JTB時刻表『スパなび』 蘊蓄ニュース バックナンバー
■JTB時刻表『スパなび』 蘊蓄(うんちく)ニュース バックナンバー■
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その1)■ =2001年5月17日(木)22時発行 <通巻6号>=
【JR四国 予讃線・高徳線】 高松駅移転に伴い、5月13日(日)から改キロ
高松駅新駅舎(Dとする)完成で高松駅が内陸寄りに0.3km移転しました。これに伴い、予讃線高松〜香西3.7→3.4km(△0.3)、高徳線高松〜昭和町1.8→1.5km(△0.3)に改キロされ、予讃線から高徳線方面へ抜ける場合は△0.6kmとなりました。5月12日(土)までの日付で検索した場合もこの短い新キロで計算し結果が表示されます。ご注意ください。
さて、高松駅(A)が開業したのは1897(明治30)年2月21日で、琴平から丸亀を経て伸びてきた「讃岐(さぬき)鉄道」という私鉄の駅でしたが、だいぶ西側の内陸寄り、現昭和町駅付近の場所にありました。1904(明治37)年には山陽鉄道に買収され、さらに山陽鉄道も1906(明治39)年12月1日には国有化されました。1909(明治42)年10月12日からは正式に「讃岐線」と呼ばれるようになりました。
1910(明治43)年7月1日、高松駅は海岸寄りに移転(B)しました。これは、同年6月12日宇野線岡山〜宇野が開通し、同時に宇高(うこう)航路が開設されたことに呼応したものでした。1911(明治44)年12月20日、新設の高松桟橋に隣接して「高松桟橋待合所」が設置されました。1924(大正13)年8月10日よりここまで列車が乗り入れるようになって、「高松桟橋」の名前で、高松駅とは別駅として時刻表に掲載されました(正式には高松駅の構内の一部。かつて徳島県牟岐線の中田(ちゅうでん)駅から出ていた小松島線小松島駅と小松島港仮乗降場の関係と同じ)。岸壁に直結し、連絡船との乗り換えが便利になったのです。
1959(昭和34)年9月15日に高松駅(B)自体がこの「高松桟橋」の場所に移転(C)し、+0.3kmの改キロが行われ、旧駅(B)はなくなりました。この(C)が5月12日(土)までの高松駅なんです。結局、42年ぶりに、高松駅(D)は高松駅(B)の営業キロにぴったり戻ったことになります。厳密に同じ場所ではないかもしれませんが・・・。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その2)■ =2001年5月25日(金)午前10時発行 <通巻7号>=
【上毛電気鉄道】 循環器病センター→心臓血管センター 6/1(金)駅名改称
駅の北方に「群馬県立循環器病センター」があり、その最寄り駅として、1994年4月10日に開業した駅です。同時に、一毛町(いっけまち)→城東(じょうとう)への改称も行なわれています。この月の22日には「志摩スペイン村」が開園したのでした。
インターネットで「循環器病センター」と入れたら、河内長野市には「国立循環器病センター」があるようです。「群馬県立循環器病センター」のホームページを見ると、タイトルはまだこの名前のまんまで、病院名の改称のお知らせはありませんでした。この病院の診療科目は、循環器科・心臓血管外科・内科・外科・消化器科・整形外科・神経内科・麻酔科・放射線科・リハビリテーション科・呼吸器科・呼吸器外科と多岐に渡りますが、今回、循環器から心臓血管に重点が移るのでしょうか。
試しに「心臓血管センター」でサーチしたら、「心臓血管センター 北海道大野病院」がヒットしました。渡島大野駅付近(函館の北方)にあるのかと思いきや、理事長さんの苗字で、病院の所在は札幌市の琴似付近なのでした。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その3)■ =2001年6月6日(水)正午発行 <通巻8号>=
【水間鉄道】 6/1(金)ダイヤ改正
私鉄から私鉄が分岐しているケースは意外と珍しいもの。南海電気鉄道の南海本線の貝塚駅が起点の「水間(みずま)鉄道」は大阪府にあり、1925(大正14)年12月24日にまず貝塚南〜名越が開業しました。この後、会社名はいっさい変わったことがなく、合併されたことも、他社鉄道線を合併したこともなく、JR阪和線との交差地点にはなぜか駅がありません。南海が12.5%の株を保有しているものの、今日まで独立独歩を歩んできた私鉄なのです。
貝塚を含めて全部で10駅、全長5.5kmのミニ私鉄の終点は、同じ貝塚市内の水間駅。「近畿の駅百選」に選ばれた駅舎は、社名の由来となっている「水間観音」(駅から徒歩5分ほど)を意識した寺院風のデザイン。水間まで全通した1926(大正15)年1月30日以来の駅舎で、国の登録有形文化財です。
「水間観音」は正式には天台宗別格本山「龍谷山水間寺」。僧行基が開いたと伝えられる西暦700年代創建の古刹。江戸時代後期に建てられた三重塔は府下で唯一現存する三重塔。縁結びの神様愛染明王をまつる「愛染堂」には歌舞伎で有名な「お夏清十郎の墓」もあります。詳しくは「水鉄(すいてつ)」のホームページ
http://www.suitetsu.com/ にて。
おまけのクイズをおひとつ。「かいづか」「みずま」と同名の駅が、九州の同じ私鉄かつ同じ県にある。どこだぁー。(ヒント:「みずま」は漢字が全く異なります。「かいづか」は他社との接続駅)
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その4)■ =2001年6月20日(水)19時発行 <通巻9号>=
【JR北海道】 6/30(土)限り 天幕など6駅廃止
田辺朔郎(たなべさくろう。1861-1944)といえば琵琶湖疎水(そすい)工事で名高いが、明治29(1896)年、臨時北海道鉄道敷設部(北海道庁管理下の通称「北海道官設鉄道」)に部長として招かれ、北海道炭礦(たんこう)鉄道の終点空知太(そらちぶと。現砂川〜滝川間)以北の新線調査に当たっている。
旭川まではほぼルートが固まっていたが、釧路・北見・網走方面への線路をどこに敷くかで現地調査が必要となった。石狩川をどんどんさかのぼり、北見峠を越えて、現石北本線〜釧路〜現根室本線のルートを、文字通り歩いて踏査したのである。
上川からは大森林に分け入るが、天幕三次郎という人の小屋があり泊めてもらった。このときの恩に報いるため、のちほどの昭和4(1929)年11月20日、石北西線が上川〜中越に延伸し駅ができたとき、鉄道省で「天幕」と命名したと伝えられる。この踏査旅行では「十勝(とかち)」から「石狩(いしかり)」に抜けているが、峠の雄大さを愛で、国名から1字ずつ取り「狩勝(かりかち)峠」と命名したのも田辺朔郎である。アイヌ語地名ではない、念の為。
釧路へのルートは結局、旭川から(現富良野線)と、釧路からの2方向から工事が進められた。釧路〜白糠(しらぬか)が開業したのはちょうど100年前の明治34(1901)年7月20日、狩勝峠を克服して全通したのは明治40(1907)9月8日である(現在のルートとは別線)。現石北本線のルートが全通したのは、だいぶ遅れた昭和7(1932)年10月1日であった。天幕の先の北見峠が狩勝峠をしのぐ難路で、当時道内最長の石北トンネル4329mの完成を待たねばならなかったためである。
ところで、6月30日(土)限り、宗谷(そうや)本線下中川(しもなかがわ=天塩中川3.9+4.5歌内)、上雄信内(かみおのっぷない=糠南3.5+2.2雄信内)、芦川(あしかわ=徳満5.7+4.3兜沼)と、石北(せきほく)本線天幕(てんまく=上川5.6+6.7中越)、中越(なかこし=天幕6.7+16.7奧白滝)、奥白滝(おくしらたき=中越16.7+5.0上白滝)の計6駅が廃止される。乗降人員は1日平均0.1人に届くか届かないかのオーダーというが、駅がある限り、駅舎の整備や冬期の雪かきは欠かせないのである。4月30日まで天幕駅が休止となっていたのもこのためなのだ。
『角川日本地名大辞典 北海道上巻(1987)』p919「てんまく 天幕<上川町>」の項によれば、『明治22(1889)〜25(1892)年北見道路開削。地名はこの時期、天幕三次郎が当地で漁労生活をし、のちに旅人宿を営んだことから天幕と称されるようになった。明治39(1906)年から開拓者が入地し、大正3(1914)年に八幡宮を創建。大正6(1917)年には留志辺(るべしべ)尋常小学校天幕分教場ができ、昭和12(1937)年天幕小学校として独立した。昭和6(1931)〜15(1940)年には天竜鉱山付属精錬所が、昭和28(1953)〜40(1965)年には木工場もあって栄えた。昭和35(1960)年には68世帯344人を数えたが、昭和45(1970)年には39世帯142人、昭和55(1980)年には8世帯22人となって、昭和51(1976)年には天幕小学校が廃校、昭和58(1983)年には天幕駅も無人駅となる。』
石北本線上川〜白滝は各駅停車が1日1往復しかなく、かつての清水港(しみずこう)線のような究極のダイヤとして知られていたが、これで上川〜上白滝34.0kmに1つも駅がないこととなった。ただ、中越、奥白滝駅は信号場に格下げされて残るので、既設の上越(かみこし)信号場(中越7.7+9.0奥白滝。昭和50(1975)年12月25日、駅から信号場に格下げ。トンネルの西側)と合わせ、途中に3つの信号場をかかえる区間となる。この34.0kmは、石勝線トマム〜新得33.8km(途中に5つの信号場がある)を抜いて、在来線の最長駅間レコードを更新した。
おヒマな方にクイズ。在来線の駅間20.0km以上の5箇所はすべてJR北海道の路線。3箇所は新得の近辺だが、あと2箇所は何線か?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その5)■ =2001年7月5日(木)20時発行 <通巻10号>=
【松浦鉄道】 7月1日(日)ダイヤ改正
長崎県はその名前のごとく、海岸線が入り組んで長〜い、岬つづきの県であります。この北西方向に突き出しているのが北松浦半島。これの海岸線に沿ってうねうねと93.8kmも走る第3セクターの私鉄が「松浦(まつうら)鉄道(線名は西九州線という)」です。1988(昭和63)年4月1日に3セク化されるまでは「JR松浦線」といいました。
半島の根元、JR佐世保線との接続駅である佐賀県の有田を起点として北上し、JR筑肥(ちくひ)線との接続駅伊万里からは海沿いとなります。起点27.5kmの今福(いまぶく)駅の手前で長崎県に入り、社名の松浦駅を通り、北西端のたびら平戸口で方向をほぼ180度転じて南下し、ところどころは山の中に入りつつ佐世保線佐世保に至ります。有田〜佐世保のJR線の距離は20.6kmですから、その迂回ぶりがわかります。
1988(昭和63)年3月31日、JR時代最後のダイヤを同年4月号の時刻表p338で調べると、有田〜佐世保の駅数はこの2駅も含め32駅、下り列車は区間運転も1本と数えて計27本(有田〜伊万里で14本、伊万里〜松浦で12本、松浦〜平戸口で9本、平戸口〜佐世保で9本)、うち1本は唐津9:21〜10:03伊万里10:04〜11:59佐世保12:03〜13:09諫早13:10〜13:40長崎と走る「急行 平戸」なのでした。
翌日の4月1日3セク初日から急行はなくなり、駅数は32駅そのままながら、下り列車は計44本(有田〜伊万里で21本、伊万里〜松浦で17本、松浦〜平戸口で16本、平戸口〜吉井で17本、吉井〜佐々で18本、佐々〜佐世保で23本)に増発されています。
今回の7月1日改正では、有田〜佐世保の駅数は57駅とほぼ倍になっており、下り列車は計79本(すべて伊万里乗り換え。有田〜伊万里で30本、伊万里〜松浦で26本、松浦〜たびら平戸口で20本、たびら平戸口〜佐々で28本、佐々〜佐世保で42本)とほぼ3倍です。JR時代に佐世保から平戸口(現たびら平戸口)に行こうとした場合、朝の7:32に乗り遅れると昼の12:02まで1本もなかったのが、佐々まではほぼ20分おき、たびら平戸口まではほぼ30分おきに大変身したのです。3セク化後の努力の成果がはっきり実感できます。
昭和30〜40年代までの松浦線は沿線の炭鉱(ヤマ)で栄え、というよりヤマのために線路が敷かれたのであり、支線が3本(世知原(せちばる)線、柚木(ゆのき)線はヤマへ、臼ノ浦(うすのうら)線は積出港へ)ちょろっと出ていました。旅客列車は多くはなかったものの、石炭を満載した貨物列車が引きも切らなかったのです。
今回の改正はダイヤの決定が遅れたため、6月20日発売された本誌7月号には掲載が間に合わず、この『スパなび』が初掲載となっています。どうぞご利用ください。
恒例(?)のクイズを。起終点も含め、松浦鉄道の沿線には市代表駅が3つある。どこだー? なお、国鉄時代最西端の駅として有名だった現たびら平戸口駅は、対岸の島にある平戸市(ひらどし)の玄関口であるが、駅自体は北松浦郡田平町(たびらちょう)にあり、平戸市内ではない。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その6)■ =2001年7月19日(木)午前10時発行 <通巻11号>=
【一畑電気鉄道】 7月23日(月)松江フォーゲルパーク駅開業
4月2日(月)、古江(ふるえ)を駅名改称した「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前」は、漢字18字、かな23字と、両方とも鉄道駅名の字数レコードを更新しました。これほど長くはありませんが、同じ一畑(いちばた)電気鉄道に、またまた舌をかみそうな長い駅名の登場です。しかも今度もカタカナ混じり。じつはこの両駅名の元となっている施設は、一畑の線路際の宍道湖畔にあって、両施設とも、松江市都市建設部湖北パーク建設課がかかわっています(両駅とも松江市内)。
前者の駅のそばには「松江ウォーター・ヴィレッジ」があり、アメリカの装飾美術家「ルイス・カムフォート・ティファニー(Louis Comfort Tiffany)」の作品約180点などを展示(ガラス工芸、特にステンドグラスに特色あり)する駅名と同名の美術館と、「イングリッシュ・ガーデン」を備え、4月28日(土)にオープンしました。駅名自体はダイヤ改正に合わせ、一足早くの改称でした。
後者は新駅で、同名の公園と同時の7月23日(月)のオープンです。「フォーゲル(VOGEL)」はドイツ語で鳥のこと。32haの敷地に、100羽のフクロウが出迎える「長屋門」、水鳥・熱帯鳥類のコレクション「バードエイビアリー」、カモの泳ぐ「水鳥池」、100羽のエミューとふれあえる「エミュー牧場」や、年中満開のベゴニア・フクシアなど1万株の大温室「センターハウス」があり、「花と鳥、自然を共有するこころの体験パーク」がキャッチフレーズ。総事業費72億円は、松江市が57億、有限会社カモ(静岡県掛川市の会社で社長は加茂元照氏)が15億の出資です。どうもカモのいる池は、社長の苗字にあやかったらしい・・・
地元の人にはやさしい問題だが、クイズを1つ。「一畑」の社名の由来は?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その7)■ =2001年8月1日(水)17時半発行 <通巻12号>=
【夜行バス〔はかた〕号】 日本最長の長距離バス健在
ブルートレイン「はやぶさ・さくら」は東京発18:03→博多着9:53で、この間約1200kmを15時間50分かかっています。この夜行バスは新宿高速バスターミナル発21:00→博多駅交通センター(博多駅前にある)着11:10で走り、所要14時間10分と、2時間近くも俊足です(このバスの終点自体は博多より10分先の西鉄天神バスセンター)。ルートは東名でなく中央道経由で、鉄道線路より距離も少し短いのです。西日本鉄道と京王電鉄の共同運行で、以前の1日2往復は1往復に減りましたが、なんといっても、定期運行している日本最長のバス路線であります。
新宿〜博多・天神が片道15000円と、「はやぶさ・さくら」の23040円(乗車券13590+特急券3150+客車二段式B寝台券6300)と比べ約3分の2の値段でおトク。もちろん列車の寝台に比べて多少きゅうくつではありますが、居住性重視の3列シートで、軽食サービスのおマケ付き。
夜行バスには、東京ディズニーランドや、大阪のUSJへの直通路線もあり、往復夜行バスを使った効率的(体力勝負?)なプランも可能です。ただ、休廃止となったり新規の路線ができるような改廃が意外と激しいので、この『スパなび』で最新の情報をご確認ください。
調べたい駅名を直接入力しても検索できますが、鉄道の駅名と微妙に異なる場合が多いので、『スパなび』最初の画面の上部真ん中にある「路線から駅名入力」のボタンをご利用ください。同方面への他の路線も一覧表示され便利です。
最後にクイズ。「西鉄天神バスセンター」は、西日本鉄道天神大牟田線「西鉄福岡(天神)」駅と、福岡市営地下鉄空港線「天神」駅のあるところ。日本全国にはこのほか、天神の付く鉄道駅名としては、「長岡天神」「天神橋筋六丁目」「萩原天神」「天神ノ森」「天神山」「味噌天神前」がある。この中にJRの駅が1つだけ混じっているがどれだ?
※新宿高速バスターミナル→博多駅交通センター(又は西鉄天神バスセンター)の検索を画面の初期設定の午前9時のままでやると「該当情報は見つかりませんでした。」と表示されますが、これはバスの到着が翌朝11時過ぎのため、この時刻までの経過時間が26時間少々となるためです(検索結果が24時間01分以上となる検索はサポートしていないため)。午後の適当な時刻で指定して検索してみてください。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その8)■ =2001年8月27日(月)14時発行 <通巻13号>=
【大阪モノレール】 世界最長のモノレール
ちょっと意外な気がしますが、日本のモノレールはなかなかのものらしい。弊社の横っちょを走る「東京モノレール」と同じ「跨座式(こざしき)(またがる方式)」の「大阪モノレール(こちらはこれは正式な会社名でなく、正式名は大阪高速鉄道)」は、大阪空港〜門真市間21.2kmが1997年8月22日に全通しているが、このたびギネスから、モノレールの営業距離世界最長と認定された。大阪モノレール主要駅(大阪空港・蛍池・千里中央・山田・万博記念公園・南茨木・大日・門真市)のコンコースには、このギネスブック認定証の写しが掲出されている。
日本のモノレールの最初は、1957(昭和32)年12月17日に開業した、上野動物園の東園と西園(当時は本園〜分園)を結ぶ0.3kmの「懸垂式(けんすいしき)(ぶら下がる方式)」(東京都交通局)。これは実験的な路線だったが、現在も元気に走っており、しかも鉄道事業法に基づく正式な鉄道である。但し休園日は運休となる。
本格的な都市交通モノレールとしては、東京オリッピック直前、1964(昭和39)年9月17日に開業した、われらが「東京モノレール」からである。ただ最初は途中駅は1つもなく、利用客も少なかった。道路が渋滞するようになって価値が見直された。モノレールの仲間としては「ゆりかもめ」のような「案内軌条式」もある。跨座式や懸垂式より建設も容易で今風だが、輸送力はやや小さい。
最後にクイズ。本格的な都市交通モノレールで、跨座式か懸垂式の会社はこのほか、「千葉都市モノレール」「多摩都市モノレール」「湘南モノレール」「北九州高速鉄道(モノレール小倉線)」の4社がある。それぞれどちらの方式でしょうか?
もひとつクイズ。現在、跨座式の都市交通モノレール約13kmを建設中の、県庁所在地は?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その9)■ =2001年9月13日(木)18時発行 <通巻14号>=
【都営地下鉄浅草線】 相互乗り入れの第1号
都営地下鉄の4路線はすべて異なった規格である。新顔の「大江戸線(都営12号線)」は線区内で完結している独立線区だから抜くとして、ほかの3路線のレールの内側の幅(専門的には軌間(きかん)又はゲージという)は、浅草線が1435mm、三田線が1067mm、新宿線が1372mmとバラエティに富む。
これは他社線との相互乗入れを前提として建設したからで、1960(昭和35)年12月4日開業(最初の区間(押上〜浅草橋)の開業日。以下同じ)の「浅草線(都営1号線)」は京成押上(おしあげ)線と京急本線、1968(昭和43)年12月27日開業の「三田(みた)線(都営6号線)」は東武東上(とうじょう)線と東急目黒線(東上線側は計画が取り止めとなった)、1978(昭和53)年12月21日の「新宿線(都営10号線)」は京王本線(本八幡側は新線の千葉県営北千葉線と乗入れの計画だった)のゲージに合わせたのである。
ここまで書いて気が付いたが、大江戸線も最初の区間は1991(平成3)年12月10日と「12月」。さらに延伸した開業日も同じ12月が突出して多い。名古屋市営地下鉄は3月の開業が多いが、いずれも自治体経営の鉄道で、議会の議決と予算執行方法に関係があると思われる。
さて、今回ダイヤ改正した京成であるが、1372mmであったのを、浅草線の開業直前に全線を1435mmにレールの幅を広げ(改軌(かいき)という)、押上駅は地下におろした。当然ながら工事中は列車が走れないが、現在ではとてもこんな大工事はできない相談であろう。
このような犠牲を払って開業に漕ぎつけた押上〜浅草橋3.1kmであるが、じつは都市交通における本格的相互乗入れ第1号の区間なのである。いまや京成上野方面の本線をしのぐ、実質メインの区間に成長した。相互乗入れという知恵なかりせば、首都圏の通勤・通学輸送は完全に行き詰っていたと断言できる。
なお、京急との相互乗入れは8年後の1968(昭和43)年6月21日である。品川で地上に出るが、全区間地下の泉岳寺〜品川は京急が建設した。このルートの新橋〜泉岳寺〜品川は因縁の区間で、東京地下鉄道(現営団地下鉄銀座線)が浅草〜新橋に開業した1934(昭和9)年当時は、渋谷方面でなく品川に伸ばす計画であり、戦争を挟んで34年もかかったわけである。なんといっても日本橋〜新橋〜品川は、五街道の筆頭、東海道のルートなのだ。今回の9/15改正のルートも、日本の2大空港、羽田空港と成田空港を直結しており、時代は変わっても、人の流れは変わらないのである。
ここでクイズ。都営には路面電車(荒川線)もある。この線のゲージは?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その10)■ =2001年9月20日(木)午前10時発行 <通巻15号>=
【JR九州 筑豊本線】 むかしSL王国もついに電化
30年ほど前までの筑豊といえば、石炭貨車を連結したSLと、ボタ山がつきものの風景で、黒黒黒というかんじの沿線でした。
そもそも筑豊本線の前身は、1891(明治24)年8月30日、直方から若松まで開業した「筑豊興業(ちくほうこうぎょう)鉄道」という私鉄でした。それまで遠賀(おんが)川の川舟でほそぼそと運ばれていた石炭が、近代的なSLで、大量に安価に輸送されるようになったのです。1897(明治30)年には現鹿児島本線を中心とする九州鉄道に合併し、1907(明治40)年7月1日には国有化され、1909(明治42)年10月12日の告示で正式に「筑豊本線」となります(当時は若松上山田間)。
原田(はるだ)まで全通したのは1929(昭和4)年12月7日、これでもたった66.1kmの「本線」でした。こんな線が本線を名乗ったのは、ひとえに「黒いダイヤ」石炭の重要性からで、営業収支的にも超優良線区でした。北海道の留萠(現在は留萌と書く)(るもい)本線の66.8kmも同類で、留萌港が小樽、室蘭と並ぶ石炭積み出し港だったのです。
時刻表復刻版にも収録した1965(昭和40)年11月号の表紙は、若戸大橋を背景に走る赤い電気機関車の引くブルートレインですが、うしろの線路群に石炭貨車「セキ」の黒い長い列が写っています。鹿児島本線はこの年10月1日熊本まで電化されていたものの、ここに乗り入れる筑豊本線の貨車は、すべてSLが引き受けていたのです。
「筑豊本線=若松〜原田」が正式の区間ですが、実際は若松〜折尾と、桂川(けいせん)〜原田は別系統の運転系統となっており、今回の電化で、物理的にも電車では直通運転ができなくなりました。篠栗(ささぐり)駅で行き止まりだった篠栗線が、筑豊本線の桂川との間14.8kmを結んだのは1968(昭和43)年5月25日でしたが、今回の電化で、名実ともに飯塚・直方地区は、福岡市の都市圏に入ったことになります。
最後にクイズ。「本線」と付くJRの線で、起点から終点までの直通列車のない線を挙げよ。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その11)■ =2001年10月9日(火)15時発行 <通巻16号>=
【名鉄 揖斐(いび)線】 清水(きよみず) → 瀬戸線清水(しみず)
JR各線では、同名漢字の駅名、例えば「福島」は東北本線(新幹線)と大阪環状線に、「大久保」は奥羽本線と中央本線(黄色い総武線電車の停車駅)と山陽本線というように、そんなに珍しくはありませんが、私鉄ではなんと、名鉄のこの「清水」が唯一の、同一会社内の同名漢字駅だったのでした。
瀬戸線はほかの名鉄線につながっておらず、揖斐線も新岐阜駅の駅ビルの前の路面の新岐阜駅前で岐阜市内線(路面)に乗り換えて行くしかないので、実際上は不都合はなかったのです。「清水→清水」のきっぷを買うことも可能でした(栄町〜新名古屋は中抜き通算。別途名古屋市営地下鉄などを利用することになる)。JRの同名漢字駅のルールに準じて、きっぷには「(揖)清水」「(瀬)清水」のように、線名の略字を冠して記載していました。(JTBキャンブックス『名鉄の廃線を歩く』p11のコラム「清水から清水行きの切符」に写真が載っている。金1100円・当日限り有効・下車前途無効也)
これというのも、名古屋鉄道は多数の会社が合併した私鉄だからで、瀬戸線は1905(明治38)年開業の「瀬戸自動鉄道」、揖斐線は1914(大正3)年開業の「岐北軽便鉄道」が前身です。一番メインの名古屋本線(豊橋〜新名古屋〜新岐阜)でさえ、豊橋寄りは「愛知電気鉄道(あいでん)」、岐阜寄りは「名古屋電気鉄道」と「美濃電気軌道」が前身で、いわばつぎはぎした路線です。神宮前〜新名古屋がつながったのが戦時中の1944(昭和19)年9月1日で、電圧が揃って電車の直通が実現したのは1948(昭和23)年5月16日のことでした。現在は特急がびゅんびゅん走り、JR東海としのぎを削る路線となっています。
最後にクイズ。新名古屋はJR名古屋駅前の地下にあり「新」を頭に冠した駅名です。名鉄で「新」を冠した駅名をすべて挙げよ(新川橋・新川町・新日鉄前・新田は除く)。新名古屋を含み15駅もありますぞ。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その12)■ =2001年10月23日(火)午前10時発行 <通巻17号>=
【指宿枕崎線】 日本の鉄道最南端の駅、西大山(鹿児島県)
今号より検索エンジンの改良により、24時間を超える経路の検索が可能となりました。さっそく試してみたのが「稚内→西大山」。最北端駅稚内を知らない人はないと思いますが、西大山は鉄道ファン以外にはマイナーでしょう。
九州は鹿児島県薩摩半島の南端、開聞(かいもん)岳のふもとの無人駅(駅舎無し)なのですが、指宿枕崎(いぶすきまくらざき)線がここから少し曲がって北寄りへ向かうので、日本の鉄道最南端駅となっています(戦前は沖縄県に私鉄があったのですが)。開業は1960(昭和35)年3月22日と戦後っ子で、住所は揖宿(いぶすき)郡山川町(やまがわちょう)大山植切。なお、枕崎まで全通したのは1963(昭和38)年でした。
カレンダーアイコンと日本地図の間にある「条件指定」のボタンで、「空路」と「新幹線」をはずして、11月1日9:00「稚内→西大山」で検索すると、
2001/11/01 16:53→2001/11/03 13:34 44時間41分
と答えがでました。さらに、「条件指定」の「特急列車」「寝台列車」もはずして「JRを利用する」だけとすると、
2001/11/01 10:48→2001/11/04 13:34 74時間46分。
「急行」ははずせない仕様なので、完全「青春18きっぷ」モードではありませんが・・・
さすがに単純な検索よりは時間がかかりますが、「よくぞ調べたぜ、『スパなび』よ」とほめてあげたい気持ちです。紙の時刻表ではちょっとした大仕事ですもんね。
最後にクイズ。最西端は松浦鉄道の「たびら平戸口」駅(国鉄時代は平戸口といった)ですが、日本の鉄道最東端の駅はどこか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その13)■ =2001年11月2日(金)16時発行 <通巻18号>=
【広島電鉄】 紙屋町のつぎも紙屋町(?)
