に通って、バスのように降りるときに現金で払ってくれ、とのこと。なんか落ち着かない。ワンマンの2両電車で、松代の次の金井山(かないやま)駅に向かう。降りるとき運賃箱に460円入れる。千曲川の更埴橋を渡り、真っ赤なりんごがたわわな道を2kmほど。いきなり八幡原史跡公園のウラ口に着く。信玄謙信川中島合戦の跡だ。さらに1kmほどで典厩寺。赤い大きな閻魔様。30分に1本のバスをつかまえ、千曲川松代大橋を渡り、松代(まつしろ)駅前に到着。 折良く10月12日(日)は、「松代藩真田十万石行列」の開催日(第5回)だった。駅舎から少し歩いて踏切を渡ると松代城で、イベントも開催していた。お昼にはしこしこウドンを食べて、松代藩文武学校(当日は子供の剣道大会をやっていたため見学無料)を見たのち、その入口で行列を待つ。ここは道が鍵の手で、かつ行列がすぐ先まで行って折り返してくるコース上なので、バッチグー。なかなか本格的な行列で、馬何頭かに、武士・姫・やっこ・忍者まで100人くらいも。地元の女性から、○○さん素敵!!の黄色い声が飛ぶ。 象山神社、旧横田家住宅、歩行者天国、城と歩く。横田家は、前号で書いた横田ゑい(和田英)さんの生家だ。富岡製糸場と、上田〜松代の真田氏の縁に導かれた思いだ。 地元では 六文銭の里「信州・まつしろ」120分の散策 と宣伝している。半日でゆっくり歩いて回れる、上田や松代のような、こじんまりした町が好ましいと思う、今日この頃である。 さて、長野電鉄屋代線は最近まで、開業時の会社の名前を線名としていました。何線といったでしょうか。 ●蘊蓄(うんちく)ニュース バックナンバー● は こちら ■2008年11月1日(土)以降の履歴 (ダイヤ・運賃・新線・新駅・改称・改キロ・工事)■
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(JTBパブリッシング スパなび編集長 石野 哲) ■JR部分のデータは、大型時刻表2008年11月号(2008年11月発行)に基づいています。この時刻データを無断転載・複写や電磁媒体等に加工することを禁じます。(K)97-01-1 ■JR部分以外のデータについても、大型時刻表2008年11月号(2008年11月発行)に基づいています。この時刻データを無断転載・複写や電磁媒体等に加工することを禁じます。 Copyright (C) 2001-2008 JTB Publishing Inc. All rights reserved.
■スタッフあとがき■ ●東海道新幹線の開業以来、その顔として44年間活躍してきた0系の引退が近づいてきた。親せきが東京と千葉にしかいなかったこともあって、列車好きとして恥ずかしながら、初めて東海道新幹線に乗ったのは中学3年、修学旅行の時だった。その時分にはもうJRになっていて、だから私は国鉄時代の0系には一度も乗ったことはない。といって、淋しさを感じないかといえば、それは違う。0系にまつわるいろいろ書きたい話もあるが、それはまだ書くだけの心の整理がついていない。列車や車両というのは、私の場合、いつも思い出や記憶とともにあるが、それが筆を鈍らせる。それでも、0系に過去の記憶を呼び起こす思い出が詰まっているにはちがいない。閑話休題。最近は「鉄道ブーム」だといわれる。本当だろうか。どうもそうではないのではないか。今年3月改正で廃止された急行〔銀河〕の大騒ぎにしろ、JR各社で相次ぐ国鉄型車両の引退に乗りに出かけたり、写真に収めたりする人の多さにしろ、正確にいえば「国鉄ブーム」なのではなかろうか。かくいう私も、国鉄型を愛するひとりである。だんだんと国鉄の面影が消えていって、すべて国鉄型車両が現役から退いた時、自分はまだ鉄道ファンでいられるのかどうか、近ごろとくに自信がない。 (高タカ) ●今月の時刻表には別冊特別付録として、ブルートレインのポスターが付いています。懐かしいのは「いなば」! 私にとっておそらく初めて乗った寝台列車だったでしょう。小学生の頃、夏休みに母の実家がある松江へ遊びに行きました。祖父が帰りの寝台列車の切符を、松江駅へ買いに行ってきてくれたのですが、当時は「出雲」の人気が高く、「いなば」しか手に入りませんでした。帰省先から自分の家に戻って2週間後に、祖父が突然の急死。なぜか集札されずに寝台券が1枚だけ、私の手元に今も残っています。「いなば」の寝台券はそのまま、私にとって祖父の形見になりました。 (陽) ●久し振りというか、2001年2月以来東海道新幹線に乗車しました。今回は300系ひかりでしたが、300系はデビューして15年以上も経っているのに私にとっては初デビューです。東京と大阪の移動はもっぱら飛行機か各駅停車ですが、同じ景色でも各駅停車と新幹線とでは違って見え、一瞬のうちに通過です。あっけないと言えばあっけないですが、新幹線ならではの楽しさがありました。前回との変更点は、車内放送のチャイムの変更とJR東海品川駅の開業がようやく実感できました。 (カッキー) ●野球にあまり興味のない私だが、今年初めて都市対抗野球の応援に行った。今年はJRが4チームも出ていたからだ。応援するのは当然(?)JRチーム。入場時に配布される選手名鑑に社歌と応援歌の歌詞が載っていて、試合開始前と終了後に社歌、7回の攻撃前に応援歌を歌うのが慣わしのようである。だがJR九州は応援歌だけで社歌は歌わなかった。JR九州の社歌といえば、そう、一部のファンの間では超有名な「浪漫鉄道」である。思うにワンコーラスが長めだからではないだろうか。またJR四国は愛唱歌のみ斉唱。曲を知らなかったJR四国の愛唱歌とJR北海道の応援歌以外は社員・関係者に混じって歌ってきた。肝心の試合結果は、いずれも2回戦までに敗退。準決勝や決勝でJRチーム同士になったらどちらを応援しようか、という心配は杞憂に終わった。来年こそはこの夢が叶えば、と思いながら東京ドームを後にした。 (明☆) ●インターネット上でアンドーナツが通信販売されてるのを見付けて即座に注文してしまいました。このアンドーナツは親の郷里が有る街のお菓子屋さんが作っていて、子供の頃帰省するとおやつによく出て来た一品で通称「油パン」と言ってグローブみたいな形の懐かしい物が画面上に有るとは!インターネット上でこれを買えるとは夢にも思わなかったので到着が待ち遠しくてたまりません。つくづく便利な世の中になったものだと改めて感じました。 (せみ) ●最近東戸塚駅の戸塚寄りのホームに、待合室ができた。ほかの駅でも続々完成しており、駅も進化している感がある。終電で帰ると改札前に20人ほどがヘルメット着用で、資材とともに待機していたが、2ケ月ほどもかかったようだ。駅のホームというのは、電車が走っている時間は、つくづく工事のしにくい場所なのだろう。ところで、これだけの困難を克服して完成した待合室だが、中の座席はわずか1列5席。スペースはまだあるので、せめて反対側にもう1列据え付けて欲しかった。 (哲≠鉄) → JTB時刻表『スパなび』 トップページは こちら Copyright (C) 2001-2008 JTB Publishing Inc. All rights reserved. |