11月1日(木)より、広島電鉄の駅名・電停名がたくさん変更になったのは、上記「新着ニュース」の通りです。
まず、「広電西広島」は宮島線の始発駅として改札のある駅で、それに隣接した路面電車専用の「己斐」電停は改札外に別の乗り場を持ち、この2箇所の乗り場に停車する電車もあるという変則的な形でしたが、広電西広島駅の配線変更も伴う大規模な改修工事完成で、改札外の乗り場は廃止して改札内のみに統一され、駅名もめでたく「広電西広島(己斐)」という名前1つに統合されたものです。
これを機会に、わかりにくい駅名が全面的に洗い出されました。面白いのは「広島大学前」→「日赤病院前」の改称で、大学が郊外に移転して実態とかけ離れていた電停名を直したものです。ついでに、宮島線、朝ラッシュ時の「JA広島病院前」7:44発は、改称したこの「日赤病院前」行きの臨時系統として運転されることとなり、病院前から病院前までというオモロイ電車の初(?)登場です。そういえば、東急東横線の「学芸大学」や「都立大学」も大学なき大学駅名で、これは駅名というより地名として定着しているため、いまさら変えられないようです。
市内の中心街にあたる「紙屋町」電停も注目です。交差点の東西に乗り場があり、「紙屋町、つづいて紙屋町」と、2回同じ名前の電停に停まるという運行形態でしたが、こんどから「紙屋町東」と「紙屋町西」に電停名を分け、わかりやすくなりました。運賃計算上は同一駅として扱われます。
最後にクイズ。「己斐」は「恋」とも聞こえ、また広島カープの「鯉」にも通じ、愉快な電停名でした。それでは「鯉」の字の付く唯一の駅名を挙げてください。JRの駅です。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その14)■ =2001年11月21日(水)21時発行 <通巻19号>=
【JR東日本】 首都圏50km特急はワンコイン
12月1日(土)のダイヤ改正に合わせて、JR東日本の制度改正があります。「制度改正」というとむつかしそうですが、特急券が安くなるんです。
首都圏エリアの特急自由席は従来、同じ50kmを乗っても、新宿〜鴻巣・久喜(〔草津〕〔水上〕〔あかぎ〕〔おはようとちぎ〕など)は「新特急料金」で530円、東京〜大船・蘇我・千葉(〔踊り子〕〔リゾート踊り子〕〔東海〕〔さざなみ〕〔わかしお〕〔しおさい〕〔あやめ〕〔すいごう〕など)は「B特急料金」で630円、新宿〜八王子(〔あずさ〕〔かいじ〕など)は「A特急料金」で730円と、3種類の料金体系が混在していました。これを一律「新特急料金」のレベルにまで下げ、さらに30円の端数は切り捨てて、500円玉ぽっきりのワンコインに値下げしたのです。これは〔アルプス〕などの急行列車にも適用されます。特急の普通車指定席も、通常期で1010円と安くなります。
中央線の下げ幅が大きいのは、「A特急料金」適用を、東京から竜王(甲府の1つ先)までは「B特急料金」に変更したためで、50kmより先も値下げとなります。改正日より、あずさ3往復(下り53・55・69号、上り52・66・68号)には新車のE257系も投入されますので、ほんと太っ腹な値下げですね。
首都圏の新「新特急料金」適用区間は、東海道は熱海・伊東まで、中央は竜王まで、上越は石打・万座鹿沢口まで、東北は黒磯・日光まで、常磐は勝田まで、総武は銚子・佐原・成田空港まで、房総は安房鴨川・千倉までです。これより先の駅、例えば松本方面まで足を伸ばす場合は、乗車全区間を「A特急料金」で計算します。なお、〔成田エクスプレス〕〔スーパービュー踊り子〕の2つに関しては現行どおり、全区間で「A特急料金」を適用します。
最後にクイズ。東京〜大船は46.5kmだが、この区間の乗車券のねだん(運賃)は、特急自由席の500円より、高いか安いか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その15)■ =2001年12月7日(金)15時発行 <通巻20号>=
【JR東日本】 湘南新宿ライン
12月1日(土)ダイヤ改正から、首都圏に新しいルートができました。従来、横浜から新宿に行く場合は、東海道線(湘南電車)か横須賀線で品川まで来て山手線に乗り換えるか、東京まで行って中央線快速の始発に乗るかがメインでした。これ以外に渋谷経由のルートもあり、〔湘南新宿ライナー〕や横須賀線休日の〔ホリデー快速ビュー鎌倉〕など、ごく一部の直通列車が走っていました。この渋谷経由の直通短絡ルートを活用し、東北・高崎線方面から池袋・新宿に入ってくる列車とも一体化して開業したのが「湘南新宿ライン」です。戸塚まで同じ線路を走り、湘南電車平塚方面と、横須賀線逗子方面とに分かれます。戸塚は同じホームで湘南、横須賀線が乗り換えられる、御茶ノ水駅と同じ構造で便利です。
このルートの山手線の部分のJR部内の名称が「山手貨物線」ということからもわかるように、じつは首都圏を抜ける貨物列車のルートとして戦前に建設された増設線を、旅客列車のルートとして活用しているのです。横須賀線電車が湘南電車と離れて走っている区間の、品川〜新川崎〜鶴見のルートも同様です。通称「品鶴(ひんかく)線」(正式には東海道本線)と呼ばれ、かつて新川崎付近には貨物列車を方面別に組み替える「新鶴見操車場(しんつるみそうしゃじょう)」(通称「ヤード」)があり、広大な敷地に貨物列車があふれていました。現在はJR貨物がそのほんの一部を利用し「新鶴見信号場」と称しています。新川崎駅のホームから望まれる、電気機関車が憩っているあたりです。
「湘南新宿ライン」は新川崎・西大井駅まで横須賀線電車の線路を走り、西大井〜大崎を結ぶ短絡線(営業キロ無し)を通って「山手貨物線」に入ります。埼京線は恵比寿止まりですが、恵比寿駅に折り返し設備がないため、全列車大崎まで回送で来て折り返し運転しています。この埼京線の池袋〜新宿〜恵比寿〜大崎が「山手貨物線」なのです。つまり池袋〜大崎では、「湘南新宿ライン」と埼京線は、まったく同じ線路を走るわけです。大崎には現在「山手貨物線」に新ホームを建設中で、車窓から眺められます。りんかい線(東京臨海高速鉄道)が天王洲アイル〜大崎に開通する2002年12月にはこの新ホームをオープンし、埼京線と相互乗り入れする計画です。もちろん、この時には「湘南新宿ライン」もこの新ホームに停まるようになります。
なお、このような歴史のため、横須賀線電車と「湘南新宿ライン」は、東海道線川崎・品川経由の営業キロで運賃・料金を計算します。池袋〜赤羽は埼京線と異なり、大回りの駒込・上中里経由で運転しますが、埼京線(正式には赤羽線)板橋経由で計算します。
最後にクイズ。「湘南新宿ライン」で一番長距離を走る列車は?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その16)■ =2001年12月20日(木)午前11時発行 <通巻21号>=
【愛知環状鉄道】 生まれは国鉄貨物線。今は3セクの優等生
2005年3月25日〜9月25日の185日間に、瀬戸市南東部で開かれる「愛知万博」は、大阪花博以来5回目の国際博。この会場への名古屋からの足として期待されるのが、愛知環状鉄道(岡崎〜高蔵寺45.3km)である。
現在は中京圏の都市鉄道として定着した愛知環状鉄道だが、1970(昭和45)年10月1日に国鉄岡多(おかた)線として岡崎〜北野桝塚8.7kmに開業したときは、なんと貨物線であり、途中駅もなかった(当時から電化はしていた)。北野桝塚から自動車の新車を、専用貨車で全国に発送しようとのもくろみだった。1976(昭和51)年4月26日新豊田まで延長すると同時に旅客営業も開始した。ここではじめて19.5kmの盲腸線として、時刻表に登場したわけである。
もともと岡多線という名前は、岡崎と多治見を結ぶという鉄道敷設法の予定線路から名付けられたもの。これが東海道本線の貨物バイパスルートとして、瀬戸市から高蔵寺の方に左折し(ここからは建設名称「瀬戸線」)、高蔵寺から中央西線に併走、勝川からは枇杷島・稲沢貨物ヤードまでの直進ルート(枇杷島の方へのルートは現城北線(東海交通事業)としてのちに開業した)で東海道本線に戻る構想に変わった。首都圏の武蔵野線と同様、大都会中心部を避けるプランであった。ところがその貨物も斜陽となり、たのみの旅客輸送も伸びず、国鉄再建法で定めた数値をクリアーできなくて、新豊田行き止まりのまま、1987(昭和62)年4月1日の国鉄民営化を迎えた。結局、形の上はJR東海に引き継がれたものの、愛知県と沿線4市(岡崎市、豊田市、瀬戸市、春日井市)が引き取る約束のもと、新豊田〜高蔵寺の新線が開通した1988(昭和63)年1月31日、第3セクタ−「愛知環状鉄道」に転換された。
延伸で中央西線高蔵寺とつながり、瀬戸市で名鉄瀬戸線にも連絡するようになって乗客がみるみる増え、3セクではまれな黒字常連となっている。全線単線ではあるが、将来の貨物幹線化を見越していたため、複線分の用地が用意されていた。これを活用して、中岡崎〜北岡崎と北野桝塚〜三河上郷の複線化、及び篠原駅の行き違い設備が完成したため、今回12月23日(日)のダイヤ改正となった。万博までには瀬戸市〜中水野の複線化も完成させ、名古屋から直通列車も走る予定である。
最後にクイズ。国鉄・JRから転換された3セクで、複線区間を持っている会社を挙げよ。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その17)■ =2002年1月17日(木)22時半発行 <通巻22号>=
【名古屋鉄道 常滑線】 空港駅づくし
昭和55(1980)年10月1日の国鉄千歳・室蘭本線電化開業改正と同時に千歳空港駅(現南千歳)が開業したが、北海道のダイヤの中心が函館から札幌に移り、それまでいわば敵対関係にあった航空機と鉄道が協調関係に切り替わった、エポックメイキングなできごとだった。
それまでも、東京モノレールの羽田空港駅と、京成電鉄の成田空港駅(現東成田駅。空港と少し離れていた)の例はあったが、この千歳空港駅以後、鉄道駅と直結する「○○空港」駅の新設がめざましい。
1991年にはJRと京成の(新)成田空港駅が、93年には福岡市営地下鉄の福岡空港駅が、94年にはJRと南海の関西空港駅が、96年にはJRの宮崎空港駅が、97年には大阪モノレールの大阪空港駅が開業している。いずれも新線の終端駅である。
そして、新着ニュースのように、1月26日(土)から、名鉄常滑線の終点常滑駅付近の高架化工事が本格的に始まり、2005年3月19日(土)の中部国際空港(愛称「セントレア」)オープン時には、空港駅の仲間がさらに増えることとなった。高架の常滑駅から前島駅に至り、海上連絡橋で結ぶ前島〜空港(仮称)が3.0kmなので、りんくうタウン〜関西空港6.9kmに比べれば、陸地に近い空港といえる。
なお、「○○空港」を名乗る鉄道駅としては東北本線の「花巻空港」駅もあるが、駅からターミナルビルまでは約2kmもあり、命名にちょっと無理がある。これは1988年に既設駅「二枚橋(にまいばし)」を改称したケース。
最後にクイズ。現在工事中の、空港連絡の鉄道新線は名古屋のほかに2箇所。このうち、名古屋空港より先に開業予定なのはどこか? (ヒント:「蘊蓄ニュース」その8 のクイズの鉄道です)
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その18)■ =2002年1月25日(金)午前11時発行 <通巻23号>=
【JR東日本 左沢(あてらざわ)線】 駅名あそび
別名「フルーツライン左沢線」ともいうこの線は、正式な起点は北山形ですが、全列車、1つ南の山形駅が始発です。山形からでも26.2km、全12駅の、どちらかというと地味な路線ですが、駅名がちょっと面白いのです。
山形の旧国名「羽前(うぜん)」を冠する駅名が4駅あるのですが、「羽前山辺(やまべ)」「羽前金沢(かねざわ)」「羽前長崎(ながさき)」と連続し、3駅が間にはさまって「羽前高松(たかまつ)」となっています。お気づきのように、4駅中3駅が、県庁所在地駅と同名漢字なのです。
3駅の開業時の住所を調べると「東村山郡豊田村大字金沢(現中山町金沢)」「東村山郡長崎町大字長崎(現中山町長崎)」「西村山郡高松村大字八鍬(現寒河江市八鍬)」と、いずれも旧町村名を採っていることがわかります。後発の駅名は接頭語(国鉄時代はほとんどが旧国名)を冠するべしという、原則に忠実な命名です。
また「寒河江(さがえ)」「左沢(あてらざわ)」は、きわめて難読な駅名といえましょう。ちなみに、「暑」や「右」の漢字の入った鉄道駅名は存在しません。意外とやさしい漢字でも、駅名として使われていないことがあるものです。
最後にクイズ。ずばり、「石川」、「香川」という駅が、その県内以外に実在します。どこにあるでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その19)■ =2002年2月20日(水)19時発行 <通巻24号>=
【JR3月改正】 「優等列車」とは?
JRグループの改正では、指定券が1ケ月前から発売されるため、これに間に合うタイミングで、指定席連結の列車(新幹線・特急・急行・快速・SL)の改正ダイヤのみは、先行発表しています(正確にいうと、今回のJR北海道は3/16(土)に1週間早い実施となっているので、1ケ月前に間に合いませんでした)。ちなみにJRグループ6社では、毎年3月(年度末)の改正(実施日は毎年変わるが土曜日が多い)が定例化しており、さらに7月に北海道(四国が加わることも)、12月に東日本が改正される傾向が見られます。昨年はこれに加え、4/21に山陽新幹線、10/1に東海道・山陽新幹線の改正がありました。詳しくは下欄の「2001年3月1日(木)以降のダイヤ改正・運賃改定・新線新駅・改称改キロ」をご覧ください。
今回の3月改正ですと、2/20(水)発売の本誌(紙の時刻表)3月号の巻頭「黄色のページ」で、「3月改正ダイヤ」をお知らせしています。快速・普通列車を含めた全列車の改正時刻については、3/15(金)発売の本誌4月号の本文に収録(旧ダイヤ全列車を新ダイヤ全列車に入れ替える形)することになります。
『スパなび』ではデジタルの利点を最大限生かし、「黄色のページ」に先行掲載された「指定席連結の列車」の改正時刻を今回取り込み、改正日以降は改正ダイヤで検索できるようにいたしました。もちろん、JR北海道は3/16(土)で、他5社は3/23(土)で新旧切り替わります。なお、指定席のない快速・普通列車のダイヤは、改正日以後も現行ダイヤで収録しています。このため、改正後の快速・普通列車への乗り継ぎは、目安としてご利用ください。
ところで、この「指定席連結の列車」というコトバは、長ったらしくて舌がもつれますね。じつは時刻情報編集部内では、「優等列車(ゆうとうれっしゃ)」または「優等」で通用しています。これはもともと、「普通列車」に対して「特急・急行列車」を指す、国鉄の部内用語でした。別にベンキョウができるという意味ではないのですが、ちょっと愉快な日本語で、指定券を前売りする列車のかんじが出ていると思いませんか。
最後にクイズ。「特急」の増発に引き替え、「急行」は残り少なくなってきました。首都圏から出ている「急行」をすべて挙げてください。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その20)■ =2002年3月15日(水)16時発行 <通巻25号>=(3月20日(水)15時発行の「通巻26号」も同一内容)
【長野電鉄】 木島(きじま)線か、河東(かとう)線か?
3月31日(日)限りで、長野電鉄の信州中野〜木島間12.9kmが廃止されることになりました。現在はこの区間内の折り返し運転のみで、長野〜湯田中間のメインルートから分岐する行き止まり線のようになっています。1922(大正11)年6月10日屋代〜須坂間に開業した「河東(かとう)鉄道」は、翌年信州中野まで伸び、1925(大正14)年7月12日には木島まで全通しました。
河東(かとう)地方とは、長野を中心とする善光寺平(ぜんこうじだいら)に対し、千曲川(信濃川)の東側を指すコトバです。1888(明治21)年8月、官有鉄道(のち信越本線、現しなの鉄道)が屋代〜篠ノ井間に鉄橋を架けるまで、千曲川をまたぐしっかりした橋は存在せず、経済的にも文化的にも、長野とは近くて遠い仲でした。屋代〜須坂間にある城下町松代(まつしろ)はこのような地の利の上に発展し、佐久間象山も活躍したのです。また、地図を見てわかるように木島駅の対岸はすぐ飯山で、ここまでひたすら千曲川を渡らないで線路が敷かれたわけです。なお、豊野〜飯山間には飯山鉄道(現JR飯山線)が、1921(大正10)年10月に開業しています。
別会社の「長野電気鉄道」が須坂より分岐し、信濃川を越えて権堂まで開業したのは1926(大正15)年6月。813.6mの村山橋(むらやまばし)は鉄道線と車道が並んだ併用橋として架けられ、鉄道線も含んだ幅員は10.85m、県内で信濃川を渡る車道橋梁の最初でもありました。戦前において、いかに信濃川が大きな障壁だったかがわかります。総工費109万円は、長野県が60%、長野電鉄が40%を負担しています。この村山橋は現在も国道406号線と桁を共用していますが、1日2万台を超える交通量のネックとなっており、上流側に4車線の車道専用橋を建設中で、いずれ名鉄犬山橋のように完全に分離されてしまうようです。
同年9月には長野電気鉄道と河東鉄道が合併し、現在と同名の「長野電鉄」になります。翌年信州中野〜湯田中間が、翌々年1928(昭和3)年6月長野駅前(もちろん現在の地下駅でなく地上駅)〜権堂間が開業し、現在の路線網が完成します。
このように、河東線(屋代〜木島間の正式名称)はいわば本線格で、国鉄時代には定期列車が上野から、屋代〜湯田中間に乗り入れていました。木島までスキー臨時列車が乗り入れていた時期もあります。このような歴史を知ると、単なるローカル線区間となった通称「木島線」も、ひと味違って見えませんか。
最後にクイズ。長野県人の愛唱歌『信濃の国』に歌われる「四つの平(たいら)」の4つ目が「善光寺」。ほかの3つの平(盆地のこと)はどこか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その21)■ =2002年4月10日(水)16時発行 <通巻27号>=(4月16日(火)午前11時発行の「通巻28号」も同一内容)
【JRグループ】 民営化15周年
昭和62(1987)年4月1日に発足した「JR6社」(正式には、北海道旅客鉄道、東日本旅客鉄道、東海旅客鉄道、西日本旅客鉄道、四国旅客鉄道、九州旅客鉄道)は、早いもので、この4月1日(月)で満15年となりました。本州の3社は、昨年12月1日付けで法律的には純民間会社に移行し、あとは日本鉄道建設公団が保持している株式の売却を残すのみ。
この15年間のエポックを挙げれば、まずJR北海道では青函トンネルと新千歳空港駅の開業でしょう。JR東日本では新幹線東京乗り入れと山形・秋田・長野新幹線の開業。JR東海の新幹線〔のぞみ〕対、JR西日本の〔ひかりRail Star〕。JR四国では瀬戸大橋線の開業と高松駅の移転。JR九州では〔ソニック〕や〔ビートル〕の開業がありました。各社の本社ビルの移転・新築も相次ぎました。有珠山の噴火や阪神・淡路大震災などの自然災害も忘れることができません。
SLが各地で復活したのも驚きです。磁気式きっぷでの自動改札が大きな駅を中心に普及し、JR東日本ではICカードの「Suica」も導入されました。車両もどんどん新しく、最高速度も向上しています。列車本数も増え、新幹線や特急が国電感覚で利用されています。
商品としての列車ダイヤがますます重視され、3月に6社協調しての改正は必ずあるものの、各社独自の改正(例えばJR東日本は12月)も珍しくなくなりました。「湘南新宿ライン」に代表される並行私鉄との競争を意識した改正や、中・長距離での飛行機との対抗ダイヤや「おトクなきっぷ」の設定は当たり前。これに影響されたか、私鉄のダイヤ改正も以前より増えているようで、編集部のシゴトも年間切れ目無しという感じです。
さて最後にクイズ。国鉄最後の日、すなわち昭和62(1987)年3月31日に開業した駅がなんと1つあるんです。ヒント:「東日本」と漢字1字違いの駅名です。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その22)■ =2002年4月22日(月)午前11時発行 <通巻29号>=
【JR北海道】 流山温泉(ながれやまおんせん)駅
一時期相次いだ「○○温泉」への駅名改称ブームですが、下火になったかと思っていたら、またまたです。その中でも異色なのがこの、JR函館本線の新駅です。
場所は函館からほど近い七飯町の、駒ケ岳を望む東大沼のほとり。4月27日(土)には新駅開業と同時に、日帰りの入浴施設「流山温泉」が開業します(入浴料は800円。10〜20時(土曜・休日は21時まで)営業)。泉質はナトリウム・カルシウム−硫酸塩泉(低張性弱アルカリ性高温泉)で45.6度、もちろん露天風呂も。巨石と巨木をふんだんに配したユニークな平屋の建物の由で、近くには「ダチョウ牧場」もあります。「大地鳥(だいちどり)」と命名されたダチョウを、100羽ほど飼育しているといいますから、にぎやかそうですね。駅前広場では、はるばる運び込んだ東北新幹線200系3両(1981年製造)が出迎えます。敷地の奧には、流政之(ながれまさゆき)プロデュースによる、巨石と彫刻が織りなす神秘の空間「北形列石ストーンクレージー」が控えます。
宿泊施設は当座ありませんが、来春以降、キャンプ場、スポーツ広場、27ホールのパークゴルフ場や、体験工房がオープンの予定だそうです。
さて最後にクイズ。「温泉津」と書いてなんと読むでしょう。ヒント:JR山陰本線にある駅名です。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その23)■ =2002年5月27日(月)19時発行 <通巻30号>=
【JR東北本線(利府線)】 利府駅
いよいよワールドカップの開幕。今回はそれにちなんだ話ということで頭を絞った結果、宮城スタジアムの最寄り駅である利府(りふ)を取り上げます。
仙台から北東へ向かう東北本線(在来線)は、次が東仙台、2つ目が岩切で、東北新幹線と併走しています。ここから東北本線のメインルートは東方に向きを変え、陸前山王、国府多賀城、塩釜と停まります。岩切からそのまま北東に進むと利府方面の、通称「利府線」です。次が新利府で、新幹線仙台車両基地に隣接、ここから新幹線はほぼ真北に向きを変えますが、利府線はひたすらまっすぐです。その次が終点利府で、行き止まりとなっています。宮城スタジアムはここから西方へ、バスで10分ほど。
じつは、かつてはこの利府駅の先にも線路があり、なんとこちらが東北本線のメインルートだったのです。利府駅の開業は明治27(1894)年1月4日、ただし線路自体の開業は明治23(1890)年4月です。現在線は、塩釜、松島と海沿いに走って、愛宕(あたご)に停まります。利府から北東に走っていた旧線は、この愛宕駅のあるところまで、山の中の別線ルートでした。愛宕駅のホームの真下に可愛らしいトンネルがありますが、これが旧線そのものの遺構なのです。一見の価値あり。
さて、海側の別線(通称「海線」)は第二次大戦たけなわの昭和19(1944)年11月の開業で、山線の勾配がきつくて、軍事輸送のSL貨物列車の車両数に制限を受けるため、実質貨物線として造られました。塩釜駅が開業して旅客列車も走り始めたのはやっと昭和31(1956)年7月のことで、昭和37(1962)年7月1日から利府より北方の山線が廃止され、行き止まりとなったのです。愛宕駅はこのときの開業です。
海線はトンネルの連続で、ほとんど海が見えません。当時の技術水準では相当の難工事だったでしょう。この区間では、仙台と石巻を結ぶ仙石(せんせき)線が縫うように併走しています。なんと、陸前浜田駅を出た仙石線下り列車はすぐに海線の下をくぐり、山側に回りこんで、次の松島海岸駅で海側に戻ります。ここは人家とてなく、非常にさびしいところですが、2回目の交差は海線がトンネルで仙石線の下を抜けているので、車窓からはわかりません。松島海岸駅は松島めぐり遊覧船の桟橋の目の前でにぎやかですが、海線には駅がなく、そっけなく通過していきます。海線上の松島駅はずっと先で、松島町の中心に近いとはいうものの、桟橋までとても歩ける距離ではなく、仙石線だと松島海岸の1駅先の高城町の方が近くなります。
ところで、利府町役場は利府駅のすぐそばですが、町域は細長く東側に広がっており、さきほどの陸前浜田駅のところで海岸に達しており、この1駅のみ住所が利府町です。かつては駅名標には住所が必ず書かれていたので、へーー、ここは○○町なんだ、などと気付く楽しみがありましたね。
最後にクイズ。塩釜駅があるのは「しおがま市」ですが、「塩釜市」ではなく別の字です。書けますか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その24)■ =2002年6月20日(木)14時発行 <通巻31号>=
【『スパなび』は2世代ダイヤ・料金】
今年の2月からJR東日本グループとなった東京モノレールですが、夏の旅行シーズンを前に、JRとの乗換駅浜松町に、京浜東北線の快速(日中時間帯に運転)が7月14日(日)から停車することになりました。現在は東京から田町までノンストップですので、山手線に乗り換えないとたどり着けません。飛行機で出かけるのに、大きなバッグをかかえて、何回も乗り換えるのはしんどいですね。さらに来年になるようですが、浜松町駅の乗換通路も抜本的に改良するようです。私は毎日乗り換えていますが、上がったり下がったり、曲がりくねった動線に乗る人降りる人が入り乱れ、ぐったり。毎日利用の通勤客にもうれしい知らせです。
さて、浜松町に快速を停車させるためには、手前の駅を早発させるか、前方の駅の時刻を繰り下げる必要が生じます。以前は『スパなび』もある基準日の1種類のダイヤ提供でしたが、現在の『スパなび』は、改正があった場合、改正前は古い時刻で、改正後は新しい時刻で(これを部内的には「2世代ダイヤ」といっています)ご案内しています。1分の違いでも乗れる飛行機が変わる場合がままありますから、正確なダイヤは必須ですね。
また、7月1日(月)からはJR東海で、30kmまで310円という、特急自由席の値下げが行われます。これも6月30日(日)までは旧料金で検索結果を表示しています。
2世代ダイヤ・料金を実現している『スパなび』を是非ご利用くださいね。
最後にクイズ。浜松町に停車後、この京浜東北線快速は、何駅を通過することになるでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その25)■ =2002年7月19日(金)21時発行 <通巻32号>=
【全車指定席の新幹線】
東海道・山陽新幹線の〔のぞみ〕は全車指定席であることは知られていますが、お盆などの帰省ピーク時などには、東北・上越・長野・山形・秋田の各新幹線でも、全車指定席の列車が運転されます。
また、山陽新幹線でも、全車指定席の〔ひかり〕(ファミリーひかり)が運転されています。
『スパなび』で検索し、検索結果の下の詳細表示の「発着欄」の本のマークをクリックすると、検索された列車を中心に、その前後の列車も含めたその区間の時刻表が表示されますが、紙の時刻表にそっくりの設備マークを使っています。
座席のマークの横っちょに「全」の漢字が付いているのがこの全車指定席の列車です。
ふるさとへの行き帰りには、手荷物やお子様連れなどのことから、ゆったり安心して座って行きたいものですが、この全車指定の列車は狙い目ですよ。既に乗車日の1カ月前から指定券が発売になっていますが、どうかみどりの窓口や、JTBなどの旅行会社でこの全車指定の新幹線をお試しください。
最後にクイズ。現在のダイヤで、最短距離(営業キロ)を走っている新幹線は、どことどこの区間のものでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その26)■ =2002年8月26日(月)16時発行 <通巻33号>=
【リバイバルトレイン 各地でぞくぞく復活】
東日本の各線では、東北・上越新幹線開業前の在来線のスターたちが、ぞくぞく帰ってきます。
まず、仙台〜上野には特急〔ひばり〕(上り9/21(土)、下り9/22(日))が583系で初めて復活(過去の復活運転は485系)。
次に、上野〜青森に、電車寝台特急〔ゆうづる〕(下り10/4(金)、上り10/5(土))と、昼間の座席特急(上り11/2(土)〔思い出のはつかり号〕、下り11/3(日)〔思い出のみちのく号〕)を運転。11/30(土)には青森〜一ノ関1往復の特急〔さよならはつかり583系〕に変身します。
横川〜軽井沢の廃線をバスで連絡して、10/12(土)・13(日)には、上野〜横川に特急〔信州特急あさま〕1往復、軽井沢〜長野に特急〔特急あさま〕1往復です。10/14(月)には軽井沢〜直江津のみの〔特急あさま〕1往復となります。軽井沢〜篠ノ井は今やしなの鉄道の線路なので、2社間の連絡特急ということになります。
北海道では10/6(日)に、釧路→札幌を富良野経由で、特急〔おおぞら2002記念号〕が走ります(これは片道のみ)。
特急だけでなく急行の復活もあります。10/5(土)・6(日)上野〜横川に〔急行信州号〕が、11/2(土)〜4(月)上野〜万座・鹿沢口に〔急行草津号〕が、11/9(土)・10(日)上野〜水上に〔急行ゆけむり号〕が走ります。
どのリバイバルトレインもすべて全車指定なので、最寄りの駅やJTBの支店で、あらかじめ指定券をご用意ください。高架・高速の新幹線では味わえない、のんびりした目線の景色がお楽しみいただけます。ちょうど紅葉が見られるかもしれませんね。
最後にクイズ。〔はつかり号〕と〔みちのく号〕は、同じ上野〜青森間の特急でしたが、片方は宇都宮、もう一方は水戸を通る列車でした。今回の復活は忠実にその経路をたどりますが、どちらが常磐線経由でしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その27)■ =2002年9月20日(金)14時発行 <通巻34号>=
【ゴロンとシート】
ことしの1月15日(火)から、上野〜青森に走っている特急〔はくつる〕〔あけぼの〕に登場した「ゴロンとシート」は、B寝台そのままの設備ながら、毛布、シーツ、枕、浴衣、スリッパのサービスを省略し、寝台券不要で、指定席特急料金のみで乗車可としたものです。寝台料金分が安くなるので、最近はこちらから売り切れるとか。なんせB寝台そのままですから、夜行バスと違い、足を100%伸ばし、完全に水平に横になって寝られます。
特急〔あけぼの〕は従来、上野寄り1号車のB寝台を、女性専用の「レディースカー」として販売していましたが、今回、青森発9月30日(月)、上野発10月1日(火)から、この車両を「レディースゴロンとシート」とし、寝台券不要で、指定席特急料金のみでOKにしました。女性専用の「ゴロンとシート」というわけです。「レディース」が「ゴロン」とは、ちょっと愉快な命名ですね。
ほんの少し前まで、夜行といえば列車(ブルートレイン)しかなく、選択の余地がありませんでしたが、全国各地に夜行バスが走るようになり、料金的に圧倒的に安いので、夜行列車は閑古鳥が鳴くこととなってしまいました。これに対する、起死回生のアイディアなのです。
上野〜秋田間で〔あけぼの〕の「ゴロンとシート」「レディースゴロンとシート」に乗車した場合、運賃9030円+指定席特急料金通常期3340円=12370円となります。ただ、これでも、新宿〜秋田の夜行バスの片道9450円(往復17020円)に比べると差がまだまだ大きいので、青森・弘前・秋田発→東京着の往復限定で、『ゴロンとシート東京往復きっぷ』往復16000円ポッキリという「トクトクきっぷ」を売っています(東京発はありません)。
なお、『スパなび』で検索した場合、結果で「指定席」として表記しているのが「ゴロンとシート」「レディースゴロンとシート」です。
最後にクイズ。〔あけぼの〕と〔はくつる〕は上野〜青森の運転ですが、前者は秋田経由、後者は盛岡経由です。どちらの営業キロが短いでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その28)■ =2002年10月7日(月)16時発行 <通巻35号>=
【京急蒲田駅改造 Part1】
10月12日(土)京急全線のダイヤ改正があります。目玉はなんといっても、横浜方面〜羽田空港間の直通電車大増発。現在は早朝2本だけなのが、なんと終日20分間隔の運転に。所要は24分ほどです。なお、現行品川方面との直通電車はそのままです。
この計画実現の最大のネックは京急蒲田駅の配線(はいせん)でした。「廃線」といえば「廃線跡を歩く」の「廃線」ですが、1字違いの「配線」とは駅構内のレールのつながり具合を指します。現在、横浜方面から羽田空港へ直通で行くには上り線を走り、いったん京急蒲田に停車。発車して少し走り、京急蒲田〜梅屋敷間の駅間で一時停止し、ここで方向を変えて下り線に転線。さらに京急蒲田駅の一番海寄りの空港線ホームに入るという手順を踏みます。上り電車がほんの少しの時間とはいえ駅間で完全停止し、さらに下り線に逆走する形ですから上下両線に支障し、とても日中の時間帯には運転不可能なのでした。
このため、京急蒲田駅空港線ホームの横浜寄りをこわし(以前には駅出口があった)、こちらから入れるようにレールを敷き、ポイントも新設したのです。これで上り電車が空港線ホームに直接入れるようになりました。ただ、京急蒲田では前後ろ、方向を変える必要はあります。
空港線は、京急蒲田駅を出てすぐが天下の「第一京浜」。正月の箱根駅伝でおなじみですが、ここの踏切のところだけが単線区間。これが第2のネック。これの解決のためもあり、京急蒲田駅の高架化が計画されています(改造 Part2)。下り線、上り線を別階の3階建てに改造(東武の北千住駅みたいなかんじ)し、踏切のネックもなくします。ただ、空港線横浜方面直通電車の、前後方向が変わるのはそのままです。完成までには、だいぶん時間がかかりそう。
最後にクイズ。羽田空港駅始発の直通電車で、一番遠くまで走るのは、どこの駅までのものでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その29)■ =2002年10月21日(月)午前11時発行 <通巻36号>=
【よみがえった汐留駅】
汐留に残る「0哩標(ゼロマイルひょう)」は鉄道発祥の印なんです。1872(明治5)年に開業したときの駅名は「新橋」で、ここを起点として「横浜」(現在の桜木町)までの17.94マイル(28.87km)にSLが走りはじめました。1883(明治16)年北の玄関口として上野駅が開業しましたが、これは新橋駅とすっきりつなぎたいところ、線路の敷地の確保が難しく、当座の策として上野に突っ込み式の駅(頭端駅)を作ったのです。乗り換え客は、馬車鉄道(のち路面電車)や人力車を利用していました。
新橋駅も銀座の方に突っ込んでいる形になっているため、少し品川寄りの現浜松町駅あたりから分岐させ、お壕をつぶして上野に向かう高架線を建設することになり、すこしずつ伸ばして、1914(大正3)年12月20日には東京駅まで開業しました。今も残る丸ノ内側の赤煉瓦駅舎はこの時に建築されました。この日より、長距離列車は東京駅から発車することとなったため、新橋駅は貨物オンリーの駅に変更することになりましたが、同時に、1909(明治42)年烏森(からすもり)の名前で既に開業していた高架線駅に新橋の駅名を譲り、汐留(しおどめ)に駅名改称しました。なお、上野までは人家が建て込んでいたため高架線工事が難航し、神田までは1919(大正8)年、上野まで全通したのは1925(大正14)年のことでした。このときから、ぐるぐる回る山手線(やまのてせん)電車となったのです。
東海道方面から上ってくる貨物列車の終点駅(一部は汐留から分岐した先の芝浦、東京市場行き)として、また都内から東海道方面への貨物の始発駅として重要な位置を占めてきましたが、1986(昭和61)年10月31日限り、国鉄民営化の直前に汐留駅は廃止されてしまいました。
跡地はご存じのように売りに出され、江戸時代の武家屋敷の発掘などもあり時間がかかりましたが、やっと高層ビルが立ち並んできました。というわけで、すっかり出来上がったホームの横を空しく列車が通過していたのが、都営地下鉄大江戸線汐留駅(地下)と、ゆりかもめ汐留駅(高架)として、この11月2日(土)から晴れて全列車が停車いたします。1986(昭和61)年の廃止以来16年ぶり、旅客駅としては1914(大正3)年からじつに88年ぶりの駅名復活となります。
最後にクイズ。1925(大正14)年の環状運転開始前の山手線ですが、中野〜新宿〜四ツ谷〜東京〜品川〜渋谷〜新宿〜池袋〜上野という「の」の字形の運転をしていたという。これは本当か?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その30)■ =2002年11月20日(水)15時発行 <通巻37号>=
【「エル特急」とは?】
こんどの12/1改正から、JR東日本では、管内の「エル特急」をすべて「特急」に読み替えました(他のJR5社の「エル特急」はそのまま)。「エル特急」でも「特急」でも、別に特急券に違いは無かったのですが、なぜ「エル特急」は「エル特急」というのかという質問が多く寄せられるので、この機会にすっきりさせておきましょう。
そもそも「エル特急」という名前は、1972(昭和47)年10月2日改正が始まりです。ただ、梅小路蒸気機関車館が表紙で、「鉄道100年」のロゴと「日本海縦貫線全線電化完成」の文字が入っている10月改正号には掲載が間に合わず、翌11月号からの初登場となりました。11月号の「今月のお知らせ」に『ネットダイヤ化された特急に、ペットネーム「エル」が付けられました。(時刻表には、「L」の記号<注:正確には縦の棒が垂直でなく、くにょっと曲がったロゴ>がついています。) エル特急は次から次へと出て、各列車とも自由席がついています。また、便利でお得な自由席回数券や日帰りきっぷが発売されます。お気軽にご利用ください。』と紹介されています。別ページには「エル特急」の主要駅時刻表もあり、ひばり(11往復)、とき(10)、わかしお(7)、さざなみ(7)、ひたち(5)、あさま(5)、つばめ(7)、はと(3)、しおじ(4)が載っています。東北・上越・長野新幹線は影も形もなく、東海道・山陽新幹線も岡山まで3月15日に開業したばかりの時代でした。
当時の在来線の特急は、全車指定席が原則で、急行に比べ運転本数も少なく、利用しづらかったのですが、「エル特急」は1〜2時間おきに設定され、発車時刻も「ひばり」上野発が原則00分などと揃い、自由席も各列車2〜3両付いており、急な旅立ちもOKという、画期的な特急だったのです。のち、『数自慢、かっきり発車、自由席』のキャッチフレーズも生まれました。
ところで「エル」の由来です。特急=Limited Expressの「L」であることと、「L」には、Lovely、Lucky、Liner、Large、Long など、フィーリングの良い単語が多いということで選ばれたのです。Little、Lonely、Loose はどうなんだ、といわれると困ってしまいますが・・・ ま、特に意味があるわけではなく、ほかの特急と区別するための苦心の命名だったようです。1969(昭和44)年5月10日の「1・2等級制」から「モノクラス制」への移行時に、「1等車」を「グリーン車」と改名し、四つ葉のクローバーマークを考案したのと同じ伝でしょう。
時代は変わって現代。在来線の中・長距離列車はほとんどが特急となり、急行は少数派といえます。各方面の特急も多数運転されるのが当たり前で、「エル特急」と、ただの「特急」との差も不明確になって来ました。ちなみに、11/30までのJR東日本には、いなほ/さざなみ/ビューさざなみ/ホームタウンさざなみ/おはようさざなみ/わかしお/ビューわかしお/ホームタウンわかしお/おはようわかしお/しおさい/スーパーひたち/踊り子/スーパーあずさ/あずさ/かいじ の15種類の「エル特急」がありました。なお、長野〜名古屋の「しなの」は、長野〜塩尻はJR東日本管内を走りますが、JR東海の列車のため、「エル特急」のまま残りました。
最後にクイズ。12/1現在、一番本数の多い「エル特急」はどれか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その31)■ =2002年12月20日(金)16時発行 <通巻38号>=
【特急と急行の違いは?】
JR線のきっぷの値段を計算するルールでは、乗車するのに必須なお金を「運賃」(普通列車でも必要)、特急・急行や、グリーン車、寝台に乗るためのエクストラ・チャージを「料金」(普通列車では不要)といって厳密に区別しています。
特急・急行料金は、普通列車より速いスピード料であり、よりデラックスな座席料なわけですが、特急と急行の違いはなんなのでしょうか。特急の方が停車駅も少なく、座席も豪華なのは当然として、一番大きな制度上の相違は、特急は指定席料金が定位、急行は自由席が定位なことです。具体的には、特急自由席に乗る場合は所定料金から510円引き(通常期)で計算、急行指定席に乗る場合は急行券に座席指定席券をプラスして買うことになります。
これはそもそも、特急は全車指定、急行は全車自由席だった時代の名残りなんです。昭和36(1961)年10月1日ダイヤ改正は、特急18本(9往復)が52本(26往復)となり、全国に特急網が広がった改正として特筆されていますが、列車愛称名でいえば、〔こだま〕〔ひびき〕〔富士〕〔つばめ〕〔はと〕〔さくら〕〔おおとり〕〔みずほ〕〔あさかぜ〕〔はやぶさ〕〔うずしお〕〔かもめ〕〔みどり〕〔へいわ〕〔まつかぜ〕(以上東海道・山陽・山陰・九州方面)、〔はつかり〕〔つばさ〕〔ひばり〕〔白鳥〕〔おおぞら〕(以上東北・北陸・北海道方面)の20種類のみにすぎませんでした(〔こだま〕〔ひびき〕〔富士〕〔つばめ〕は2往復。〔かもめ〕〔白鳥〕は2方向を併結)。これに対して、同改正では、急行が126から226本に、準急が400から448本に増えています。いかに特急が格調高かった列車かわかりますね。なんせ急行の下に「準急」という種別まであったんですから。
昭和39(1964)年10月1日に開業した東海道新幹線(東京〜新大阪)でも、最初は全列車指定席でした。前号の蘊蓄ニュース「エル特急」の登場した昭和47(1972)年10月2日改正で特急の自由席は珍しくなくなりましたが、あくまでも特急は指定席が定位の原則は変わらなかったのです。いまや、特急より急行の方が珍しい時代となってしまいました。
特急は発車直前に飛び乗れ、車内で自由席特急券を買えばOKです。予約が必要で、搭乗手続きや荷物検査もある飛行機と比べて、急ぎの旅の強い味方です。短距離を走る特急や新幹線では、全車自由席の特急も珍しくなくなってきましたが、〔のぞみ〕や〔はやて〕のように全車指定の特急もまだ健在で、自由席の有無は気がもめるものです。『スパなび』では特急・急行の自由席の有無が明確にわかるよう、自由席のある特急・急行には「自」のマークを付けています(紙の時刻表には無い記号です)。
最後にクイズ。JR東日本の管内を走っている定期列車(毎日運転の列車)の急行をすべて挙げてください(JRの他社とまたがって走る列車も含む)。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その32)■ =2003年1月27日(月)15時発行 <通巻39号>=
【青春18きっぷ】
春・夏・冬休みには、JR全線の普通列車が1日乗り放題の「青春18きっぷ」が売り出されます。5回分(5人分)で11,500円は、1回当たり2,300円ということになり、東京駅からだと、小田原まで単純に往復するだけ(1,450×2=2,900円)で元が取れます。年齢制限がないので、私みたいなオジサンでもいいんですが、一人で使い切るのは結構大変。こんどの冬休みに実際に使った経験をお話しますので、次の春休みの発売の時、なにかの参考になれば幸いです。
最初の2回は年末年始に、自宅最寄り駅の東戸塚(横浜市)から、浜松近辺の実家への帰省に。行きは御殿場線経由で新駅の「長泉なめり」に降り立ち、由比から興津は旧道のさった峠を歩く。帰りは身延・中央・横浜線経由。これでもまだ3回分が余ります。
連休の1/12に腰を上げ、湘南新宿ライン〜埼京線〜赤羽〜東北線〜小山〜高崎〜高麗川〜八王子〜横浜線経由で一筆書き回り。両毛線、八高線に久しぶりに乗りました。1/13は成田乗換で佐原で降り、伊能忠敬記念館と町中の散歩。帰りに成田空港駅にちょっと寄れるのもこのきっぷならでは。
12/10(火)〜1/20(月)が有効期間なので、ラストサンデイとなった1/19(日)に最後の1回をと、まずは湘南新宿ラインで新宿まで。中央線のホームに行ったら、折良く直通の青梅行きが入っていました。これで、青梅・五日市線へ行くことに決定。立川から西立川は時刻表の地図に載っていない渡り線を走るのもうれしい。青梅からは一気に山が深くなります。急坂とトンネルの連続で着いた終点奥多摩駅でお昼とします。1時間後にちょうど青梅行き展望型電車「四季彩」がありました。青梅寄りから、スノウ印の冬、モミジの秋、ヒマワリの夏、サクラの春がペイントされた4両編成で、なるほどそれで四季かと納得。拝島で五日市線に2分接続。武蔵五日市駅は高架になり、周りも市街化されてしまっておりびっくり。一応駅前をちらっと見て戻ると、さっきの電車が折り返しで新宿直通に。
こんなかんじで、家をゆっくり9〜10時頃出ても、明るいうちに、結構遠くまで行けるものです。
最後にクイズ。「青春18きっぷ」で例外的に、特急の普通車自由席にタダで乗れる区間が全国に2箇所だけある。どこか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その33)■ =2003年2月20日(木)午前11時 定期発行 <通巻41号>=
【私鉄のフリーきっぷ】
トップ画面右上の「おトクなきっぷ」ボタンをクリックすると、全国の「トクトクきっぷ」を、北海道から九州の各地方ごとに分けてご案内(全国で売っているものは「全国」のところにも掲載)したものが見られます。「JR東日本パス」のような期間限定ものから、「青春18きっぷ」「フルムーン夫婦グリーンパス」「ナイスミディパス」のような毎年恒例の季節もの、「新幹線指定席特急回数券」のような年間発売のオーソドックスなものまで。今まではJRのきっぷだけでしたが、今号から、私鉄の「トクトクきっぷ」の主要なものを収録いたしました(掲載していない地方あり)。
試みに「関東」を選び、下の窓の上から4番目「関東地方の私鉄のフリーきっぷ」をクリックすると、右側にその一覧が表示されます。いろいろおもしろいきっぷがあります。
上から3番目の「1日フリー乗車券(小湊鉄道)」は全線片道1370円に対して1700円で1日乗り放題、「1日フリー乗車券(いすみ鉄道)」は全線片道620円に対して1000円で1日乗り放題です。まあこんなもんかという値段設定ですが、「房総横断記念乗車券(小湊鉄道・いすみ鉄道)」の1600円はおトクです。小湊鉄道・五井→上総中野→いすみ鉄道・大原の片道(逆方向も可)がこれ1枚で乗れるので、所定運賃1370+620=1990円と比べると390円のトク。もっとも五井から大原に行く用事のある人はマレと思いますが、鉄道好きには強い味方。「列車内で発売します」とありますから、当日乗ってから求めればOKで世話無しです。
東海・近畿地方の「3・3・SUNフリーきっぷ」(期間限定。今回は3月末まで)は名鉄・近鉄・南海3社が3日間乗り放題の大型きっぷです。ただ5000円というお値段は、1日だけ乗り回りたいという場合には元を取るのが難しそう。「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」3800円とか、「近鉄遊レールパス」3日間3800円とか(両方とも通年発売)と、旅行プランを『スパなび』で検索しつつ、シビアに比較検討してください。
これら以外にも、トップ画面右上の「リンク集」で各私鉄会社のホームページにアクセスすれば、いろいろなフリーきっぷが見つかるはず。この「リンク集」には、JR・私鉄の公式ホームページはほとんど網羅していますので、是非ご活用ください。正式社名「帝都高速度交通営団」は「営団地下鉄」でも、「相模鉄道」は「相鉄」でも引けます。なお、鉄道ファン個人様による熱血ホームページは入っていません。
最後にクイズ。「3・3・SUNフリーきっぷ」は、いくつの府県にまたがっているでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その34)■ =2003年3月20日(木)14時 定期発行 <通巻46号>=
【東武〜営団〜東急 新ルート】
3月19日(水)、営団半蔵門線が水天宮前から押上まで延伸し、東武が曳舟から押上まで新線(押上駅は業平橋駅の真下で、運輸省(国土交通省)への届出段階では、伊勢崎線曳舟〜業平橋間の複々線化工事となっていた)を建設してこれとつなぎ、都心を貫く新たなバイパスが誕生しました。
東武伊勢崎線沿線から都心へ向かう場合、起点の浅草乗り換えでは不便なので、北千住から日比谷線・千代田線で都心に向かうのがメインルートとなっています。さらに、東武では業平橋駅地上ホーム(浅草行きは高架ホーム)を活用してここ止まりの通勤列車を新設し、地下の京成押上線・都営浅草線押上駅への連絡通路を作ってラッシュをしのいできました(この列車と通路は3/18限りで廃止)。
これが、伊勢崎線が営団半蔵門線に乗り入れることで、大手町・永田町・渋谷への直通ルートができたのです。ルートが少し大回りなのをカバーするため、北千住〜曳舟はノンストップ運転の「区間準急」「通勤準急」となっています。しかも、日光線南栗橋から東急田園都市線の終点中央林間までの、全長98.6kmに及ぶ相互直通運転です。
東武〜営団〜東急の3社はこの快挙を記念して、南栗橋のさらに北まで行く〔3社直通運転記念号〕を1往復臨時運転します(全車自由席。予約不要で普通運賃のみで乗車できます)。往路は3/29(土)、中央林間10:17→南栗橋で分割→東武日光14:07(後6両)・鬼怒川温泉14:21(前4両)。復路は3/30(日)、東武日光12:35・鬼怒川温泉12:26→南栗橋で併結→中央林間16:11(復路にはヘッドマークは無し)のダイヤです。途中駅の時刻は『スパなび』で検索して、時刻表表示でご確認ください。
なお、『スパなび』では、指定された発駅・着駅・出発(到着)日時の条件で、1分でも速いトータル所要時間をひたすら優先して検索結果を出すため、上記の半蔵門線経由や、長い距離を走る普通列車は出にくくなっています。トップ画面の「経由駅ボタン」を押して錦糸町などの途中駅を入れたり、「条件指定ボタン」で「特急列車を利用する」「JRを利用する」のチェックをはずしたりする工夫をしてみてください。発駅・着駅・出発(到着)日時の条件をちょっとでも変えると、出る結果が劇的に違う場合もあります。ルートのはっきりしている短区間ごとに分けて検索するのも有効です。
最後にクイズ2つ。 (1)〔3社直通運転記念号〕は、いくつの都県を通って行くでしょうか? (2)この3社の路線は、いくつの都県にまたがっているでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その35)■ =2003年4月7日(月)午前11時 特別号臨時発行 <通巻49号>=
【鉄腕アトムの誕生日】
「鉄腕アトム」の誕生日が2003年4月7日だと聞き、『スパなび』でなにかお祝いができないかと考えました。生誕地が高田馬場だというので、弊社独自の「あいまい駅名入力」機能を使って、「鉄腕アトム」と入力すると「高田馬場」がヒットする仕掛けをしてみました。「アトム」「astroboy」「atom」でもOKです。
この機能は、いわば仮名漢字変換のユーザー辞書のようなもので、間違えそうな入力を登録してあるのです。例えば、保土ヶ谷・保土ヵ谷・保土が谷・保土ガ谷・保土谷で保土ケ谷が、下田で伊豆急下田が、御茶の水・御茶水・お茶の水・お茶ノ水・お茶水で御茶ノ水が、といった具合。tokyo、osaka・ohsaka、tamacenter、tennozisle のような英語風(ヘボン式)入力にも対応しています。
ついでにおまけとして、「手塚治虫」で「宝塚」がヒットするようにもしました。
さて宣伝です。JTB出版事業局ではこの世紀の日に、単行本『鉄腕アトム その夢と冒険』を発売します。内容は、アトムの漫画とアトムの謎が満載。
さらに、初版本にのみ、シリアルナンバー刻印の「アトムチップ」が付きます。アトムというロボットに人の心を与えたチップです。チップはレプリカで、情報等は入っていませんが、シリアルナンバーがレーザーで刻印され、1冊1冊が世界にただ1つの番号をもつアトム本ということになります。
また、帯に付いている「プレゼント応募券」を貼付してハガキで応募すると、抽選で200名様に「アトム1/2設計図」が当たります。
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●単行本『鉄腕アトム その夢と冒険』
手塚プロダクション 監修
アトムを愛する会 編
A5判/216ページ/定価 本体1600円(税別)/
ISBN4-533-04778-5 C0095/JTB出版事業局刊
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●「るるぶ旅の本屋さん」をご存じですか。
ネット上で書籍の購入ができます。但し送料がかかります。ご了承ください。
http://www.rurubu.com/publist/Recomm.asp?
なお、お近くの書店さんにお申し込みいただき、その書店でお引取りいただく
場合ですと送料はかかりません。どちらか便利な方をご利用ください。
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最後にアトムの謎から2つ。 (1)アトムを造ったのはお茶の水博士ではない? (2)造られた時の名前は「アトム」ではなかった?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その36)■ =2003年4月21日(月)発行 <通巻50号>=
【TKルート】
東京ディズニーランドを「TDL」、大阪のユニバーサルスタジオジャパンを「USJ」と略す伝で、「TKルート」とは「立山黒部アルペンルート」のことなんです。富山県と長野県との間にそびえる屏風のような北アルプスを、いろいろな乗り物を乗り継いで一気に抜ける、日本で一番過酷な路線、かつ一番魅力に富んだ路線です。途中の徒歩連絡区間では、黒部川をせき止めた、あの黒四ダムそのものの上を歩きます。
当然真冬はお休みで、例年4月20日頃から11月末までの営業ですが、今年はまんなかの小区間以外は4月10日(木)から開通し、全通は4月20日(日)でした。この真ん中は「雪の大谷」といい、春先は17mもの雪の大絶壁の底をバスが走ります。今年は、4月20日(日)〜30日(水)と、5月6日(火)〜18日(日)の午前10時〜午後2時に、「雪の大谷ウォークイベント」として、この区間を散策体験できます。真夏にはだいぶこの壁も低くなりますが、解けきることのない万年雪地帯です。『スパなび』ではこの「TKルート」もサポートしています。
このように、気象状況の極端に厳しい路線ですので、TKルート公式サイト http://www.alpen-route.com/ で事前に運行状況の確認と、防寒着のご用意を。はじめてであれば、http://www.jtb.co.jp/ の「旅物語 http://www.jtb.co.jp/fset.asp?rf=/media/ 」のようなツアーに参加するのもひとつの手です。TKルートだけでなく、宇奈月温泉や黒部峡谷鉄道も訪れるおトクなコースが、各地から設定されています。
TKルートのホームページによれば、立山から美女平に登る立山開発鉄道のケーブルカーが、今シーズンから新車両になったとか。これを記念して、立山駅のコンコースで11月3日(月)まで、「日本のケーブルカー展」を開催中とのことです(入場無料)。
最後にクイズ。JR富山駅前の電鉄富山を出発して、長野県信濃大町に抜けるまで、何種類の乗り物に乗るでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その37)■ =2003年5月26日(月)発行 <通巻53号>=
【都の西北、本庄早稲田】
上越新幹線・熊谷〜高崎間に、来春新駅が開業する。1982年11月15日の上越新幹線開業以来、初の新駅である。高崎線の本庄駅とは約2km離れており、所在地は埼玉県本庄市北堀字山ノ根2070。新駅の名前を、「新」や「東西南北」の接頭語は不可の条件で公募した結果、5月7日、「本庄早稲田」(ほんじょうわせだ)に決まった。
1826通の応募があり、1位「本庄早稲田」、以下「本庄児玉」「武蔵本庄」の順だったという。地域名優先なら「本庄児玉」が妥当だろうが、すでにインター名で使われていた。「燕三条」駅のそばのインター名が「三条燕」というクイズもどきの例もあるが、大学名「早稲田」が入った駅名は目新しいかんじがする。鉄道駅名に「○○大前」が増え、いまや珍しくもないが、さすがに新幹線の駅名にははじめてである。
新駅の南側に広がる大久保山丘陵地には、早稲田大学の本庄セミナーハウス、高等学院、大学キャンパスなどがあり、「早稲田山」と通称されている。「早稲田リサーチパーク」を建設中で、来年度以降に環境・情報系の独立大学院もできるという。「わせだのもり」といえば「都の西北」の歌詞が思い浮かぶ。東京の早稲田は鉄腕アトムの高田馬場駅近くだが、開学当時、ここは東京市外の郡部の早稲田村だった。さらに外側に位置する、品川〜渋谷〜新宿〜池袋を走る「山手線(やまのてせん)」は、文字通り東京の山の手の市外地域を結んで建設されたのである。よって、「都の西北」は「都の中の西北」ではなく、「都の外の西北」の意なのだ。そういえば、本庄キャンパスも、都心から西北の方角ではないか。
話は変わって、同じ来春に、山陽本線向洋(むかいなだ)〜広島間(広島市南区東駅町287番)に新駅ができるが、ただいま新駅名を公募中。同じく、「新」や「東西南北」はノーサンキューとなっている。武蔵野線の駅名はなんだったんでしょうかねー・・・
応募を官製ハガキに限るのは、最近では珍しいかも。要項は http://www.westjr-hiroshima.com/ にて。締切は6月16日(月)消印有効で、発表は7月初旬とある。
最後にクイズ。「ほんじょうし」と「ほんじょうえき」が、この本庄市以外に存在します。どこにあるでしょうか?
※ヒント:「ほんじょうえき」は今年の3月にできたばかりの駅です
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その38)■ =2003年6月20日(金)発行 <通巻55号>=
【千早振る、鹿児島本線の新駅】
「千早(ちはや)ふる神代(かみよ)もきかず竜田川(たつたがわ)」とくれば、知ったかぶりご隠居の落語を思い浮かべてしまいます。千早という花魁(おいらん)が相撲取りの竜(龍)田川を振ってしまうという、百人一首珍解釈のお笑いです。
7月7日たなばたの日に開業する千早駅は、住所こそ福岡市東区水谷(みずたに)2丁目83-1であるものの、地域一帯の名称として古くから「千早」が使われ、「千早市民運動公園」のように千早を冠した施設も多数あることで命名されたとのこと。
すぐ近くにある香椎宮のご神木「綾杉」は、神功皇后が植えたと伝えられるが、このご神木を詠んだ古今和歌集の歌「ちはやふるかしひ(香椎)の宮のあや杉は神の御衣木(みそき)にたてる成りけり」がある。「千早ふ(ぶ)る」とは、神や宮にかかる枕詞(まくらことば)なんですね。
ところで、新駅の一体はかつては広大な貨物列車の操車場だったが、いまや福岡の東の副都心としてまちづくりの真っ最中。首都圏でいえば、新川崎(旧新鶴見操車場)か、さいたま新都心(旧大宮操車場)あたりの風情でしょうか。新駅開業ののっけから快速が停まるとは、ただものではありません。すぐ近くを走っている西鉄宮地岳線名香野(なかの)駅と合わせた一体化構想もあるとか。これは名鉄・JR・名古屋市営地下鉄の駅が一体に改良された金山駅と同じプランです。なお、「東福岡」という駅名希望もあったそうですが、「千早」という含蓄のある駅名に決まってホント良かったと思います。本庄早稲田といい、最近は新駅の駅名に凝りますね。
最後にクイズ。千早のあい方、竜田川という駅が本当にあるんです。どこにあるでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その39)■ =2003年7月23日(水)発行 <通巻57号>=
【青春18きっぷ】 〔ムーンライト91号〕は全区間全車指定席!!
「青春18きっぷ」のシーズンです。東京から西へ向かう場合、大垣行きの夜行は定番。今までは、東京発23:43(品川23:53)の〔ムーンライトながら〕の指定券が取れなかった場合、品川23:55始発の全車自由席の臨時普通列車に早めに並べばなんとか座れました。
今夏より、この列車が特急型車両にグレードアップされるとともに〔ムーンライト91号〕(上りは92号)の名前が付き、全区間全車指定席(禁煙車・喫煙車両方あり)に変更となりました。運転は7月19日(土)から8月23日(土)までの毎日(上り92号は東京行きで、運転日が1日繰り下がる)です。
このため、指定券(指定席券510円)を持たないでの乗車はできないことになりました。車内での指定券発売も一切ありませんので、あらかじめみどりの窓口で指定券をお求めいただく必要があります。首都圏のみどりの窓口はほとんどが22:00頃までの営業です。出発間際に品川駅で購入することも不可能です(品川駅のみどりの窓口は23:00までの営業)。十分にご注意ください。
すでに下り〔ムーンライトながら〕〔ムーンライトながら91号〕とも満席の日があるようです。1席や2席ならばキャンセルが出る可能性もあり、最後まであきらめずにみどりの窓口でトライするしか方法がありません。定期列車〔ムーンライトながら〕は小田原から自由席になる車両があるので、東京23:40の普通列車で小田原まで先行し、この〔ムーンライトながら〕に乗り継いで大垣まで行くことは可能ですが、確実に深夜立ちっぱなしとなります。体力に自信のある方以外にはおすすめできません(上りではこの方法も使えません)。
指定券が取れなかった場合、名古屋まで新幹線で翌朝行くことにするか、朝一番の普通列車利用のプランに切り替えるか、または行き先をがらっと変えるかなど、いろいろ策を練っておく必要があります。なにせ、ここらへんの臨機応変がこのきっぷの醍醐味なんですから・・
最後にクイズ。あとから出た〔ムーンライト91号〕は大垣に、〔ムーンライトながら〕より1時間1分も早く着きます。どこで追い抜くのでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その40)■ =2003年8月25日(月)発行 <通巻59号>=
【〔のぞみ〕の特急料金】
今回の改正で東海道新幹線は、〔のぞみ〕75+〔ひかり〕125+〔こだま〕87の計287本が、〔のぞみ〕137+〔ひかり〕65+〔こだま〕89の計291本となり、のぞみちゃんとひかり君の立場が完全に逆転する。スピードアップと引き替えに、〔のぞみ〕に乗らざるをえないダイヤになったともいえ、特急料金の設定がどうなるか注目されたが、思い切って〔のぞみ〕と〔ひかり〕の料金差(〔のぞみ〕加算額)を縮めた制度改正となった。例えば東京からだと、新大阪は加算額970円が300円に、名古屋は760円が200円に、岡山は1330円が500円に、広島は1630円が500円に、博多は1840円が600円にと、ほぼ3分の1以下となる大幅値下げだ。
さらに、〔のぞみ〕全列車に自由席が初めて付き、しかも〔ひかり〕〔こだま〕の自由席と同額で乗れるといううれしい知らせ。通常期指定席の510円引きに加え、さらに上記加算額分もまったくいらないことになる。東京〜新大阪だと現行指定席(通常期)より一気に1480円も安く、4730円で〔のぞみ〕が利用できる。自由席は前(下りの場合)3両ということだが、自由席は早いもの勝ちなので、確実に座りたい場合はあらかじめ指定券のご予約を。
あと、グリーン車利用の場合の計算の仕方だが、繁忙期や閑散期も含め、通常期指定席の510円引きにグリーン料金を足すルールで、これは現行通り。例えば東京〜新大阪〔のぞみ〕グリーン車の場合だと、通常期指定席5540円の510円引きに、600.0kmまでのグリーン料金5150円を足した10180円だ。現行10850円より、〔のぞみ〕加算額の値下げ分670円が安くなる。
〔のぞみ〕指定席から〔ひかり〕指定席に乗り継ぐ場合は、〔のぞみ〕の利用区間のみ加算額を足す。例えば東京〜広島を〔のぞみ〕指定席で、広島から〔ひかり〕指定席に乗り継いで徳山までの場合は、東京〜徳山の〔ひかり〕指定席7230円(通常期の場合)に、東京〜広島の〔のぞみ〕加算額500円を足した7730円となる。東京〜徳山の〔のぞみ〕指定席7830円ではない。
〔のぞみ〕グリーン車から〔こだま〕に乗り継ぐ場合で〔こだま〕にグリーン車を連結していない場合は少し難しい。例えば東京〜岡山を〔のぞみ〕グリーン車で、岡山から〔こだま〕指定席(又は自由席)に乗り継いで新尾道までの場合は、東京〜新尾道の〔ひかり〕通常期指定席6710円の510円引きに、東京〜岡山の〔のぞみ〕加算額500円を足し、東京〜岡山のグリーン料金6300円を足した13000円となる。グリーン料金は実際に乗る岡山まで(800.0kmまで)を払えばよい。新尾道まで(800.1km以上)の7440円ではない。
このグリーン料金のややこしい乗り方となるパターンは、今まで『スパなび』が対応できていなかったが、今号から対応した。なお『スパなび』は、入力した日付に応じて、旧料金、新料金でそれぞれ正しく表示する。繁忙期、閑散期の判断(JRによって期日が異なる)も同様だ。
最後にクイズ。〔のぞみ〕が停車する駅は、今回から全部で何駅になったでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その41)■ =2003年9月22日(月)発行 <通巻61号>=
【東海道新幹線 品川新駅】
10月1日東海道・山陽新幹線白紙ダイヤ改正は、〔のぞみ〕大増発・料金大幅値下げに加えて、品川新駅がホットな話題だ。
最大のメリットがあるのは、渋谷・蒲田・新川崎・東急各線・京王井の頭線方面から乗る場合で、東京まで行かなくてよくなったため、品川〜東京の往復時間がまるまる助かる。もちろん、品川の新高層ビル街やホテルはいうまでもない。〔のぞみ〕が1時間に2〜4本は停まるし、自由席も3両新設されたので利便性も十分だ。品川から名古屋までは最速列車だと1時間32分、新大阪は2時間26分、岡山は3時間15分、広島は3時間50分、博多でも4時間57分で着く。
意外なのが千葉方面からの利用だ。今までは東京で、地下ホームから高架ホームまでのえっちらおっちらが必要だったが、品川で乗り換えれば実質3分くらいでOK。なにせ、総武快速線と直通している横須賀線ホーム(13・14番線)のすぐ向こうの同じ目の高さに、新幹線ホームが見える。山手・京浜東北線へ乗り換えるよりも近いかんじだ。〔成田エクスプレス〕の品川停車も増えたので、成田空港とのアクセスにも品川乗り換えがおすすめである。
また、人数や乗車日・乗車区間、指定か自由席かなどに応じて、お得な切符が多数用意されている。9月30日までとがらっと変わっているので注意。詳しくは、『スパなび』トップ画面上部右よりの「おトクなきっぷ」ボタンをクリックし、自分の目的地の「地方」を選び、「東海道・山陽新幹線の回数券」「東海道・山陽新幹線の回数券(その2)」などの切符名を選んで確認を。
なお、時刻表本誌(JTB大型時刻表)には、特別企画として、「のぞみ停車全15駅発車時刻表」を、新幹線頁の直前に綴じ込んである。切り離すと、定期入れに納まるサイズとなる。
最後にクイズ。品川停車の〔のぞみ〕〔ひかり〕〔こだま〕では、どれが一番本数が少ないでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その42)■ =2003年10月20日(月)発行 <通巻63号>=
【JR東日本の「グリーン料金」はおトク】
昨年の12月1日から、JR東日本内相互間の「特急・急行用グリーン料金(新幹線を含む)」が期間限定(1年間)で値下げとなったが、今年12月1日以降も引き続き、このおトクな料金が継続されることとなった。規則所定では、100キロまで1,240円、200キロまで2,670円、400キロまで4,000円、600キロまで5,150円、800キロまで6,300円、800キロ超7,440円なのが、100キロまで1,000円、200キロまで2,000円、300キロまで3,000円、300キロ超4,000円と、千円札単位のきっちり値段でわかりよく、400キロを超えた遠距離はめちゃ安い(300キロ超〜400キロのグリーン料金のみは値下げ前と同額の4,000円)。
さらに、東北新幹線と山形新幹線・秋田新幹線が直通している区間(直通列車でなく、乗り継いでの利用も可)においては、所定では列車ごとにグリーン料金を計算しないといけないが、通しの営業キロで計算できるとのおマケも付いている。例えば東京〜盛岡〜秋田で〔はやて〕のグリーン車から〔こまち〕のグリーン車に乗り継いで利用した場合、所定では5,150+2,670=7,820円となるが、通しの営業キロ662.6kmに対する4,000円と、所定の約半額でOKだ。ただ、途中駅で改札から外に出た場合は「下車」扱いとなり、この特例は消え、グリーン料金を改めて払う必要が生じてしまうのでご注意を。
料金の細かいことをいうと、グリーン車に乗る場合の特急料金は自由席相当の値段だから、普通車指定席(通常期で自由席の510円増し)と比べると、その差は思ったより小さい。なお、JR東日本から他のJR会社にまたがって乗車の場合(例えば大船〜三島、青森〜函館、長岡〜富山)や、特急「成田エクスプレス」、東海道・山陽新幹線にはこの特例料金は適用されず、所定料金が必要となる。快速・普通列車用のグリーン料金と、グリーン個室料金も対象外である。
最後にクイズ。年末に、東京から八戸まで〔はやて〕、八戸から〔つがる〕に乗り継いで弘前までグリーン車で行くとすると、乗車券、特急券、グリーン券の合計はいくらになるでしょうか? また、普通車指定席と比べてその差は?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その43)■ =2003年11月20日(月)発行 <通巻64号>=
【さようなら 可部線 (可部〜三段峡)】 46.2キロの車窓
2003年秋の、とある土曜日。博多から、国鉄時代のエース、0系のこだまに乗って広島駅に降り立つ。可部(かべ)線の列車内で食べるため「広島おまかせ寿し」を買い込み、ホームへ。
廃止寸前の可部線。ガランとした車内で駅弁を広げる…予定だったのだが、やってきた列車はロングシートの通勤型電車、しかも、土曜日だというのに車内は背広姿のサラリーマンや制服姿の高校生でごった返している。さすがに廃止されずに残る広島―可部間は生活感のある活気に満ちている。
それでも、可部から三段峡行のキハ28に乗り換えると、乗客はほとんど「乗りおさめ」に来たであろう人だけになる。鉄道ファンばかりでなく、若い頃からずっと可部線にお世話になってきたという思い出話をするお年寄りの姿も目立つ。
河戸から、トンボが一匹のりこんできた。やっと「広島おまかせ寿し」の蓋が開けられた。可部から三段峡まで、蛇行する太田川を渡ること11回、トンネルをくぐること20回。雄大な自然を映し続けてきた46.2キロの車窓。都会では味わえない安心感。目をこらすと、坪野駅のすぐ先には、国鉄営業キロが2万キロに達したことを記念する石碑がたっているのが見える。ほとんどの駅に、列車のすれちがい設備の跡や使われなくなったホームがあるのもわかる。開業時に寄せられた、沿線の大きな期待と、その後の営業存続のための努力が伝わってくる。河戸から同乗していたトンボは、いつのまにか下車していた。
11月30日日曜日。可部線可部―三段峡間は34年間という、意外と短い歴史に幕を下ろす。後ろ髪をひかれる思いで、東京行き最終のぞみ500系に乗り換える。その最後の瞬間まで、いつもとまったく変わらずに走りつづけるであろう可部線を想像しながら。 (編集部 大内 学)
《補足》 可部線横川―可部間は明治末に「大日本軌道広島支社」という私鉄が軌道で開業した古い区間だが、1936(昭和11)年9月1日鉄道省に買収された。このときまでに、軌道から鉄道に変更(路線の改築も実施した)し、「広浜(こうひん)鉄道」という名前になっていたが、これは可部から先を延長し山陰本線の浜田と結ぶ計画があったためである。しかし、同年に安芸飯室まで11.1km、戦後の1946(昭和21)年に布(ぬの)まで2.4km、1954(昭和29)年3月30日に加計(かけ)まで18.5km延ばしたところ(このとき2万キロを突破し国鉄全線が20,007.8kmとなる)で停滞し、1969(昭和44)年7月27日にやっと14.2km先の三段峡まで60.2kmが開通したが、ここから先に延びることはついぞなかった。当時は三段峡の1駅手前の戸河内(とごうち)まで貨物列車が走っていたが、1978(昭和53)年には可部以北の貨物は廃止となり、1984(昭和59)年には可部以南も廃止され、旅客列車だけが走る線となった。可部以南は電車だが、以北は非電化で、可部―加計間にはSLの引く客車も走っていたことがある。加計以北の線路は一番最近に建設しただけあって、ひときわ立派であった。広島駅新幹線口から可部線に沿って北上し、三段峡駅手前で分かれて峠を越え、山陰本線益田までのバスが走っている。『スパなび』にはこのバスと、もっと東の方を走る浜田行きも収録している。
最後にクイズ。可部線の途中駅に、私鉄との連絡駅がある。何駅か?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その44)■ =2003年12月22日(月)発行 <通巻68号>=
【あいうえお順 駅名索引】
12/20(土)発売になった1月号本誌の新春特別企画として、付録(巻頭黄色の頁)34〜51ページの18頁に、「あいうえお順 駅名索引」を掲載しました。対象は、本文p65〜p769に収録の、JR線と第3セクターの全駅、大手私鉄有料特急停車駅です。本文の掲載頁も入れたので、列車の時刻を調べるのに便利。同一駅であっても、運転系統路線別に複数収録(本文で複数箇所に出てくる場合、その掲載トップ頁をすべて収録)しているのが特色です。例えば上野駅なら、東北新幹線、上越新幹線、東北本線、高崎線、常磐線、常磐快速線、成田線、山手線、京浜東北線といった具合。
この索引の駅名データを、デジタル(カンマ区切りテキスト・6474レコード・5597駅)で、愛読者の皆様にネット上にて、2004年1月中旬よりダウンロード販売(価格・税込29,800円)いたします。詳しくは、「るるぶ.com グッたいむBBSニュース」 http://www.rurubu.com/forum/news.asp?Menu=List にてご案内しております。
この付録51ページ下には、「駅名雑学」として、駅名で遊べるヒントをたくさん掲載していますが、ここでは、別の駅名遊びをクイズとして出題いたしましょう。
次の駅名の書き方は、どこか違っています。正確にはどう書くべきでしょうか?
(1)八王寺 (2)取鳥 (3)伊予大州 (4)お茶の水 (5)五稜閣 (6)宇佐見
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その45)■ =2004年1月26日(月)発行 <通巻69号>=
【ごめん・なはりこちゃんマップ をゲットしよう】
南国土佐高知県は、海岸線から山並みまでが迫っていて、その間に町が連なっている。高知の東方の、その名もズバリ南国市(なんこくし)の後免(ごめん)駅を起点として、斜め右下へと海岸線を快走する土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」42.7kmには20の駅があるが、ここには11の市町村がひしめく(2市7町2村)。この11と近隣の4町村を合わせた15自治体がつくる「ごめん・なはり線活性化協議会」(〒784-8501 安芸市矢ノ丸1丁目4-40安芸市役所内)が「ゴトゴトマップ」を作成した。
昔の鉄道地図のような、バタバタバタと折りたたんだ形式で、オモテがイラスト地図、ウラがウォーキング地図となっている。高知県香美郡香北町(かみぐんかほくちょう)出身の、やなせたかしさん作のイメージキャラクター20人がふんだんに登場し楽しい。後免=ごめんえきお君、後免町=ごめんまちこさん、夜須=やすにんぎょちゃん、和食=わじきカッパ君、伊尾木=いおきトラオ君、安田=やすだアユ君、田野=田野いしん君、奈半利=なはりこちゃん など。
ウォーキングモデルコースは、昨夏の暑いさかりに実際に現地を歩いて、しなびた野菜状態になって作成したという。このこだわり「ゴトゴトマップ」(21×11×0.8センチ)のゲット方法だが、ごめん・なはり線に関する意見・感想を記入(様式不問)し、返信用切手(160円相当)を貼った長3サイズの封筒を同封して、協議会事務局宛郵送すればよい(1人1回限り。提供1部)。但し、部数に限りがあるので、先着500名まで。
また、同線をサポートする「ごめん・なはり線友の会」会員も募集中。第1号会員はやなせさんの由だが、これらの詳しい情報は、「ゴトゴトWeb」 http://www.gomen-nahari.com/ を。
筆者は、ごめん・なはり線が開業した2002年7月1日の翌8月に、初乗りとともに、安田駅から安田川を遡った馬路村(うまじむら)も訪れた。かつて安田川と奈半利川には森林鉄道が延々と伸び、高知杉を搬出していたのだが、その跡の望見と、馬路村内に2箇所ある森林鉄道の忘れ形見の乗車が目的であった。狭い道をひた登る路線バスはマイクロで1日数便のみ。高知の山はさすが険しい。奥の1箇所は行きそびれてしまった。ここで見つけた「ごっくん」という清涼飲料水は、歩き回ったのどにじつに爽やかであった。横浜に帰ってきて、近所のマーケットで「ごっくん」に思いがけず再会したときは、山の香りが蘇った。
最後にクイズ。高知県内には、市がいくつあるでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その46)■ =2004年2月20日(金)発行 <通巻70号>=
【九州新幹線】
昭和50(1975)年3月10日、山陽新幹線岡山〜博多間が開業し、新幹線が九州に乗り入れた。このとき、東京〜博多間の所要は、開通前の10時間25分が6時間56分と3時間半の短縮となり、九州が日帰り圏に入った。
現在の2004年に飛んで、3月12日(金)東京発6時で検索すると、東京06:00→〔のぞみ1号〕→10:58博多11:05→〔L特急つばめ9号〕→八代通過12:43→鹿児島中央(正確にはこの日まで西鹿児島)14:52となり、博多までは所要4時間58分(同じ新幹線ながら29年前より2時間短縮している)、鹿児島までは8時間52分である。 なお、デフォルトだと航空路線も含めて検索されるので、トップ画面の「条件指定」で「空路を利用する」のチェックをはずしてサーチするとよい。
翌日のダイヤ改正日3月13日(土)東京発6時で検索すると、東京06:00→〔のぞみ1号〕→10:58博多<ここまでは変更無し>11:10→〔L特急リレーつばめ9号〕→12:46新八代12:49→九州新幹線〔つばめ9号〕→鹿児島中央13:28で、鹿児島までの所要は7時間28分、約1時間半の短縮だ。折り返し、13:49発の〔つばめ12号〕に乗れば、なんと21:30には東京に着いてしまう。鹿児島に2時間以上滞在して、15:45発の〔つばめ16号〕に乗っても、23:26には東京に戻って来られるのである。東京から西鹿児島まで、急行に24時間乗り続けてもまだ着かなかった時代と比べると、正に夢物語のようだ。
なお、検索する場合のウラ技を紹介しよう。「出発駅」東京、「到着駅」東京、「経由駅」鹿児島中央と設定して検索ボタンを押すと、上記の、東京06:00→13:28鹿児島中央13:49→東京21:30の乗り継ぎが、1回で調べられる。ただ、検索が多少重くなるのはやむをえない。
最後にクイズ。東京から東北新幹線で北に向かい、北海道のどの駅(特急停車駅)まで日帰りで行けるでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その47)■ =2004年3月19日(金)発行 <通巻72号>=
【つばめ、翔ぶ。】 九州新幹線〔つばめ〕は5代目
3月13日(土)から、九州新幹線が走り始めた。南半分だけの開業ながら、海沿いの曲がりくねっていた区間を直線の新幹線に置き換えたため、時間短縮効果は抜群。博多〜鹿児島中央の所要が4割も減少し、約2時間10〜40分で到達するダイヤとなった。JR九州ではHPの中に「TSUBAME-NET」 http://www.jrkyushu.co.jp/shinkansen/index.html という特別コーナーを作る力の入れよう。乗りもまずまずで、見学だけの入場券の売り上げも予想外という。
ところで、この〔つばめ〕という列車愛称名は、じつは5代目なのだ。1930(昭和5)年10月1日に東京9:00→神戸18:00、神戸12:25→東京21:20で結んだ(東京〜大阪は8時間20分)特急〔燕〕が初代。改正前より2時間半も短縮し「超特急」といわれた。東京〜国府津は電化されていたが、このときは全区間SL(C51)の牽引であった。4年後に丹那トンネルの完成で現御殿場線経由から熱海経由となり、東京〜大阪8時間ジャスト、これが戦前の最速レコードとなった。
戦中に特急は全廃され、やっと1949(昭和24)年9月15日、東京〜大阪に〔へいわ〕の名前で特急が復活した(所要9時間)。この名前は短命で、早くも翌年1月1日から改称され、2代目特急〔つばめ〕となった。漢字が平仮名に変わったことになるが、テールマークは戦前も平仮名書きであった。但し、戦前は文字が縦一列、戦後は斜めに配置されているのがミソ。翌年8時間運転と戦前の水準に戻り、1956(昭和31)年11月19日東海道本線全線電化で7時間30分となった(全線EF58電気機関車牽引)。翌々年の電車特急〔こだま〕が成功し、1960(昭和35)年6月1日に〔つばめ〕も電車化され、東京〜大阪6時間30分となったが、列車最後尾の一等展望車(マイテ)が姿を消した日でもあった。
この2代目〔つばめ〕は1964(昭和39)年10月1日の東海道新幹線開業で廃止され、3代目〔つばめ〕新大阪〜博多となった(所要9時間10分)。翌年、名古屋〜熊本が運転区間となる。1972(昭和47)年3月15日の山陽新幹線岡山開業で〔ひかり〕とともに西へ飛び、岡山〜熊本・博多に変わる。翌年、西鹿児島(現鹿児島中央)へも足を伸ばす。そして、1975(昭和50)年3月10日の博多開業に至り、ついに〔つばめ〕の名前は消えてしまった。
そののち空白の17年を経て、1992(平成4)年7月15日のJR九州のダイヤ改正で、博多(門司港)〜西鹿児島の特急〔有明〕が〔つばめ〕と改称されて、4代目として甦った。この787系電車は、鉄仮面と通称されるメタリックな外観だけでなく、かつての「つばめガール」を彷彿とさせる「つばめレディ」を乗務させるなどソフト面にも意を用いた、トータルデザインのたまものであった。
そして、真打ちたる5代目、新幹線〔つばめ〕の登場となるわけだが、JR九州の車両は一貫して水戸岡鋭治氏がデザインを手掛けている。このいきさつは、3月26日(金)発売の、下記弊社新刊における、元JR九州会長石井幸孝氏と水戸岡鋭治氏との対談に詳しい。
増田浩三 編著
単行本 『栄光の超特急<つばめ>物語』
−日本の鉄道のファーストレディ「つばめ」「はと」の記憶−
248ページ(うち8ページはカラー)/定価 1890円(税込。本体1800円)
ISBN4-533-05234-7 C0095 JTB出版事業局刊
ご購入は、書店か、弊社サイト『るるぶBookWeb』にて、
http://book.rurubu.com/search/book_detail.asp?isbn=4533052347
最後にクイズ。鹿児島本線に現在走っている特急の列車愛称名を、すべて挙げてください。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その48)■ =2004年4月20日(火)発行 <通巻74号>=
【帝都は遠くなりにけり】 営団地下鉄から東京メトロへ
東京付近のメジャーな私鉄(公営も含む)といえば、東武鉄道、西武鉄道、京成電鉄、京王電鉄、小田急電鉄、東京急行電鉄、京浜急行電鉄、相模鉄道、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)、東京都交通局(東京都営地下鉄・都電)といったところだが、命名の由来は結構古びている。東武・西武は東武蔵、西武蔵だし、相模は旧国名そのままだ。京成は東京〜成田、京王は東京〜八王子、京浜は東京〜横浜、小田急は小田原急行の略記である。
ここで「帝都高速度交通営団」と来ると、戦前のかおりプンプンとなる。それもそのはず、1941(昭和16)年9月1日に、浅草〜新橋の「東京地下鉄道」と、渋谷〜新橋の「東京高速鉄道」の2つが一緒になり発足した会社名だったのだ(現在の銀座線)。「東京地下鉄道」は東洋初の地下鉄として、1927(昭和2)年12月30日、浅草〜上野間で創業した会社だ。
この「帝都高速度交通営団(Teito Rapid Transit Authority)」が、4月1日から「東京地下鉄(株式会社)(Tokyo Metro Co.,Ltd.)」(愛称「東京メトロ」)に社名が変わり、サインマークも「S」(Subway)から「ハートM」(Metro)に衣替えされた。『スパなび』でも、「営団銀座線」を「メトロ銀座線」のように表記を変えている。現行は政府と東京都の二者が株主(出資者)だが、いずれ完全民営化され、6年後2010年度には株式も上場されるという。
ただ、「東京地下鉄」という名称は「東京にある地下鉄」という一般名称のように読めてしまうので、「東京地下鉄道」という創業時の名前に復すれば誤解を生じなかったような気もする。なお、「高速度」は地上をゴトゴト走っていた路面電車に対するもので、快速運転をする路線という意味合いではない。現在も銀座線は、全列車が各駅停車となっている。
じつは京王電鉄も、1998(平成10)年7月1日改称するまで、「京王帝都電鉄」が正式名であった。これは営団とは事情が異なる。新宿〜東八王子(現京王八王子)を中核とする旧「京王電気軌道」と、渋谷〜吉祥寺を走る(現井の頭線)旧「帝都電鉄」(1933(昭和8)年開業)が戦時中に、小田急、京急などとともに「東京急行電鉄」(いわゆる大東急)となり、戦後の1948(昭和23)年6月1日に解体された際、小田急系列であった旧「帝都電鉄」が、別系列の旧「京王電気軌道」と合体し、その名も「京王帝都電鉄」となったのである。
その証拠はレールの幅(軌間(きかん))に今も残り、京王線系統は1372mm(都電や都営新宿線と同じ)だが、井の頭線は小田急と同じ1067mm(JR在来線と同じ)だ。かつて、帝都電鉄と小田急線との間には渡り線もあったという。
ともあれ、これで鉄道会社名からは「帝都」の文字が完全に消えた。運輸関係ではタクシーで、「帝都」を含む会社名がいろいろ見つかるが・・・。意味的には「首都」と同じコトバであるが、「帝都」は非常にインパクトの強い命名であった。
最後にクイズ。東武東上線(池袋〜寄居)の、「東上」の命名の由来は?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その49)■ =2004年5月25日(火)発行 <通巻78号>=
【根岸線40周年】 40年前の5月19日、桜木町〜磯子が開業
「根岸線」といってもカゲがうすい。「京浜東北線」と運転系統が一体化しているので、大宮〜東京〜大船の81.2kmをまとめて「京浜東北線」といってしまうヒトも多い。『スパなび』でもこの表記のみで大宮〜大船間を表しているが、正確には、横浜から大船の間22.1kmは「根岸線」なのであります。
「根岸線」は、大都市の真ん真ん中を走っているのに歴史は新しく、1964(昭和39)年5月19日の桜木町〜磯子の7.5kmを手初めに、1970(昭和45)年3月17日磯子〜洋光台4.6km、1973(昭和48)年4月9日洋光台〜大船8.0kmと伸びて、やっと22.1kmが全通しています。
明治時代に全通した東海道本線は山寄りの戸塚経由だが、そもそもこの建設の時から比較線としてノミネートされており、やっと「桜大線」の建設線名で40年前に日の目を見たものです。当時は貨物線のバイパスが建設理由の主たるものであったのに、今や沿線の団地族の足として、横浜市民に無くてはならない線となっています。武蔵野線や京葉線の経緯と似ていますね。
ところで、「根岸線(横浜〜磯子)」の名前が誕生したのは桜木町〜磯子が開業した1964年。それではそれまでの横浜〜桜木町2.0kmはどうなっていたかというと、行き止まりの盲腸区間なのに、堂々東海道本線の一部だったんです。「東京・神戸間、鶴見・横浜港間、横浜・桜木町間、大垣・美濃赤坂間、東灘・神戸港間及び貨物支線」というのが「日本国有鉄道線路名称」による東海道本線の正式区間なのでした。「大垣・美濃赤坂間」は今でも東海道本線の一部です。
桜木町駅は、1872(明治5)年日本初の鉄道「新橋〜横浜間」の横浜駅(1代目)そのもの。1887(明治20)年西へ延伸されたときには、桜木町から元来た道を戻り、斜めに保土ケ谷方向へ進むV字形で建設され、このときは途中駅であったが、のちに現横浜駅付近経由の直通線にルート変更された結果、1駅だけの盲腸線区間として取り残されていたもの。
この「根岸線」の名前が生まれた1964(昭和39)年10月には東京オリンピックが開催されており、また東海道新幹線が開業した月でもあって、わずか40年前というか、もう40年も経ってしまったというべきか・・・
最後にクイズ。根岸線に乗り入れている「横浜線」の正式区間は?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その50)■ =2004年6月21日(月)発行 <通巻79号>=
【国境のトンネルを抜けると相模の国だった】
横浜駅(1代目。現桜木町)から西へ向かって、1887(明治20)年7月11日、当初単線で延伸された東海道本線は、程ケ谷(現保土ケ谷)を過ぎると築堤で少しずつ登りつめ、清水谷戸(しみずがやと)トンネルをくぐって現東戸塚駅の方に出るルートを選定した。東海道本線の特急や普通電車(湘南電車)が現在も走る上り線単線トンネルは、この時建設されたトンネルが今も使われており、なんとわが国最古の現役鉄道トンネルとのこと。このトンネルの真上の山が、武蔵(むさし)と相模(さがみ)の国境である。
1928(昭和3)年3月31日にこのトンネルの山側に増設された貨物線(現横須賀線)は、もっと低い位置にだいぶ長めの複線トンネル(品濃トンネル)を掘り、国境を越えている。貨物列車は重いので、勾配がきつくなるのを避けたのだ。明治時代には長大トンネルは大変な工事であり、高みまで登って少しでも短く掘るルートを選んだものだといわれているが、このことがよく実見できる区間だ。
さらに山側にある複線トンネル(猪久保トンネル)は、1979(昭和54)年10月1日開業の貨物線で、東海道新幹線新横浜駅付近の横浜羽沢(はざわ)駅(貨物駅。戸籍上は旅客駅)を通る遠回りルート。鶴見までの16.0kmが完全別線となっており、ほとんどが地下というすごいルートは一見の価値あり。ここには〔湘南ライナー〕上りが、明るい時間帯の朝に走っているので、乗車券(青春18きっぷでもOK)とライナー券500円を用意すればばっちり体験できる。但し土曜・休日はお休みなのでご注意を。
国境のトンネルから東戸塚駅までの間は、湘南電車と横須賀線が少し離れているが、この間に挟まれた島状の土地に「肥田(ひだ)牧場」があり、乳牛さんが飼われている。横須賀線の車窓から気を付けていると、「MILK」と黒字で描かれた赤茶の小さい屋根がちらっと見える。肥田さんでは、1942(昭和17)年秋から乳牛生産を始めて親子三代になるとのことで、東戸塚駅前「オーロラシティー」の高層ビル群と好対照をなしている。一昨年7月に、牧場の敷地のはじっこに、絞り立てミルクを使った直営の「アイス工房メーリア」が開店した。
6/19(土)午後久しぶりに、東戸塚駅ホーム横浜寄りから望める山小屋風店舗に寄ってみた。駅から徒歩3分ほどだが、はじめてだとちょっと迷うかも。むしむし天気に千客万来で、三人の女性店員がてんてこ舞いの盛況であった。付属のウッドデッキは横須賀線と貨物線の線路にオープンで接しており、電車を眺めながら撮りながらアイスをなめるのも乙かも。
最後にクイズ。武蔵の国の範囲は、どの都県までか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その51)■ =2004年7月20日(火)発行 <通巻81号>=
【山陽新幹線〔ひかりレールスター〕】
〔ひかりレールスター〕はJR西日本ご自慢の山陽新幹線看板列車で、「ひかり号」のうち、700系車両8両編成の列車の愛称です。時刻表本誌で、列車名〔ひかり353〕、注記で「〔ひかりレールスターで運転〕」のように記載している列車です。『スパなび』では、「JR山陽新幹線下り 新幹線ひかりレールスター353」のように表記しています。
通常「ひかり号」は16両編成ですが、〔ひかりレールスター〕は8両編成で、グリーン車は連結されていないものの、 指定席5両(4〜8号車)が「2列シート+2列シート」となっており、従来の「2列シート+3列シート」よりもゆったりで、グリーン車にも引けを取らないやや幅が広めの座席です。さらに、指定席の「4号車」は「サイレンスカー」といい、発駅と着駅以外での車内放送は入らず、また車内改札用のきっぷホルダーが座席前のポケットに設けてあり車内検札時にいちいち起こされる心配がありません。指定席の「8号車」の半分(新大阪行きだと先頭になる)は「普通個室(4人用個室)」です。個室単位の発売ですが、4人で利用するならふつうの指定席4人分と同額でおトクです。なお、自由席3両(1〜3)は「2+3列シート」なので、お間違えなきよう。
〔のぞみ号〕より停車駅が若干多いので所要時間はその分かかりますが、途中駅での〔のぞみ号〕の通過待ちがほとんどありません。料金は通常の〔ひかり号〕の特急料金と同額で、新大阪〜博多で〔のぞみ号〕より300円安となります。正式な列車名はあくまでも〔ひかり○○○号〕なので、きっぷの券面も〔ひかり○○○号〕とのみなっています。駅の電光掲示板では〔ひかりレールスター〕のマークを使用しており、車内放送では〔ひかり○○○号レールスター博多行き〕のように案内していますが、念のため、指定席をとる前に、時刻表や『スパなび』でご確認ください。
この〔ひかりレールスター〕はJR西日本管内(新大阪〜博多)だけを走る列車なので、東京〜新大阪間には走っていません。座席がゆったりしている反面、その分だけ席数も少ないため、平日、土曜休日を問わず指定席が混雑しており、出発間際での指定席確保は難しいようです。早めに指定席をゲットしましょう。
最後にクイズ。博多→新大阪を〔ひかりレールスター〕に乗り、新大阪で改札の外に出ないで、新大阪→東京の〔のぞみ号〕に乗り継いだ場合の特急料金は、どのように計算されるでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その52)■ =2004年8月25日(水)発行 <通巻83号>=
【10月は改正ラッシュ】 JRだけでなく、私鉄の予定もたくさん!!
今号で、10月16日(土)の、JR東日本・東海・西日本ダイヤ改正のうち、特急の時刻を先行して掲載いたしましたが、ことしの10月は、私鉄も改正ラッシュです。現在判明しているものだけでも、以下のように目白押しです。なお、対応次第、臨時号を発行してお知らせして行く予定です。
●10月6日(水) 名古屋市営地下鉄
※「名城線」の名古屋大学〜八事(鶴舞線と連絡)〜新瑞橋(あらたまばし)5.6kmが延伸全通し、地下鉄初の環状運転を開始します。一周26.4km、48分。
※運賃は最短経路で計算するため、現行より安くなる区間がたくさんあります。
※名城線が乗り入れる「名港線」と、環状線を東西に貫く「東山線」もダイヤ改正します。
●10月6日(水) 名古屋臨海高速鉄道(あおなみ線)
※JR名古屋駅隣接の名古屋駅から、真南の金城ふ頭(きんじょうふとう)駅までの15.2km、11駅の新線。もともとJR貨物(戸籍上はJR東海の線路)の貨物線(正式名称「東海道本線」、通称「西名古屋港線」)だったのを、複線・電化して、国際展示場(ポートメッセなごや)の真ん前まで延伸し、旅客営業を開始するもの。
※名古屋市、愛知県、JR東海が主要株主。第一種鉄道事業。
※10月号時刻表本誌から、広義の3セクとして、JR線頁に1ページ使って全列車を掲載予定。
●10月16日(土) JR改正がらみで、乗り入れしている「りんかい線」などや、接続している私鉄各社がダイヤ改正予定。
●10月17日(日) 西鉄
※天神大牟田線の西鉄久留米〜花畑〜試験場前〜津福が、高架線に切り替えとなるため。
※花畑駅が特急・快速急行・急行列車の停車駅となります。
●10月19日(火) 東武 野田線
※東岩槻〜春日部4.3kmと、新鎌ケ谷〜鎌ケ谷1.9kmの複線化が完成するため、スピードアップと増発。
●10月19日(火) 東急 田園都市線・大井町線、メトロ 半蔵門線
※田園都市線の夜間下り(中央林間方面)の混雑緩和のため、急遽増発実施。
なお、11月以降も、11月26日(金)の京都市営地下鉄東西線の延伸や、12月1日(水)の東京モノレールの第2旅客ターミナルビル直下への延伸などなどがあり、目が離せません。
最後にクイズ。名古屋市営地下鉄名城線の「地下鉄初の環状運転」は、都営地下鉄大江戸線のごとき「6の字形の環状運転」は含めず、ぐるっと回って元に戻る形の単純な環状運転を指していますが、このような「環状運転」は、JRに2箇所、私鉄に1箇所あります。どこでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その53)■ =2004年9月18日(土)発行 <通巻84号>=
【東海道新幹線開業40周年 (その1) 】 40年前の試運転試乗記
新幹線開業間近の1964(昭和39)年8月下旬のある日、時刻表編集部員一同、試運転列車に試乗の機会を与えられた。朝早く東京駅の真新しい19番ホームへ集合。やがて入ってきたピカピカの0系電車の大きさに感激。なでさする御仁も1人ならず。1等車(現グリーン車)のドア枠は金色、ステンレス板を切り抜いた「1」の等級表示が、車体のブルーによくマッチしていた。で、そこから乗ったもののゴールドイエローの大きなシートにはビニールがかぶせられ、横目で眺めるだけで2等(普通車)の、これもビニールがかかったままの青い座席に座る。どうも一般の試乗列車ではなかったらしく、車内では何かテストもおこなわれていた。飲食は遠慮で、喫煙などもってのほか。まだ在来線では珍しい冷房が心地よい。
「スジはこだまよりちょっとかかりますよ」とのこと。車窓の視点が高く、始めは思ったより速度感がなかった。しかし風景が車窓に迫るところでは、やはりその速さはそれまでの在来線にはないものだった。圧巻だったのは、掛川付近で並走した東海道線の下り電車を並ぶまもなく追い抜いた時で、「おー!」と一同改めて高速を実感。
また、何かのテストか静岡駅西方のカーブで徐行したときには車体が大きく傾き、カントの大きさに驚いた。「食堂車の飲み物大丈夫かな」「ここで停まることはまずないでしょう」の声。地平ホームの豊橋構内では老いたSLのC50が入換えに活躍中で、新幹線が煙にまかれる一幕も。各駅のホームは最後の仕上げの最中で、もちろん売店はやっていないから空腹でも我慢、ガマン。関ヶ原越えはあっという間で、151系の特急「つばめ」でも速度が落ちた区間だけに「速いねえ!」。
13時をだいぶ回った頃京都着。折り返しまで2時間弱の休憩。まだ古いままだった駅の食堂で「ここ京都だよねえ。この時間で日帰りだからすごいよ」。と大ベテランの先輩が感に堪えないように言う。
復路は所定ダイヤだったのか、0系は快調に走った。途中でとっぷりと日が暮れたが、沿線は現在より灯火が少なく、駅付近以外はひたすら闇の中を疾走していたような気がする。ついこの間のようだが、もう40年も前のことになった。 (時刻情報編集部 赤澤 良久)
《補足》 1964(昭和39)年10月1日の開業当時のダイヤは、時刻表10月号本誌の付録16〜17ページに再録したが、これを見ると、超特急〔ひかり〕で東京〜新大阪間4時間ジャスト(名古屋・京都のみに停車)、特急〔こだま〕で5時間ジャスト(各駅に停車)であった。ちなみに、この前日までの在来線特急〔こだま〕・〔つばめ〕・〔はと〕(151系電車)は、東京〜大阪間が6時間半だったので、日帰りはできるものの、結構きつかった。1年1ケ月後の翌年1965(昭和40)年11月1日改正で、〔ひかり〕3時間10分、〔こだま〕4時間にスピードアップされる。
<用語の説明> 0系(ゼロけい)=新幹線電車の車両の形式。新幹線用電車はこの0系から始まった。 スジ=列車ダイヤのこと。 カント=カーブ区間をスムーズに通過できるよう、外側の線路を内側より少し高くするが、その数値。 地平(ちへい)ホーム=高架でない地上にあるホームをいう。東海道新幹線では豊橋駅のみ。
最後にクイズ。東海道新幹線(東京〜新大阪間)で開業時には無かった駅が5駅あります。どこでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その54)■ =2004年10月20日(水)発行 <通巻89号>=
【東海道新幹線開業40周年 (その2) 】 40年前の東京駅の表情
東海道新幹線開業の、1964(昭和39)年10月号「時刻表」の東海道本線東京口を眺めてみると、まだたくさんの優等列車が残っていたのに驚かされる。新幹線が30分間隔で26往復(うち「ひかり」は14往復)と少なく、全車指定席であったこともあろうが、昼行の特急こそ消えたものの、中~長距離の急行~準急が数多く走り、中間駅への需要の旺盛さを物語っている。むしろそれまでの「つばめ」などの特急が新幹線に置き換わっただけの感じで、当時の新幹線はまだ特別の存在だったということが言えようか。
夜行列車も大半が健在で、夜の20時台に長距離急行がきびすを接して発車するのは壮観である。中距離準急では「東海」のほか、現行の「踊り子」に引き継がれている伊豆への温泉列車が多数出ていて、現在より修善寺行が多いのが目を引く。急行「伊豆」は新幹線開業まで特急として使われていた157系電車を転用、グレードアップしたため、伊豆方面では初の急行となったもの(後に特急「あまぎ」となる)。準備のため11月からの運転となっている。
また地味な存在だが長距離普通列車も数多く顔を見せており、そのうちの名古屋行、姫路行、大阪行の3本は、EF58型の牽(ひ)く客車列車である。新幹線のかげに、古き良き時代の"汽車"も、まだ健在だった。
以下に新幹線開業後も東京駅にがんばっていた列車たちのうち、主なものを発車時刻順に列挙してみた。まだまだ東海道在来線の全盛時代が終わっていないことが感じられる。 (時刻情報編集部 赤澤 良久)
発車時刻/種別~列車愛称名/行 先/備 考
5:20/★長距離普通列車/名古屋
6:57/「準急」日本平/静 岡/臨時・休日運転
7:20/「準急」東海1号/名古屋
8:06/「準急」東海2号/大 垣
8:30/「急行」六 甲/大 阪
8:33/「準急」はまな1号/浜 松
8:54/「急行」第1伊豆/修善寺~伊豆急下田/11月1日から運転
9:06/「準急」東海3号/名古屋
10:00/「急行」いこま/大 阪
11:00/「急行」霧 島/鹿児島
11:30/★長距離普通列車/名古屋/客車列車
12:10/「準急」おくいず/伊豆急下田
12:20/「急行」なにわ/大 阪
12:30/「急行」雲仙~西海/長崎~佐世保
12:57/「準急」第1あまぎ/修善寺~伊豆急下田
13:15/「準急」第1いでゆ/伊東~修善寺/修善寺行は休日運転
13:25/「準急」いこい/修善寺~伊東/土曜運転
13:34/★長距離普通列車/大 垣
14:00/「急行」よ ど/大 阪
14:03/「準急」第2あまぎ/修善寺~伊豆急下田/土曜運転
14:32/「準急」はつしま/熱 海/土曜運転
14:35/「急行」高千穂/西鹿児島/日豊本線経由
14:46/「準急」第2いでゆ/修善寺~伊東
14:56/「準急」ながら/大 垣/臨時列車
15:00/★長距離普通列車/姫 路/客車列車
15:20/「急行」第2伊豆/修善寺~伊豆急下田/11月1日から運転
15:50/「準急」東海4号/大 垣
16:00/「準急」湘南日光/伊 東/日光発
16:35/「特急」さくら/長 崎
16:50/「準急」東海5号/大 垣
18:20/「特急」みずほ/熊 本
18:30/「特急」あさかぜ/博 多
18:36/「準急」はまな2号/豊 橋
19:00/「特急」はやぶさ/西鹿児島
19:05/「特急」富 士/大 分
19:50/「急行」出 雲/浜 田
20:00/「急行」那 智/紀伊勝浦
20:10/「急行」さぬき/宇 野
20:20/「急行」能 登/金 沢
20:30/「急行」安 芸/広 島/呉線経由
20:40/「急行」銀 河/神 戸
21:00/「急行」瀬 戸/宇 野
21:20/「急行」はりま/姫 路/臨時列車
21:30/「急行」明 星/大 阪
21:40/「急行」金 星/大 阪
22:00/「急行」月 光/大 阪
22:35/「急行」第2いこま/大 阪/臨時列車
22:45/「急行」大和~伊勢/湊町~和歌山市~鳥羽
23:00/「準急」東海6号/大 垣
23:30/★長距離普通列車/大 阪/客車列車
最後にクイズ。上記の50本の列車のうち、どれが一番、長距離を走っていたでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その55)■ =2004年11月22日(月)発行 <通巻93号>=
【東海道新幹線開業40周年 (その3) 】 40年前のビュフェのメニュー
特急といえば、食堂車があるのが当たり前だった時代――10月1日(1964(昭和39)年)開業する新幹線にも食堂車、という話が出たようですが、東京〜新大阪間〔ひかり〕4時間(1年1ケ月後の本ダイヤでは3時間10分)、〔こだま〕5時間(同4時間)ということで、軽食の「ビュフェ」に落ち着いたようです。
当時の時刻表誌面に残る、開業当時のビュフェのメニュー(抜粋)をのぞいてみましょう。
コールミートランチ/350円
洋朝食/150円
オードブル/150円
コールチキン/200円
コールビーフ/200円
コンビサラダ/150円
ハムサラダ/150円
ミックスサンド/200円
パン(バター付き)/30円
トースト(バター付き)/30円
チーズクラッカー/50円
コーヒー/50円
ハムサンド/150円
ランチA/500円
ランチB/400円
ランチC/300円
スパゲティー/200円
カレーライス/150円
スープ/100円
ライス/30円
エビフライ/250円
うなぎ/300円
ポークカツ/180円
ボックスランチ/300円
ライスが30円となっているので、今なら150〜250円くらいと考えて、物価が約5〜8倍になった勘定でしょうか。ちなみに、当時の東京→新大阪の運賃は1180円でした。現在は8510円なので、こちらは7.2倍になっています。
さて、最後にクイズ。現在、食堂車かビッフェの付いている列車を、すべて挙げてください。残念ながら、現在の新幹線にはどちらも付いておりません。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その56)■ =2004年12月20日(月)発行 <通巻97号>=
【国電百年】
私の子供時代には、列車で移動することを「汽車に乗る」と言ったが、今ではディーゼルカー(気動車)も含め「電車に乗る」という言い方が一般的となってしまっている。
1872(明治5)年、汽笛一声新橋は、もちろんSLで始まった。1895(明治28)年2月1日京都駅〜伏見間の竹田街道上に開業した京都電気鉄道(のち京都市電北野線)が電車の初めだが、道路上の併用軌道である「路面電車」で、車両も1両であった。
1889(明治22)年4月11日新宿〜立川間で開業した「甲武(こうぶ)鉄道」は、1895(明治28)年4月3日には飯田町(いいだまち。現水道橋のちょっと新宿寄りにあった。のち貨物専用駅)〜八王子間となっていた。1904(明治37)年8月21日、この内の飯田町〜新宿〜中野間が電化され、SLと併用ながら電車が走り始めた。同年12月31日には御茶ノ水まで、電車専用の新線が延長されている。弊社の最寄り駅市ケ谷にもこの電車が停まったのは、ちょっとうれしい(駅の開業は1895(明治28)年3月6日)。これが専用軌道かつ本格的な幹線鉄道としては初めての電車である。1〜2両連結で新宿までは10分間隔であった。なお、東京まで全通したのは1919(大正8)年3月1日である。
これより前の1906(明治39)年10月1日、甲武鉄道は鉄道国有法のトップを切って買収され、鉄道作業局「中央東線」となった。のち、鉄道院→鉄道省→日本国有鉄道(国鉄)と変遷したので、これに合わせ「院電(いんでん)」「省電(しょうでん)」「国電(こくでん)」と名前も変わった。このため、甲武鉄道の電車が「国電」の元祖とされる。今年8月21日に百年を迎えた。
戦前では、東京・大阪付近のごく近距離で頻繁運転するのが電車の活躍舞台であり、下駄替わりということで「ゲタ電」とも呼ばれた。中・長距離電車としては、戦後1950(昭和25)年3月1日、東京〜沼津間の電気機関車牽引の普通列車を置き換えた80系電車(通称「湘南(しょうなん)電車」)がさきがけである。当初は故障が多く「遭難電車」と陰口をたたかれもしたが、1958(昭和33)年11月1日には特急〔こだま〕がデビューするまでになった。この技術的蓄積が1964(昭和39)年10月1日の東海道新幹線として結実するのである。在来線もSLから電車または気動車に置き換える無煙化が強力に押し進められた。1987(昭和62)年4月1日国鉄からJRになる直前の3月23日、電化区間が皆無だった四国にも電車が走った。こののちもJR電化区間は増えつづけ、最近では小浜線や加古川線などのローカル線まで電化され、もうめぼしいところは残っていないかんじである。
JRになったとき、「国電」の名称も問題となった。JR東日本では「E電(いーでん)」という新しい名前を創作したが不評で、いつしか消えてしまった。どうも現在に至るも適当なコトバが無いようで、「国電」の命脈も尽きていない。『時刻表』本誌では、民営化時、巻末の山手線や京浜東北線、大阪環状線、阪和線などの「国電区間」の表記を、「東京近郊区間」「大阪近郊区間」に改めた。この「近郊区間」はわかったようではっきりしない言い方で、私などは「国電区間」のままでよかったのではと、思わないでもない。みなさんはいかがでしょうか。
さて、最後にクイズ。無煙化が完成し、SLの定期列車がなくなったのはいつだったでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その57)■ =2005年1月25日(火)発行 <通巻99号>=
【さよなら 寝台特急〔あさかぜ〕〔さくら〕】
3月1日(火)のダイヤ改正を機に、東京と下関を結ぶ寝台特急「あさかぜ」と、同じく東京と長崎を結ぶ寝台特急「さくら」が廃止となります。両者とも国鉄時代からの伝統ある列車で、今回の廃止は新聞にも取り上げられ、古くからの旅行・鉄道ファンにとっても衝撃的な出来事となりました。
「あさかぜ」は1956(昭和31)年11月19日の白紙ダイヤ改正にて、東京―博多間を直通する寝台専用列車として誕生しました。当初は一般の客車だけの編成で、同時にデビューした昼行の特急「つばめ」「はと」のモスグリーンの車両から見れば地味なものでした。しかしダイヤは東京と山陽・九州を直結することに主眼を置き、初めて大阪地区を深夜に通過するという当時では考えられなかった画期的な列車でした。
1958(昭和33)年10月1日、「あさかぜ」は20系と呼ばれる専用のデラックス客車に衣替えし、ここにブルートレインの元祖としての地位が築き上げられました。当時の編成は13両で、のちには2等寝台(今のA寝台)が多くを占め、「動くホテル」というニックネームもつけられました。この列車の人気はすさまじく、なかなか寝台券が取れない列車でもありました。そのためシーズンには救済列車として同区間に「さちかぜ」という列車が増発され、これがのちの特急「さくら」となっていきます。松本清張氏の小説―点と線で、東京駅の4分間の空白でこの「あさかぜ」を見通せることがトリックの焦点となったことはよく知られています。
「あさかぜ」は好調に走り続け、日本の高度成長を支えていきました。1968(昭和43)年には東京―博多間に2本目の「あさかぜ」が誕生し、さらに1970(昭和45)年には、東京―広島間の急行「安芸」を格上げ・延長する形で東京―下関間に3本目が増発されています。実は現在残っていた「あさかぜ」は、この3本目の列車がルーツなのです。3往復体制でしばらく推移した「あさかぜ」ですが、1975(昭和50)年の東海道・山陽新幹線博多開業に伴い、1往復が廃止され、さらに老舗の東京―博多間の1往復が1994(平成6)年12月に廃止され、残った1往復が現在まで走り続けてきました。
一方前述の「さちかぜ」は定期化して東京―長崎間となり、列車愛称名も「平和」となっていましたが、これを1959(昭和34)年に20系化し、装いも新たにデビューしたのが「さくら」です。ただしこの「さくら(櫻)」という名前は、1929(昭和4)年9月15日、東京―下関間の特急として、「富士」とともに誕生したところまでさかのぼることができ、まさに日本の列車愛称名の第1号という由緒あるものです。「さくら」も東海道ブルートレインの一翼を担い、順調に走り続け、1965(昭和40)年には佐世保行を併結するようになり、この佐世保編成が日本最後のSL牽引特急ともなりました。今も定期列車としては最長距離を走り、映画やテレビの舞台としても活躍し、食堂車ではチャンポン・皿うどんが食べられる列車として、特に観光客に人気の高い列車でした。しかし1999(平成11)年佐世保行の廃止とともに東京―西鹿児島(現鹿児島中央)間(後に東京―熊本間)の「はやぶさ」と東京―鳥栖間で併結されるようになり、わずか数両の編成からはかつての面影はうすれる一方でした。
航空機や高速バスなどに押されながらも、ブルートレインの風格を保ちながら現在まで走り続けてきた寝台特急「あさかぜ」「さくら」ですが、利用客の減少には勝てず、まもなくその生涯を閉じます。しかしここまで走り続け、多くの旅人の夢を育み、ビジネスマンや観光客の足として果たしてきた役割は絶大で、その偉大な足跡はいつまでも色あせないものとなるでしょう。
さて、最後にクイズ。1930(昭和5)年10月1日、「富士」「さくら(櫻)」についで誕生した特急の列車愛称名は、何だったでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その58)■ =2005年2月21日(月)発行 <通巻102号>=
【時刻表本誌にQRコード登場】 肥薩おれんじ鉄道の携帯サイトにひとっ飛び
最近、携帯電話で話題の「QRコード」とは、日本の会社である(株)デンソーウェーブにより開発された、マトリックス型二次元コードです。バーコードが一方向(一次元)の情報なのに対し、縦横の二方向(二次元)に情報を持て、数字・英字だけでなく漢字やバイナリデータも埋め込め、かつ、高速読み取り「Quick Response」(QR名称の由来)が可能なコードです。
3月号時刻表本誌の453ページ右下、肥薩おれんじ鉄道の頁をご覧ください。時刻表本誌の歴史始まって以来の「QRコード」を印刷してみました。13ミリ四方で、誤読み取りを防止するため周り2ミリを空けました。
この「QRコード」を、対応している機種の携帯電話で読み取る(撮影する)と、肥薩おれんじ鉄道の携帯専用サイト http://www.hs-orange.com/mood/index.cgi に一気に飛べちゃうという仕掛けです。
※パソコンからのサイト http://www.hs-orange.com/index2.html と異なる
校正刷り段階(ふつうのコピー用紙)での読み取りテストでは問題なかったものの、時刻表本誌の実際の紙に印刷した結果は未知数で心配でしたが、問題なく携帯でアクセスできました。今月は、B4判(定価1050円)の内容そのままをA4判に拡大した「大きな時刻表」第8号(A4判。定価1300円。季刊)も発行しており、これでは15ミリ四方に拡大となりますが、これもノープロブレムでした。
「QRコード」の左上、右上、左下の3箇所に、□の中に■が入った記号(切り出しシンボル)がありますが、右下にはありません。このシンボル3つで位置検出をしているそうで、1つでも汚れているとアウトだとのこと。ただ、中身の白と黒の正方形(セル)については、15%程度の汚れや破損であれば、誤り訂正機能が働き、問題なく読み取れるとのことです。コントラスト(濃淡)が重要なため、色付きの用紙(色紙)でなく、白い用紙への印刷がおすすめだそうです。
さて、最後にクイズ。肥薩おれんじ鉄道で、土曜・休日に運転されている「観光列車」の列車愛称名はなんでしょうか(下りと上りで名前が変わります)。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その59)■ =2005年3月22日(火)発行 <通巻107号>=
【時刻表80年のあゆみ−1】 時刻表前史から終戦まで
JTBパブリッシング発行の『JTB時刻表』は、大正14年(1925)4月1日、日本旅行文化協会翻刻発売『汽車時間表』(231ページ、定価50銭)としての創刊以来、今年で80周年を迎えます。これもひとえに読者の皆様のおかげであり、ここに深く感謝いたします。これにちなみ、「時刻表」の歴史を、時刻表前史やおもなダイヤ改正も含め、振り返ってみました。
明治5.5.4(太陽暦1872.6.9) 品川―横浜(現桜木町)間鉄道仮開業(明治5.5.7(太陽暦1872.6.12))に先立ち、工部省鉄道寮が駅構内などに「鉄道列車出発時刻及賃金表」を掲出 〈時刻表のはじめ、非売品〉
明治5.9.12(太陽暦1872.10.14) 新橋(のち汐留)―横浜間鉄道の開業式挙行
明治5.12.3(太陽暦1873.1.1)を、明治6.1.1とする改暦を実施
明治6.9.―(1873年) 新橋―横浜間の各駅で、鉄道貨物運輸賃銭表と列車時刻表を販売(記録のみ) 〈市販時刻表のはじめ〉
明治16.7.26(1883年) 7.2発刊されたばかりの「官報」に、初めて「日本鉄道上野熊谷間汽車時刻表」を掲載(7.28開業)
明治22.7.1(1889年) 東海道線(新橋―神戸)全通 直通1往復 下り20時間5分運転
明治24.9.1(1891年) 日本鉄道上野―青森間全通 直通1往復 下り26時間25分運転
明治27.10.5(1894年) 東京の庚寅新誌社(こういんしんししゃ)「汽車汽船旅行案内」10月号(四六判・192×128mm、94ページ、6銭)創刊。この後毎月刊行 〈本格的な月刊時刻表のはじめ〉
明治34.5.27(1901年) 山陽鉄道神戸―馬関(現下関)間全通 直通最急行 12時間35分運転
明治40.6.1(1907年) 東京の博文館より「鉄道汽船旅行案内」(菊判・214×150mm)(明治44.6月号で200ページ、10銭)創刊
明治45.3.12(1912年) ジャパン・ツーリスト・ビューロー設立。外国人訪日客の誘致・斡旋が目的 〈JTBの創業記念日〉
明治45.6.15(1912年) 新橋―下関間に初の特急列車 下り所要25時間8分
大正3.12.20(1914年) 東京駅開業
大正4.1.―(1915年) 庚寅新誌社、交益社、博文館の3社が合併し、旅行案内社設立、「公認汽車汽船旅行案内」(四六判、10銭)創刊。表紙のデザインから「三本松の旅行案内」と親しまれる
大正12年頃(1923年) 鉄道省運輸局編纂「列車時刻表」発行開始(業務用)
大正13.2.22(1924年) 丸ノ内の鉄道協会において「日本旅行文化協会」発会
大正13.4.1(1924年) 日本旅行文化協会、月刊雑誌「旅」創刊(菊判、40銭)
大正14.4.1(1925年) 日本旅行文化協会から鉄道省運輸局編纂「汽車時間表 附汽船自動車発着表」4月号を翻刻発売(201×227mm、231ページ、50銭) 〈「JTB時刻表」創刊号〉
大正15.8月号(1926年) 「汽車時間表」新書判(185×110mm)に縮小し、値下げ(339ページ、30銭)
大正15.11.25(1926年) 日本旅行文化協会を「日本旅行協会」に改称
昭和3.4月号?(1928年) 35銭に値上げ
昭和3.11.7(1928年) 第三種郵便物認可
昭和4.9.15(1929年) 公募により特急に〔富士〕、〔桜〕と命名 〈列車愛称名のはじまり〉
昭和5.4.1(1930年) メートル法施行で哩程(まいるてい)を粁程(きろてい)に改める
昭和5.10.1(1930年) 超特急〔燕〕(東京―神戸)運転開始(下り9時間、上り8時間55分運転)
昭和6.7月号?(1931年) 「汽車時間表」25銭に値下げ(昭6.4月号では35銭)
昭和7.4月号(1932年) 「汽車時間表」拡大(創刊号判型と縦横逆)(227×208mm)
昭和9.10.1(1934年) 社団法人ジャパン・ツーリスト・ビューローと日本旅行協会が合併、「社団法人ジャパン・ツーリスト・ビューロー(日本旅行協会)」となり、「旅」「汽車時間表」継承
昭和9.12.1(1934年) 丹那トンネル開通、東海道本線は熱海経由に
昭和14.4月号(1939年) 「汽車時間表 附汽船自動車航空路発着表」を「時間表」に改題。菊判(210×150mm)に縮小、25銭を30銭に改訂
昭和16.8.1(1941年) 「社団法人ジャパン・ツーリスト・ビューロー(日本旅行協会)」を「社団法人東亜旅行社」に改称
昭和17.11月号(1942年) 24時間制実施(10.11)に伴い、11月号から24時間表記に変更。「時間表」を「時刻表」に改題
昭和17.11.15(1942年) 関門トンネルに旅客列車運転開始(前記11月号に収録)
昭和17.12.8(1942年) 社団法人東亜旅行社を財団法人に改組
昭和18.12.1(1943年) 財団法人東亜旅行社、財団法人国際観光協会を合併し、「財団法人東亜交通公社」に改称
昭和19年(1944年) 19年中のA5判全国版は5回(1〜5号)のみ発行
昭和20.7.1(1945年) 1枚ものの時刻表を発行(通巻236号。但し237号とすべきだったか)
昭和20.9.1(1945年) 財団法人東亜交通公社を「財団法人日本交通公社」に改称。「時刻表 1号」発行(通巻238号、A5判224ページ、1円)、20年中の全国版はこれ1回のみ
さて、最後にクイズ。明治5.5.7の、日本最初の鉄道、品川―横浜間仮開業の日、何往復のダイヤだったでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その60)■ =2005年4月20日(水)発行 <通巻110号>=
【時刻表80年のあゆみ−2】 終戦直後から昭和42年(創刊500号)まで
昭和21年(1946年) 21年中のA5判全国版は、2月(通巻243号、208ページ、5円)、8月(通巻249号、224ページ、10円)、12月(通巻251号、224ページ、10円)の3回のみ発行。このほか、主要線のB5判(横長の三つ折りフォルダー式。16〜20ページ)の時刻表を、地方版も含め細々と発行(毎月は出ていない)。旅行雑誌「旅」11月号より復刊(5円)
22.1.4(1947年) 深刻な石炭不足で、4往復残っていた急行列車全廃(普通列車のみとなる)、2等車連結停止。通巻251号発売後、この告知を投げ込み追録として発行している
22.4.24(1947年) 急行列車、2等車復活
22.6月号(1947年) 全国版の「主要駅時刻表」(通巻255号、B6判64ページ、12円)。この後、「主要駅時刻表」(B6判64ページ)を毎月発行
22.10月号(1947年) 3色刷り折り込み線路図が復活
22.12月号(1947年) 12月号を2冊発行。全国各駅掲載の「大型特集号」(通巻261号、最後のA5判時刻表。224ページ、40円)と、「主要駅時刻表」(通巻262号、B6判64ページ、20円)
23年(1948年) 3月号(通巻265号、232ページ、50円)、7月号(通巻269号、226ページ、70円)、12月号(通巻274号、236ページ、70円)の3冊のみ全国各駅掲載。他の月号は主要駅のみ(64〜98ページ)。いずれもB6判。12月号以降、全国各駅掲載を毎月発行(運輸省編集「時刻表」)
23.9月号(1948年) 鉄道弘済会本部事業部(のち弘済出版社)より、タブロイド版の「時刻表(全国版)」創刊(月刊)。24.2月号から冊子型となる
23.10月号(1948年) 交通案内社、「ポケット全国時間表」(A6変型)創刊(月刊)
24.6.1(1949年) 運輸省→公共企業体「日本国有鉄道(国鉄)」発足。7月号から、運輸省編集「時刻表」→国有鉄道編集「時刻表」に、9月号から日本国有鉄道編集「時刻表」に
24.9.15(1949年) 東京―大阪間に特急〔へいわ〕9時間登場(特急、食堂車復活)。9月号から(列車愛称名は10月号から)掲載(9・10月号とも、241ページ、90円)
25.1.1(1950年) 〔へいわ〕を〔つばめ〕と改称
25.3.1(1950年) 東京―沼津間に湘南電車運転開始。3月号から「電」と注記あり。グラビア復活(2ページ)、「山旅は愉し」
25.5.11(1950年) 東京―大阪間特急〔はと〕増発(9時間)。6月号で掲載
25.10.1(1950年) 〔つばめ〕〔はと〕8時間に
25.10月号(1950年) 交通案内社、「日本時間表」(A6判)創刊(月刊)
25.10月号(1950年) 日本交通公社、A6判の日本国有鉄道編集「全国時刻表」(132ページ、30円)創刊(月刊)、大小2本建てとなる。大型(通巻296号、B6判298ページ、80円)のグラビアに「ミスつばめ」「ミスはと」(25.6.1から乗務)を、営業案内に「主要旅客列車編成」を掲載
26.4月号(1951年) 日本国有鉄道編集「時刻表」→日本国有鉄道監修「時刻表」に
27.4.1(1952年) 駐留軍専用列車を「特殊列車」(急行)とし、一般旅客に発売。5月号から掲載
28.3.15(1953年) 京都―博多間に特急〔かもめ〕登場(10時間40分)。3月号(308ページ、90円)で掲載
28.6月号(1953年) 定価90円を100円に(328ページ)。営業案内に「全国主要列車の利用状況」掲載開始(〜36.9月号まで)
30.2.1(1955年) 周遊券発売開始
31.11.19(1956年) 東海道本線全線電化(東京―大阪間7時間30分)。東京―博多間に特急〔あさかぜ〕登場(17時間25分)。12月号(418ページ、100円)で掲載
32年(1957年) 「旅」32.2〜33.1月号に、松本清張作「点と線」を連載
32.7月号(1957年) 定価100円を120円に(422ページ)
33.10.1(1958年) 〔あさかぜ〕固定編成化(20系客車。ブルートレインの元祖)。東京―鹿児島間に特急〔はやぶさ〕(22時間50分)
33.10.10(1958年) 上野―青森間に特急〔はつかり〕登場(常磐線経由、12時間)。上野発の初の特急
33.11.1(1958年) ビジネス特急電車〔こだま〕(東京―大阪・神戸間2往復)登場(東京―大阪間6時間50分。ビュフェ付き)
34.7.15(1959年) 紀勢本線全通(国鉄最後の「本線の全通」)
34.7.20(1959年) 東京―長崎間特急〔平和〕を固定編成化し〔さくら〕と改称(20時間10分)
35.1月号(1960年) 準急以上の優等列車の時刻を太字で表記、時刻右側の太線は廃止
35.6.1(1960年) 〔つばめ〕〔はと〕を電車化(唯一の1等車、展望車廃止)、〔こだま〕ともども、東京―大阪間6時間30分に短縮
35.7.1(1960年) 列車等級1等を廃止、2・3等を1・2等に格上げ
35.12.10(1960年) 〔はつかり〕気動車化(気動車特急の始め)。上野―青森間下り11時間28分、上り11時間30分
36.10.1(1961年) 白紙ダイヤ改正。全国に特急網(18→52本)、急行も倍増。10月号より別冊「特急・急行・準急 ポケット時刻表」32ページを付ける(〜38.7月号まで継続)。定価120円を150円に(624ページ)
37.3月号(1962年) 列車番号にM(電車)、D(気動車)の記号を付ける(機関車牽引客車列車は数字だけのままとし区別が容易に)
37.5月号(1962年) 小型の「全国時刻表」をB6変形に拡大(定価60円は据え置き)
37.6.10(1962年) 北陸本線敦賀―南今庄間に、北陸トンネル開通
37.10月号(1962年) 日本国有鉄道監修「時刻表」→国鉄監修 交通公社発行「時刻表」に
38.8月号(1963年) 大型表紙にカラー写真を初めて使用。国鉄監修「交通公社の時刻表」に。巻頭頁に「特急・急行・準急列車早わかり」新設(〜39.9月号まで)
38.12.1(1963年) 財団法人日本交通公社から旅行・出版部門を分離し、「株式会社日本交通公社」設立 〈創立記念日とする〉
39.10.1(1964年) 東海道新幹線東京―新大阪間開業、〔ひかり〕4時間、〔こだま〕5時間(いずれも全車指定席)。山陽本線全線電化。10月号巻頭頁に「国鉄駅名早わかり」あ〜き(以下次号)掲載
39.10.10(1964年) 東京オリンピック開催(〜10.24)
40.9.24(1965年) 全国152駅と日本交通公社79支店に「みどりの窓口」(「マルス102」端末467台)。指定券は1週間前から発売
40.10月号(1965年) 国鉄全駅名に、ひらがなを併載
40.11.1(1965年) 東海道新幹線東京―新大阪間〔ひかり〕3時間10分、〔こだま〕4時間。新幹線乗り継ぎ割引開始
42.9.28(1967年) 新清水トンネル開通、上越線全線複線電化
42.10月号(1967年) 創刊500号(496ページ)。B6をB5判(現行の判型)に拡大し、定価180円に。表紙は世界初の電車寝台特急〔月光〕。索引地図3→4色刷り化。臨時列車を本文に掲載(これ以前は巻頭付録頁にまとめて収録していた)
さて、最後にクイズ。昭和39.10.1の、東海道新幹線開業の際、〔ひかり〕は何分おきだったでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その61)■ =2005年5月25日(水)発行 <通巻111号>=
【時刻表80年のあゆみ−3】 昭和43年から昭和62年(国鉄民営化直前)まで
昭和43.10.1(1968年) よんさんとお白紙ダイヤ改正。特急大増発、準急列車廃止。東北本線全線複線電化(上野―青森間〔はつかり〕8時間30分)。10月号(504ページ)表紙は「東北本線に初の電車寝台特急登場」(〔ゆうづる〕〔はくつる〕)
44.4.25(1969年) 東海道新幹線三島駅開業(新幹線初の新駅)
44.5.10(1969年) 1・2等級制廃止(1等車→グリーン車、2等車→普通車)、運賃改定。改定掲載の5月号が完成していたが、国会審議の遅れで急遽製本を壊して旧運賃の営業案内と差し替え5月号を発売。結局2冊の5月号を発行
45.3.15(1970年) 大阪で万国博開催(〜9.13。開会式は3.14)。〔ひかり〕12→16両化。3月号より定価200円に(512ページ)
45.9.1(1970年) 鹿児島本線全線電化
45.10.1(1970年) 「DISCOVER JAPAN」キャンペーン開始。11月号で告知
47.2.3(1972年) 札幌冬季オリンピック開催(〜2.13)
47.3.15(1972年) 「ひかりは西へ」山陽新幹線新大阪―岡山間開業(東京―岡山間4時間10分)。3月号に「特急列車時刻表」32ページを別冊で添付。特急の時刻の右側に太ケイ(太字はそのまま)。定価250円に(560ページ)
47.7.15(1972年) 総武快速線・東京地下駅開業。内房・外房線全線電化
47.10.2(1972年) 在来線の、数自慢、かっきり発車、自由席ありの昼行特急に「L特急」の愛称名付く(〔つばめ〕〔ひばり〕〔とき〕など9種に命名。「L特急マーク」は11月号から登場)。日本海縦貫線全線電化
47.10.10(1972年) 梅小路蒸気機関車館オープン(10.14 鉄道100年)
49.2.−(1974年) 近畿日本鉄道、「近鉄時刻表」創刊(A5判横長)
49.6月号(1974年) オイルショックで用紙高騰し、定価250円を350円に(560ページ)
49.12.11(1974年) 新幹線臨時総点検のため午前中運休。12月号にこの告知無し(50.1月号には、1.29、2.5、2.19の第2〜4回目の告知あり)。いずれも水曜日に実施
50.3.10(1975年) 山陽新幹線岡山―博多間開業(東京―博多間6時間56分)。北陸方面の特急を湖西線経由に。3月号より定価400円に(608ページ)
50.7.20(1975年) 沖縄海洋博開催(〜51.1.18。開会式は7.19)
50.12.14(1975年) 国鉄最後のSL牽引定期旅客列車(室蘭―岩見沢間)
51.2月号(1976年) 創刊600号(632ページ)。巻頭付録頁に「時刻表今昔」を5ページ掲載
51.4月号(1976年) 大型国鉄線部分、活版を電算写植(STC)化(〜6月号)。巻頭緑頁に「新幹線・エル特急・寝台特急・連絡早見表」を青と黒の2色刷りで掲載。定価450円に(632ページ)
51.11月号(1976年) 小型国鉄線部分をSTC化。B6判正規に拡大(300円)
53.5.21(1978年) 京成上野―成田空港間〔スカイライナー〕運転開始
53.10.2(1978年) ごーさんとおダイヤ改正。昼間全特急に自由席。特急列車に絵入りのヘッドマーク登場。列車愛称名の番号を下り奇数、上り偶数に統一。10月号表紙は、飴をなめながらホームにたたずむ小さな女の子。グラビアカラー化。定価500円に(660ページ)
54.1月号(1979年) 「車両シリーズ」(カラー)掲載開始(〜57.10月号まで)
54.5月号(1979年) 読者頁「おたのしみページ」を1→3ページに拡大、「たいむ・たいむてぇぶる」と命名
55.8月号(1980年) 用紙急騰のため、定価500円を600円に(676ページ)
55.10.1(1980年) 千歳空港駅開業、北海道ダイヤの中心が函館から札幌・千歳空港に。東海道本線湘南電車と横須賀線を分離
56.10.1(1981年) 「フルムーン夫婦グリーンパス」(2人で7万円。7日間)発売
57.3.1(1982年) 「青春18のびのびきっぷ」(4券片8000円。5日間)発売
57.6.23(1982年) 東北新幹線大宮―盛岡間開業(3時間17分)。上野―大宮間〔新幹線リレー〕が接続。5月号巻頭付録頁で速報
57.11.15(1982年) 上越新幹線大宮―新潟間開業(1時間45分)。11月号より「駅シリーズ」開始。定価650円に(710ページ)
58.10.23(1983年) 白糠線バス転換(第1次特定地方交通線転換第1号)
59.1.2月号(1984年) 「国鉄営業案内」モデルチェンジ、電算写植化、8ページ増(718ページに)
59.4.1(1984年) 三陸鉄道開業(第3セクター転換第1号)
59.4.20(1984年) 国鉄運賃改定。地方交通線に割り増し運賃制を採用。5月号営業案内に、幹線用、地方交通線用、東京・大阪の国電区間用、山手・大阪環状線内用の4本建ての運賃表が載ることになり、8ページ増(726ページに)
59.6月号(1984年) 創刊700号(726ページ)。グラビアに「鉄道の歴史と時刻表の変遷」8ページ掲載
59.10月号(1984年) ポケットサイズの「スピード時刻表<全国版>」創刊(320ページ、280円)。駅名・線名にローマ字を併記
60.3.14(1985年) 東北新幹線上野―大宮間開業(上野は地下駅)。東海道新幹線東京―新大阪間3時間8分(20年ぶりの短縮)。3月号より、索引地図の線路を、幹線黒色、地方交通線ブルーに色分け。巻頭緑頁に昼間の特急すべてを一覧掲載。定価690円に(766ページ)
60.3.17(1985年) つくば科学万博開催(〜9.16)
61.3.3(1986年) 東海道本線東京―熱海間で平日・休日ダイヤ採用(3〜10月号では休日ダイヤを巻頭付録頁に掲載)
61.5月号(1986年) 「ジョイフル・トレイン」シリーズ掲載開始
61.11.1(1986年) 国鉄最後のダイヤ改正。東海道新幹線東京―新大阪間2時間52〜56分。11月号より定価740円に(870ページ)
62.3月号(1987年) 国鉄監修「交通公社の時刻表」(870ページ、740円)
62.3.31(1987年) 国鉄最後の日
さて、最後にクイズ。昭和57.11.15の、上越新幹線開業の際、大宮から新潟まで、いくつの駅があったでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その62)■ =2005年6月20日(水)発行 <通巻114号>=
【時刻表80年のあゆみ−4】 昭和62年(国鉄民営化)から平成4年まで
昭和62.4.1(1987年) 「日本国有鉄道(国鉄)」を北海道・東日本・東海・西日本・四国・九州の6旅客鉄道と、日本貨物鉄道の7鉄道会社に分割・民営化。「JR(ジェイアール)」と通称
62.4月号(1987年) 国鉄監修「交通公社の時刻表」→「交通公社の時刻表」に(3.20発売。870ページ、740円)。別冊付録「あいうえお順日本の鉄道全駅一覧」(B5判96ページ)を添付。グラビア増ページ、新シリーズ掲載開始「日本100選シリーズ」(平成1.2月号まで)と「駅弁細見」
62.4月号(1987年) 「JNR編集時刻表」発刊、弘済出版社発行(3.20発売)。゛JNR″編集時刻表はこの1号のみ
62.5月号(1987年) グラビア新シリーズ掲載開始「乗り物風土記」(平成11.4月号126回まで)。巻末「旅館案内」に室数・特長を追加掲載(32ページ増)
62.5月号(1987年) 「JR編集時刻表」発刊、弘済出版社発行(63.5月号から「JR時刻表」となる)
62.6月号(1987年) 国際線航空ダイヤ(16ページ)を新掲載
62.7月号(1987年) 長距離バス路線を一括して掲載(902→926ページに)
62.12月号(1987年) 会社線ページを電算写植化(時刻表全頁の写植化達成)
63.3月号(1988年) 3.13JRグループ初のダイヤ改正。青函トンネル開通で津軽海峡線開業、寝台特急〔北斗星〕3往復運転開始、昼行乗り継ぎ上野―札幌間最短10時間52分。東海道・山陽新幹線5新駅開業、東京―新大阪間2時間49分に短縮。4.10瀬戸大橋線開業も本文に収録。とじ込み時刻表便利帳「全国タクシー料金案内」(内容は月替わり。63.10月号まで)。定価740→780円(926→966ページ)
63.8月号(1988年) 「JR時刻表」、本文JR線全頁の2色刷り開始
63.9月号(1988年) 表紙に海外初登場(〔セマウル〕)。9〜10月号巻頭付録頁に韓国鉄道庁の特急・急行時刻を特集(9.17〜10.2ソウルオリンピック)
63.10.1(1988年) CIで社名を「交通公社」から「JTB」とし、新ロゴとともに統一使用(正式社名は株式会社日本交通公社のまま)
63.11月号(1988年) 「JTB時刻表」に改題。発行所を「日本交通公社出版事業局」から「JTB日本交通公社出版事業局」に表記変更。グラビアで交通機関各社のシンボルマークを特集。とじ込み付録(16頁)で私鉄時刻表シリーズ開始、1回目は小田急(平成10.4月号105回京急まで)
平成1年(1989年) 横浜博など、全国15市で市制100年記念の博覧会開催
1.3月号(1989年) 3.11新幹線東京―博多間最短5時間47分。グラビア掲載開始「祭り行事イベント」(平成11.4月号まで)と「ステーションウォッチング」シリーズ(1回目は東京駅。平成9.8月号100回まで)。966→1056ページに。各線区の訂補又は改正月日表示を西暦に変更(2月号64.1.20訂補→3月号89.3.11改正)
1.4.1(1989年) 消費税導入でJR・会社線運賃料金に3%相当上乗せ
1.5月号(1989年) 消費税導入のため定価改定、780→800円(本体777円)(1056ページ)
1.7月号(1989年) 読者自由投稿を「グッたいむ」の名前で、本文欄外に縦書きで掲載開始
2.3月号(1990年) 3.10京葉線東京―新木場間開業。表紙は新木場駅空撮。1056→1072ページに
2.3.10(1990年) 営業キロの無かったほとんどの駅に営業キロ設定(国鉄時代の信号場・臨時乗降場・仮乗降場の計62駅)
2.4.1(1990年) 宮津線の第3セクター化と、鍛冶屋線・大社線のバス転換で、国鉄時代から持ち越しの「特定地方交通線」すべてが転換完了(総計83線、3157.2km)
2.4.1(1990年) 大阪で花博開催(〜9.30)(大阪市営地下鉄鶴見緑地線は3.20開業)
2.4.1(1990年) 山陽新幹線の車両基地回送線を活用して、博多南線(博多―博多南間)8.5kmが開業
2.5月号(1990年) 定価800→850円(本体825円)(1072ページ)
2.10.12(1990年) 新宿駅西口―天神バスセンター1161.8kmの夜行高速バス〔はかた〕2往復が開業(下り15時間10分、15000円、京王・西鉄)
2.12.20(1990年) ガーラ湯沢駅開業、上越新幹線上野から直通運転。スキーシーズンのみ営業
3.3.1(1991年) JR東日本がイオカード発売(3000円と5000円券)。山手線内各駅に「ストアードフェアシステム」導入
3.3月号(1991年) 3.16東海道・山陽新幹線ダイヤパターンを変更(東京00分発「速達ひかり」を04分発として混雑緩和)。〔さざなみ〕〔わかしお〕を京葉線経由に変更。3.19JR・京成の成田空港駅開業。JR東日本が〔成田エクスプレス〕を新設(東京から最短53分)。索引地図を電子版下化。1072→1136ページに
3.3.25(1991年) JR九州「ビートル」(ジェットフォイル)が博多港―釜山港間1往復運航開始(日韓共同運航。2時間55分)
3.5.6(1991年) 神田(千代田区神田鍛冶町3-3大木ビル)から渋谷(渋谷区道玄坂1-10-8渋谷野村ビル)に出版事業局移転
3.6.20(1991年) 東北新幹線東京―上野間開業(東京―盛岡間最短2時間36分、東京―新潟間最短1時間40分)
4.3月号(1992年) 3.14新幹線300系〔のぞみ〕2往復運転開始、東京―新大阪間2時間30分(全車指定席。ひかり料金+差額料金が必要)。〔のぞみ〕時刻を青字で表記
4.3.25(1992年) 「ハウステンボス」オープン(駅は3.10開業)
4.4月号(1992年) 背の表題文字を拡大。とじ込み付録「おもな新幹線の席番ご案内」(カラー。折り込み式)
4.5月号(1992年) 小型時刻表、通巻500号。この号のみ表紙別デザイン(東北本線下り花巻駅周辺の頁を拡大、東京からの営業キロ500.0を赤丸で囲んで強調)
4.7月号(1992年) 7.1山形新幹線開業(東京―山形間〔つばさ〕最短2時間27分。初の新在直通)。新千歳空港駅開業でJR北海道改正。7.15JR九州〔つばめ〕(787系)登場、7.23JR四国高松―伊予市間電化完成。新幹線を含め増ページ(1120→1136ページ)。NEWS、たいむたいむてぇぶるをレイアウト変更
4.10月号(1992年) 創刊800号(1136ページ)。この号のみ表紙別デザイン(白地に駅のスタンプと800の数字)。通巻800号記念クイズ4等100名様の賞品は特製オレンジカード千円券
4.12.3(1992年) JR東日本・京成の、空港第2ビル駅開業(ターミナルビルは12.6から)
さて、最後にクイズ。「千代田区神田鍛冶町」と「渋谷区道玄坂」は、何と読むでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その63)■ =2005年7月20日(水)発行 <通巻118号>=
【時刻表80年のあゆみ−5】 平成5年から平成11年まで
平成5.3.18(1993年) 新幹線300系〔のぞみ〕東京―博多間毎時1本運転開始(5時間04分)
5.4月号(1993年) 定価850→900円(本体874円)(1136ページ)。表紙は水郡線矢祭山駅の女の子ふたり(列車の無い写真)
5.10.26(1993年) JR東日本の200万株を初上場(JR初)
5.12.1(1993年) 青森行き寝台特急〔ゆうづる〕廃止、急行〔八甲田〕・〔津軽〕は多客期のみ運転の臨時列車に格下げ
6.7.15(1994年) 初のオール2階建て新幹線(E1系)2編成、東北・上越新幹線「Max」としてデビュー
6.9月号(1994年) 9.4関西国際空港開港。JR西日本〔はるか〕と、南海〔ラピート〕運転開始(関西空港駅は6.15開業)。1136→1152ページに
6.10.14(1994年) 「鉄道記念日」を、私鉄も含めた「鉄道の日」に衣更え
6.12.3(1994年) 第3セクター智頭急行開業(特急〔スーパーはくと〕大阪―鳥取間最短2時間34分)
6.12月号(1994年) 定価900→950円(本体922円)(1152ページ)
7.1.17(1995年) 5:46am「阪神・淡路大震災」発生
7.9.1(1995年) 大手私鉄14社と営団、同時に運賃改定
7.12.1(1995年) 東北新幹線東京―那須塩原間に〔なすの〕新設
8.1.10(1996年) JR北海道・四国・九州の3社、運賃改定。民営化後、消費税がらみ除き初めて(本州の3社は改定せず)
8.5月号(1996年) 6.1国内線航空運賃、年間同額→シーズン別運賃に
8.10.8(1996年) JR西日本の株上場(JR2番目)
9.3.8(1997年) JR東西線(京橋―尼崎間)開業、西明石・福知山線方面と直通運転
9.3月号(1997年) 3.22秋田新幹線開業(東京―秋田間〔こまち〕最短3時間49分)、第3セクター北越急行開業(東京―越後湯沢―特急〔はくたか〕―金沢間最短3時間43分)。山陽新幹線新大阪―博多間〔のぞみ〕1往復に500系(最高300km/h)運用開始(2時間17分)。1152→1168ページに
9.3.28(1997年) 10000円、5000円のオレンジカード、偽造対策として急遽発売中止(10.1.21利用停止)
9.4.1(1997年) 消費税率アップ(3→5%)でJR・会社線運賃料金改定
9.4.1(1997年) 交通印刷株式会社(印刷・製本)と、株式会社デンプロ(電算写植組版)が合併し「JTB印刷株式会社」となる
9.5月号(1997年) 発行所を「JTB日本交通公社」から「JTB」に表記変更。定価950→970円(本体924円)(1168ページ)
9.9月号(1997年) グラビア掲載開始「新ステーションウォッチングシリーズ「駅むかし語り」」(11.4月号まで)
9.9.29(1997年) JR東日本本社、丸の内(旧国鉄ビル)から新宿に移転
9.10.1(1997年) 長野行新幹線(正式には北陸新幹線。「行」の字は少し小さく表示)開業(東京―長野間〔あさま〕最短1時間19分)。並走の信越本線横川―軽井沢間廃止、軽井沢―篠ノ井間は第3セクターしなの鉄道に。東北新幹線は〔やまびこ〕〔なすの〕、上越新幹線は〔あさひ〕〔たにがわ〕に統一(〔あおば〕〔とき〕廃止)
9.10.8(1997年) JR東海の株上場(JR3番目)
9.11.29(1997年) 新幹線500系〔のぞみ〕3往復東京乗り入れ開始(東京―博多間最短4時間49分)
10.2.7(1998年) 長野冬季オリンピック開催(〜2.22)
10.4.1(1998年) 周遊券(ワイド・ニューワイド・ミニ・一般・グリーン)廃止。「周遊きっぷ」新設
10.6月号(1998年) 長野行新幹線→長野新幹線に表記変更
10.6.19(1998年) 「JTB時刻表ダイヤナビ」(CD-ROM版)発売開始
10.7.1(1998年) 「るるぶじゃぱん 1998年夏」を「JTB時刻表7月号臨時増刊(通巻870号、第74巻第8号)」として発行(定価350円(本体333円))。このため「JTB時刻表8月号」は通巻871号、第74巻第9号
10.7.10(1998年) 新型寝台電車特急〔サンライズ瀬戸・出雲〕運転開始
11.3.13(1999年) 新幹線700系〔のぞみ〕3往復運転開始(東京―博多間最短4時間57分)
11.5月号(1999年) グラビア連載開始「日本の旬」(12.5月号まで)
11.7.16(1999年) 上野―札幌間寝台特急〔カシオペア〕運転開始
11.8月号(1999年) 「JTBの全国小型時刻表」→「JTBのもち歩き時刻表」にモデルチェンジ(550円(本体524円))
11.9.18(1999年) 東海道新幹線0系最後の営業列車運転(東京16:31→名古屋〔こだま473号〕)
11.12.4(1999年) 山形新幹線山形―新庄間延伸開業(東京―新庄間〔つばさ〕最短3時間05分)
さて、最後にクイズ。第3セクター智頭急行の路線は、いくつの県にまたがっているでしょうか。また、智頭急行経由の特急は、いくつの府県にまたがって走っているでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その64)■ =2005年8月25日(木)発行 <通巻121号>=
【さよなら 寝台特急「彗星」】
10月1日のJRグループダイヤ改正で、京都―南宮崎間の寝台特急「彗星」が引退することになりました。
「彗星」は昭和43(1968)年10月1日、それまでの寝台急行「夕月」を格上げする形で新大阪―宮崎間に誕生しました。2年後の昭和45(1970)年には都城発着となり、さらに昭和47(1972)年3月には大分発着の列車が増発され2往復となります。その後も「彗星」はダイヤ改正のたびに増発を重ね、最盛期の昭和49(1974)年4月にはブルートレインと電車寝台あわせて5往復を数えました。当時「あかつき」や「明星」「月光」などとともに山陽本線夜行特急群の一翼を担い、旺盛な輸送需要に精一杯応えて走り続けました。
しかし新幹線博多開業や航空機の発達等により次第に勢力を弱めていき、昭和59(1984)年2月のダイヤ改正でついに新大阪―都城間の1往復となってしまいました。平成7(1995)年4月には運転区間が新大阪―南宮崎間となり、さらに平成12(2000)年3月には京都―南宮崎間となった代わりに京都―門司間が「あかつき」と併結となり、現在に至っています。かつて宮崎・南九州は新婚旅行のメッカの時代があり、「彗星」の車内が大勢のカップルで賑わったことも今では華やかな思い出です。
そもそも「彗星」の名前は東海道本線の伝統的な寝台急行列車に使われていた名称で、そのルーツは戦前に3等まであった時代の1・2等専用列車で、政治家や財界人などが愛用していた「名士列車」にまで遡ることができます。これは直接的には昭和24(1949)年に新しく命名された「銀河」となりましたが、翌昭和25(1950)年、「銀河」とともに走っていた東海道線の夜行急行の1本に「彗星」の名が付けられ、これが「彗星」の名前の初登場となりました。この「彗星」は「銀河」と同じく1・2等寝台を連結し、東海道の代表的な夜行急行として活躍しましたが、昭和31(1956)年にいったん不定期化されてしまいます。しかし翌昭和32(1957)年10月、東京―大阪間に初めて寝台専用列車(寝台車主体の編成で、1〜2両ある座席車もすべて指定席の列車)として設定された列車に「彗星」の名前が受け継がれました。列車番号はかつての名士列車と同じ17・18。この流れもあってか「彗星」には2等寝台(今のA寝台)が多く連結され、豪華な編成で夜の東海道を上下しました。さらに昭和37(1962)年には希少価値オシ16型ビュフェ車を連結するなど、新幹線開業前の東海道寝台急行群のエース的存在として活躍しましたが、昭和39(1964)年10月1日の東海道新幹線開業で廃止され、4年間の眠りに就いたのでした。
ブルートレイン最短の4ないし6両で走る現在の「彗星」の姿は、B寝台1人用個室(ソロ)は1両あるものの、B寝台のみのモノクラス編成。その伝統的な列車愛称名とかつての大活躍していた姿から考えれば寂しく映ることもありますが、こうやってふりかえってみると関西〜南九州間で新婚客やビジネスマンの輸送に果たした役割も偉大で、その功績はいつまでも長く語り伝えられることでしょう。
さて、最後にクイズ。10月1日以降の、東京・関西発の九州行き寝台特急を、すべて挙げてください。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その65)■ =2005年9月20日(火)発行 <通巻128号>=
【時刻表80年のあゆみ−6(完結)】 平成12年から平成17年(現在)まで
平成12.3.11(2000年) 「ひかりレールスター」(700系8両編成)、白い「かもめ」、〔スーパーはつかり〕、〔スーパー宗谷〕運転開始
12.4月号(2000年) 4.1国内線航空運賃改定(原則自由化)
12.5月号(2000年) 時刻表制作システムをSTC(エスティーシー)からSTEP(ステップ)へ。3誌同時にSTEP化。「JTBのもち歩き時刻表」(B6判)→「JTB携帯時刻表」(新書判)にモデルチェンジ(500円(本体476円))。グラビア掲載開始「旬の駅から小さな旅へ」(17.4月号まで)と「新のりもの風土記」
12.11.27(2000年) 渋谷から天王洲アイル(品川区東品川2-3-11JTBビル)に出版事業局移転(JTB本社ビルに初めて同居)
12.12月号(2000年) 定価970→1050円(本体1000円)(1152ページ)
13.1.1(2001年) 「株式会社日本交通公社」→「株式会社ジェイティービー」に正式社名を変更(当時はローマ字の正式社名不可だったため片カナ名称。通称「JTB」を引続き使用)
13.1月号(2001年) 創刊900号(1152ページ)。表紙は天王洲アイル駅付近の東京モノレール(バックは出版事業局のあるJTB本社ビル)。標題を金色で印刷
13.1.6(2001年) 運輸省+建設省など→国土交通省に
13.3.1(2001年) 弊社組織改正で、時刻表編集部→時刻情報編集部に
13.3.8(2001年) インターネット版デジタル時刻表『スパなび』創刊(会員登録すれば無料)
13.3.31(2001年) 「USJ」オープン(ユニバーサルシティ駅は3.1開業)
13.8月号(2001年) 弘済出版社「文字の大きな時刻表」創刊(季刊。15.1月号から月刊化)
13.11.18(2001年) JR東日本がICカード乗車券スイカ(Suica)導入(東京近郊区間424駅)
13.12.1(2001年) 弘済出版社と交通新聞社が合併、交通新聞社となる
13.12.1(2001年) 「湘南新宿ライン」誕生(横浜―新宿間最短29分)
14.3.23(2002年) 「大きな数字の時刻表」創刊(4.1発行。B5判、880円。季刊)。「携帯時刻表」4月号を拡大して制作
14.6.21(2002年) JR東日本の全株上場、純粋民間会社となる(JR初)
14.12.1(2002年) 東北新幹線盛岡―八戸間開業(東京―八戸間〔はやて〕最短2時間56分)。並走の東北本線は第3セクターIGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道に。上越新幹線〔あさひ〕→〔とき〕。JR東日本のL特急はすべて特急に
15.2.20(2003年) 「大きな数字の時刻表」(B5判)を「大きな時刻表」に衣替え(3.1発行。A4判、1300円。季刊)。大型時刻表3月号を拡大して制作(グラビアと巻末広告頁は無し)
15.10月号(2003年) 10.1東海道・山陽新幹線品川開業・白紙ダイヤ改正、〔のぞみ〕に自由席新設。表紙は品川駅空撮。「のぞみ」停車全15駅発車時刻表(定期入れサイズ)をとじ込み
15.11.1(2003年) JR西日本がICカード乗車券イコカ(ICOCA)導入(大阪近郊区間253駅)
15.12.4(2003年) 携帯電話「au(KDDI)」で経路検索「JTB乗換時刻表」をサービス開始(月額210円・税込)
16.1月号(2004年) 交通案内社「日本時刻表」「ポケット全国時刻表」最終号
16.3.12(2004年) JR西日本の全株上場(JR2番目)
16.3.13(2004年) 九州新幹線新八代―鹿児島中央間開業(〔つばめ〕最短34分)。並走の鹿児島本線八代―川内間は第3セクター肥薩おれんじ鉄道に
16.8.1(2004年) SuicaとICOCAの相互利用サービス開始
16.10.1(2004年) 株式会社ジェイティービー出版事業局→株式会社JTBパブリッシングとして独立。「JTB時刻表」の誌名はそのまま
16.10.23(2004年) 17:56「新潟県中越地震」発生
16.11.16(2004年) 天王洲アイルから市ケ谷(新宿区払方町25-5アーバンネット市ケ谷ビル)にJTBパブリッシング移転
16.12.1(2004年) 羽田空港第2ビル開業(東京モノレール延伸)
17.2.17(2005年) 中部国際空港開港。名鉄名古屋から「快速特急」最短28分(名鉄中部国際空港駅は1.29開業)
17.3.1(2005年) 寝台特急東京発長崎行き〔さくら〕、下関行き〔あさかぜ〕廃止
17.3.25(2005年) 愛知万博(愛・地球博)開催(〜9.25)(リニモは3.6開業、JR名古屋から万博八草への直通は3.1から)
17.3.31(2005年) JR東日本がイオカード発売終了
17.4〜6月号(2005年) 巻頭付録頁に「時刻表80年のあゆみ」(年表)を連載
17.5月号(2005年) グラビア掲載開始「小椋佳の世界遺産の旅」と「駅旅本線」。本文の頁表示をマイナス32としたため、1184→1152ページに(総頁数自体の増減は無し)
17.7月号(2005年) 特別付録「@日本の今を走る特急列車」(表)、「AJR全線全駅のりつぶし地図」(裏)を添付
17.7.19(2005年) 携帯電話「iモード(DoCoMo)」で「るるぶmobile」をサービス開始(月額315円(税込))開始
17.8月号(2005年) 特別付録第2弾「これは便利!「時刻表早引きシート」を添付。巻頭付録頁に「保存版!8月24日開業つくばエクスプレス全列車・全駅・全時刻表」掲載
17.8.24(2005年) つくばエクスプレス開業(秋葉原―つくば間最短45分)
17.9月号(2005年) カラー特別企画「秋の夜長を走るブルートレイン徹底紹介!」
17.10月号(2005年) カラー特別企画第2弾「日本縦断鉄道の日イベント攻略ガイド!」。「JTB時刻表」(通巻957号、1152ページ、1050円)
17.10.1(2005年) 寝台特急京都発南宮崎行き〔彗星〕廃止
※この「時刻表80年のあゆみ」は、2005年4〜6月号時刻表本誌の巻頭付録頁に、3回にわたって連載した年表に、若干付加したものです。ページ数は、巻末広告頁も含めた本文ラストの頁数(ノンブル)を表示しました。頁数の増減すべてを網羅していません(省略したところあり)。また、時刻表本誌は発行日(通常、月号の月の1日)の前月20日頃に発売となることが多いため、月号表記としました。
さて、最後にクイズ。このまま行くと、通巻1000号は、いつになりましょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その66)■ =2005年10月20日(木)発行 <通巻129号>=
【グリーン個室大幅値下げ】
JR東日本の首都圏の特急料金は「B特急料金」が適用されますが、〔成田エクスプレス〕と〔スーパービュー踊り子〕は割高の「A特急料金」適用列車です。
さらに〔成田エクスプレス〕のみはグリーン料金も割高で、100kmまで2550円、200kmまで2850円です。これが12月10日(土)のご乗車分から、一律2000円に値下げとなります。
<例1>横浜→成田空港間108.0km(実乗車キロは新川崎経由なので110.9km)で、グリーン車に乗ると、
12/9まで :運賃1890円+特急券1780円+グリーン券2850円=6520円也
12/10から:運賃1890円+特急券1780円+グリーン券2000円=5670円也
※横浜からグリーン車を連結していない〔成田エクスプレス〕もあるので注意!!
また、〔成田エクスプレス〕〔スーパービュー踊り子〕にはデラックスな4人用グリーン個室が付いていますが、各人の運賃・特急料金と1人当たり2950円の「グリーン個室料金」が必要で、かつ3人以下で利用の場合は不足人数分のこども運賃・特急料金・「グリーン個室料金」も必要でした。これが12月10日(土)ご乗車分から、実際に乗車する人の運賃・特急料金と1室6000円の「グリーン個室料金」だけで利用できるようになります。〔スーパービュー踊り子〕の伊豆急行線内については1室1500円加算となります(伊豆急行線内のみでのグリーン個室利用は不可)。今までは実際上、ひとりでの利用は考えられませんでしたが、この制度改正により、結構リーズナブルな値段でゴージャスな気分が味わえることになります。
<例2>東京→成田空港間79.2kmで、グリーン個室をひとりで利用すると、
運賃1280円+特急券1150円+グリーン個室料金6000円=8430円也
と、タクシーより安いかんじです。
<例3>東京→伊豆急下田間121.5+45.7kmでの、グリーン個室のひとり利用では、
運賃2210+1570円+特急券1670+400円+グリーン個室料金6000+1500円=13350円也
の計算となります。
グリーン個室の場合、別途グリーン料金は取られません。自由席特急料金相当額(通常期指定席料金の510円引き)に、グリーン個室料金を加算するだけでOKです。
閑話休題。来年2006年春より、JR新宿と東武日光・鬼怒川温泉の間に、6両編成の相互乗り入れ特急を走らせることが、昨年秋に発表されています。東武側は「スペーシア」を使用し、JR東日本も同等の特急型車両を用意するとのことですが、「スペーシア」には個室が付いていますので、これとの絡みもありそうです。
さて、最後にクイズ。この相互乗り入れ特急は、どこの駅が、JR東日本線と東武鉄道線との接点となるでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その67)■ =2005年11月21日(月)発行 <通巻133号>=
【禁煙から喫煙へ】
タイトルを見ると、世の中の動きと逆のようですが、時刻表本誌大型の「列車の編成ご案内」のページ(部内では通称「編成表」)の表記の、コペルニクス的変更なのです。
JR東日本では12月10日(土)ダイヤ改正より、比較的運転時間の短い、長野新幹線〔あさま〕、総武・房総方面の特急〔成田エクスプレス〕〔しおさい〕〔あやめ〕〔わかしお〕〔さざなみ〕を、全車禁煙とします。JR各社のどの列車も、ダイヤ改正などのたびごとに、禁煙車両が少しずつ増えて来ていました。国内・国際航空では、全面禁煙の会社が大部分となっています。
この流れを受け、本誌大型時刻表の「編成表」(1030〜1049ページ)を12月号から、禁煙車両にノースモーキングマークを表示していたのを、喫煙ができる車両のみ、号車番号を白抜き数字(○の中の数字部分が白く抜けている)とすることに改めました。つまり、白抜き数字の無い列車は、全席禁煙ということになります。
なお、食堂車は白抜きとなっていますが、時間帯により禁煙となることもあります。ご注意ください。
このように、本誌時刻表も日々進歩しています。一覧性、持ち運びの容易さなど、まだまだ紙の時刻表もすぐれた点が多々あります。どうか、本誌の改善にもご注目ください。
さて、最後にクイズ。編成両数の一番短い特急は何両でしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その68)■ =2005年12月20日(火)発行 <通巻136号>=
【JTB私鉄時刻表】 東西に分けて、全国私鉄を2冊で完全網羅!!
全国の鉄道会社全111社の、全線全駅全列車(平日・土休日とも)の時刻を、「東日本版」と「西日本版」の2冊に網羅し、12月20日(火)に発売しました。定価は各1,300円(税込)で大型版『JTB時刻表』本誌1月号と同じB5判、全国の書店さんで発売中です。
「東日本版」は北海道・東北・関東から中部地方(長野県、静岡県)までの57社、「西日本版」は名古屋圏・北陸地方から関西・中国・四国・九州・沖縄までの54社です。12月23日(金)の沖縄都市モノレール(ゆいレール)のダイヤ改正までを収録しています。但し、路面電車と舞浜リゾートライン(ディズニーリゾートライン)の時刻については平日初終電のみとし、本誌JR線頁に全列車掲載しているJR全線・第3セクターと、ケーブルカー・トロリーバス・ロープウェイは、原則省略しています。
他社発行による首都圏だけの時刻表や、各私鉄自社発行の時刻表は今までにもありましたが、全国くまなく全私鉄の時刻を、平日・土休日ダイヤの2パターンまで(京王井の頭線や阪急神戸線のように、平日・土曜・休日の3パターンの路線も)律儀に集大成した時刻表は、本邦初です。
掲載方は本誌JR線頁と同様です。駅名欄には駅名のよみ方と運賃計算のための最新の営業キロ(累計)も付記しており、こんなことも調べようとすると今までは結構大変だったので、資料としても重宝と思います。この累計営業キロで乗車区間のキロを求め、時刻欄の近くの「対キロ運賃表」に当てはめれば、おとなの普通運賃が求められます。加算運賃、特定運賃、一律運賃制度についても注記しました。他社との乗継割引運賃、定期券・回数券、割引きっぷなどについては掲載してありません。列車番号も一部会社を除き掲載し、特急などの優等列車は太字時刻としてあります。ぱっと見ると、JR線頁と区別が付かないほどです。
特別企画として、読者に抽選で、トレインモデルやキーホルダー、ストラップ、ネクタイピン、カップなどのお宝「鉄道グッズ」をプレゼント。詳しくは、『JTB私鉄時刻表』巻頭のグラビアページをご覧ください。なお、次号発行については未定です。
さて、最後にクイズ。『JTB私鉄時刻表』掲載の私鉄で、全長が一番短い会社はどこでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その69)■ =2006年1月25日(水)発行 <通巻138号>=
【新空港 2つ開港】 2/16(木)神戸空港・3/16(木)(新)北九州空港
1995年1月17日の「阪神・淡路大震災」から11年、ポートアイランドのさらに沖合に、2月16日(木)、神戸空港がいよいよ開港します。三宮から三宮まで、6の字の片方向ループ運転している「ポートライナー」が大変身。西側部分単線を複線に改良し、市民広場から4.4km南に新線を延伸して、三宮〜神戸空港間8.2kmの完全複線が完成しました。開港2週間前の2月2日(木)から開業します。日中には所要17分の快速が30分ごとに運転されます(各駅停車は所要19分)。同時に、運賃改定も実施され、近場は値下げとなります。なお、六甲ライナーも運賃改定されますが、こちらのダイヤ改正はありません。
この日の1ケ月後には、同じ海上空港が北九州に開港。JR日豊本線下曽根駅付近の現空港が、1つ南の朽網(くさみ)駅東側の半島先端から3km先海上の人工島に移転します。この地の利を生かし、24時間運用を宣伝。「新北九州空港」と言っていますが、正式には「北九州空港」のままです。アクセスですが、朽網駅からシャトルバスが30往復程度運転される予定。ダイヤ・運賃はまだ未定なので、次号以降でお知らせします。
この2つの開港が関係する2〜3月の国内航空ダイヤは、2/1〜2/15、2/16〜3/15、3/16〜3/31の3パターンに分かれ、空前絶後の複雑なダイヤとなりました。
さらに4月1日(土)からは、原油価格高止まりの影響で、航空運賃がアップとなります。今号では、JAL・ANAの、9月末までの新運賃を取り込みました。
さて、最後にクイズ。海上空港はほかにどこがあるでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その70)■ =2006年2月16日(木)発行 <通巻139号>=
【JTB時刻表 オリジナル駅弁】 「伊豆づくし」を、伊豆高原・伊豆急下田駅で発売
JTBパブリッシングが刊行している「JTB時刻表」は、昨年の4月におかげさまで80周年を迎えることができました。この80周年の締めくくりとして、本誌3月号の巻頭カラーページで、さまざまな角度より「駅弁」の特集をしています。さらに80周年記念駅弁「伊豆づくし」を企画。伊豆急行・伊豆急物産の協力のもと、伊豆急行の伊豆高原・伊豆急下田の両駅で、2月16日(木)から発売中です。
掛け紙には「JTB時刻表」の創刊号である大正14年4月号の「汽車時間表」の表紙のイメージをデザイン。内容も伊勢えび、サザエ、金目鯛や鰺の寿司など伊豆の素材にこだわり、またすべて無添加で作られております。
この駅弁は数量限定発売です。発売は2006年5月31日まで(10月1日から販売再開予定)、河津駅・伊豆稲取駅・伊豆熱川駅では予約販売を実施します。価格は1700円(税込)です。
→ 「伊豆づくし」の中味 は こちら
さて、最後にクイズ。厳冬の2月に咲く、本州一の早咲き桜で有名な「○○桜」は伊豆急の沿線です。「○○桜」と、その最寄り駅を答えてください。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その71)■ =2006年3月13日(月)発行 <通巻141号>=
【JR東日本 vs 東武鉄道】 栗橋で協調、久喜で競争!!
3月18日(土)のJRダイヤ改正で、JR新宿駅と東武日光・鬼怒川温泉間に4往復の直通特急〔日光〕〔きぬがわ〕〔スペーシアきぬがわ〕が走り始めます。かつてのライバルが手をとりあって相互乗り入れを始めるということで、時代の移り変わりを感じます。
ところが、同日の東武の新ダイヤを見ると、東武動物公園止まり列車が、2駅先の伊勢崎線久喜まで伸び、半蔵門線へ直通(時間帯により浅草行き)しているのに気付きます。JR久喜はJR栗橋の2つ上野寄り、東京から48.9kmで、今まではJR線の独壇場でした。東武は今回、久喜駅のホームを2面4線化して折り返しができるようにし、半蔵門線を活用して都心への新ルートを開いたのです。東急東横線とJR湘南新宿ラインの競争が、関東北部にも飛び火した形。東武特急〔りょうもう〕も新たに久喜に停車するようになったので、JRの〔ホームライナー古河〕とバッティングします。料金も同額の500円です。
なお、東武日光線の方は栗橋1つ南の南栗橋止まりの列車が多いので、こちらは棲み分けができているようです。
さて、最後にクイズ。JR新宿〜JR日光と東武浅草〜東武日光、JR渋谷〜JR久喜とメトロ渋谷〜東武久喜のそれぞれの運賃・料金を、『スパなび』で検索して比べてみましょう。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その72)■ =2006年4月20日(木)発行 <通巻147号>=
【「私鉄時刻表」第2弾 発売】
大手私鉄、ローカル私鉄から路面電車に至るまで、日本中の私鉄を網羅した時刻表として好評を博した『JTB私鉄時刻表 東日本版/西日本版(2005年12月20日発売)』に続き、『JTB私鉄時刻表 第2号 東日本版/西日本版』を2006年4月20日(木)に発売しました。
本号では、4月29日(土)名鉄ダイヤ改正及び4月29日(土)開業予定の富山ライトレールまで、この春ダイヤ改正を実施した私鉄各社の曜日別全時刻を含め、全国私鉄全列車、全駅の時刻を曜日別に掲載しています(路面電車及び舞浜リゾートラインは初電・終電のみ。掲載範囲は前号に同じ)。
改善点としては、巻頭の索引地図を一新し私鉄の全線全駅を掲載、主要私鉄の停車駅案内を収録、各私鉄の割引きっぷを特集などで、使いやすさを大幅に向上させました。
カラー特集では「私鉄改正ラッシュ 最新ニュース徹底紹介」と題して、各地の新線・新車両などのトピックスをお届けしております。
お求めは、お近くの本屋さんでお願いします。
【概 要】
*書名 「JTB私鉄時刻表 第2号 東日本版」/「JTB私鉄時刻表 第2号 西日本版」
*掲載エリア・頁数 「東日本版」 静岡県・長野県以東 728頁
「西日本版」 北陸地方・愛知県以西 728頁
*発売日 2006年4月20日(木)
*定価 各1300円(税込)
*判型 B5判……月刊「JTB時刻表」と同じ
さて、最後にクイズ。私鉄鉄道線が無い(「私鉄時刻表」に出てこない)都道府県を挙げてください。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その73)■ =2006年5月25日(木)発行 <通巻151号>=
【「私鉄時刻表」第2弾 補遺】
4月20日(木)に発売した『JTB私鉄時刻表 第2号 東日本版/西日本版』ですが、1月から4月29日までの全国各社のダイヤ改正・運賃改定を、細大漏らさず取り込みました。しかし、紙の時刻表の宿命として、印刷後の時刻改正については、どんなことをしても反映できません。
そこで今回初めての試みとして、発売後に発生した、相模鉄道(5月20日(土))、西鉄宮地岳線(5月14日(日))、くりはら田園鉄道(5月1日(月))3社の改正ダイヤを、本誌『JTB時刻表』の巻頭、黄色の付録2〜17ページに掲載しお知らせすることといたしました。
もちろんこの『スパなび』では、最新のダイヤ改正について、随時、即時に対応していますが、時間や区間を決めての任意検索はともかく、乗る時間帯が決まっていないときに接続も加味して調べたり、平日と休日の停車駅の違いを比べたり、はたまた朝から夜までのダイヤをじっくり眺めたりしたい場合、やはり紙の一覧性に軍配が挙がります。
たくさんの情報を小さな字で見やすくレイアウト(「組版(くみはん)といいます)し、それをごく薄手の用紙に印刷し持ち運びが簡便にできる冊子状に綴じた(「製本」といいます)紙の時刻表の利点は、今なお生きています。なお、『私鉄時刻表』第3号を、いつ発行するかについては現時点では未定です。本誌『JTB時刻表』や『スパなび』のニュースでお知らせしますので、ご注目ください。
さて、最後にクイズ。松本清張の「点と線」の舞台となったのは、西鉄宮地岳線の何駅だったでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その74)■ =2006年6月20日(火)発行 <通巻152号>=
【「JR全線全駅 駅名索引」 平成の大合併市町村入り】
今月の2006年7月号本誌には、別冊特別付録「JR全線全駅 駅名索引」が付きます。定価は1050円のままです。
2006年7月1日現在のJR全線4586駅のデータを「あいうえお」順に並べ、所属線名、本誌の掲載頁と、その駅の住所(県市区町村名)を掲載しました。
平成の大合併により市区町村名が大幅に変化しているのを実感していただくため、1987(昭和62)年4月1日、すなわちJR各社発足当時の市区町村名と比較し、変更があった場合、「日立市←十王町」のように記して、一目でわかるようにしました。「←」がない駅は変更無しというわけです。見出すと、なかなか面白いですよ。なお、この期間の駅名改称についても欄外に注記しましたが、結構たくさん改称しているものです。
さて、最後にクイズ。1987(昭和62)年4月1日から現在までに、一度ならず二度改称した駅があります。どこの駅でしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その75)■ =2006年7月20日(木)発行 <通巻155号>=
【メートル法の起源】
鉄道の運賃は、実キロに基づいた営業キロにより決定される。どんな遠距離の切符でも、時刻表本誌駅名の左にある累計キロ(0.1km単位)を引き算しつつ、区間ごとの乗車キロをもとめこれらを合算し、最後に1km単位に切り上げ、所定の「対キロ運賃表」に当てはめれば計算できる。日本においては、距離をメートルで測るのは万人の常識だが、このメートル法そのものの起源については、おぼろげにしか知られていない。
ケン・オールダー著、吉田三知世訳の『万物の尺度を求めて−メートル法を定めた子午線大計測−』(2006.3.31初版、早川書房。原題 THE MEASURE OF ALLTHINGS:The Seven-Year Odyssey and Hidden Error that Transformed the World)では、このメートル法の起源と、子午線大計測ミッションの苦闘について、余すところ無く語られる。フランス革命直前の1789年4月に決まったフランス全土の統一的度量衡制定が、ドランブルとメシェンのダンケルク〜パリ〜バルセロナ子午線計測ミッションとなり、フランスと、プロイセン、スペイン、イタリアとの戦争のさなか押し進められ、当初1年の予定が7年かかるも計測終了、1799年白金製のメートル原器として結実する第一幕。ナポレオン統治下でこのメートル法が義務化され、同じナポレオンにより撤回、そしてのちに復活する第二幕。外国諸国に広まっていく第三幕。極め付きは、メートル法を唯一採用していないアメリカ合衆国での、1999年、NASA火星探査機「マーズ・クライメイト・オービター」失敗による1.25億ドル損失の挿話。アメリカの輸出関連製造現場では、メートル法採用を避けられぬ現実があり、NASA部内でも、メートル法使用のチームと、ヤード・ポンド法使用(マイル、ヤード、フィート、インチ単位)のチームが混在して、結果、探査機の高度が60マイル(約100km)も低くなっているのに気づかず墜落させた事件。
話は変わるが、出版業界でも似た話はある。活版時代は、ヤード・ポンド法に由来する「ポイント」が使われていたが、写植でメートル法に基づく「級数(Q数)」(1級=0.25ミリ)となり、これが今ではアメリカ生まれDTPの席巻で「ポイント」に戻ってしまった(但し級数で設定もできるようにはなっている)。なお、Q=Quarter=4分の1で、1ミリの4分の1ということ。
時刻表においては、活版時代は基本6ポイント(約2.12ミリ)で組んでいたのが、写植(STCシステム)では8級(2.00ミリ)としたため約5.5%縮み、少し余計に入るようになった。現在のSTEPシステムはアメリカ生まれ「AutoCAD」(もともとは設計図を描くソフト)上で動いているが、「級数」がそのまま使えるようカスタマイズしているので、寸法はすべてメートル法である。
度量衡の単位は基本的なものだけに、変更には大きな混乱が避けられないものだ。日本でも、土地の広さだけは平方米より1坪でいう方が現在でも優勢で、これは1坪=畳2枚という生活に密着した体感メジャーがあるためだろう。
さて、最後にクイズ。東京駅から500.0kmちょうどの駅があります。どこの駅でしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その76)■ =2006年8月25日(金)発行 <通巻158号>=
【両国橋駅の話】
千葉方面への鉄道は、昭和7(1932)年7月1日に、隅田川を越えて、両国〜秋葉原〜御茶ノ水間の高架線が開通するまで、離れ小島であった(我孫子から成田線を介してはつながっていたが)。国鉄の「線路名称」の並べ方を見ても、総武線ファミリーは本州の一番最後に追いやられていた。東京市中から出掛ける場合は、市電や人力車に乗り、両国橋(昭和6年、両国に改称)から始発列車に乗り込んでいたものだ。
両国駅の総武線ホームから北側(国技館の方)を見ると、一段低い行き止まり形式のホームがある。これがかつてのメインホームだ。このホーム、デイリーの新聞輸送荷物電車と、ときたま臨時列車に使われることがあるくらいなので、廃線(?)の雰囲気ぷんぷん。改札からまっすぐ突き当たった位置で、ちょうど上野の地平ホームをミニチュアにしたようなかんじといおうか・・・。
もっと驚くことには、このホームからさらに北側の、現在国技館と江戸東京博物館が立つ敷地は、かつて貨物線がぎっちり広がっていた跡地なのだ。そして、敷地の北側には隅田川から入船場が掘り割られていた(両館の北側の、東西に長い空き地がその痕跡だ。現大江戸線両国駅入口あたりまで切れ込んでいた)。まさに、房総の物資を一手に引き受け、水運で東京市中と結ぶ、一大拠点だったのだ。
もっというと、両国駅に限らず、東京地域の国鉄貨物駅、南の汐留、西の飯田町、北の隅田川は、すべて運河と連絡する立地にあった。江戸八百八町、大阪八百八橋というが、江戸も運河が網の目のように張り巡らされ、数多の河岸に物流が依存していたのだ。
《参考文献》□交通博物館編(奥原哲志、佐藤美知男、岸由一郎)/図説 駅の歴史−東京のターミナル−/河出書房新社(ふくろうの本)/2006.02.28初版
□停車場変遷大事典 国鉄・JR編−1998年7月31日現在−/JTB/1998.10.01初版
さて、最後にクイズ。東京駅から千葉のちょっと先の蘇我駅まで、今では、総武線だけでなく、もっと海側の京葉線経由のルートもあります。営業キロが短いのはどちらのルートでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その77)■ =2006年9月20日(水)発行 <通巻161号>=
【10月1日全国ダイヤ改正いまいずこ】
国鉄時代は10月1日全国ダイヤ改正が恒例(10月2日実施のこともあった)で、10月号=ダイヤ改正号となっていた。お客さんにもこれが浸透しており、今回の10月号に対しても、お客さんから改正内容の問い合わせが多い。
ところが1987年のJR民営化後、この図式は怪しくなっており、特に今回の10月1日は、JR東海のしかも在来線だけの改正で、他のJRは全く変更無しという、とても寂しいものとなった。
『スパなび』創刊後の、2001年以降の10月を見てみると、
*2001年10月1日(月)=JR東海・西日本・四国各線(新幹線も改正)
*2001年10月6日(土)=JR九州筑豊本線・篠栗線
*2002年10月5日(土)=JR西日本各線(新幹線も改正)
*2002年10月21日(月)=JR西日本金沢地区
*2003年10月1日(水)=JR各社。東海道・山陽新幹線白紙改正(品川新駅開業)
*2004年10月16日(土)=JR東日本・東海・西日本各線(在来線のみ)
*2005年10月1日(土)=JR九州・東海・西日本(新幹線は九州のみ改正)
という内容で、JR各社の改正はたった1回のみであった。
これよりは3月の方がやや足並みが揃っており、
*2001年3月3日(土)=JR西日本・四国・九州・東海・東日本(東日本は一部線区のみ)
*2002年3月16日(土)=JR北海道
*2002年3月23日(土)=JR東日本・東海・西日本・四国・九州
*2003年3月1日(土)=JR北海道
*2003年3月15日(土)=JR西日本・九州
*2004年3月13日(土)=JR各社。九州新幹線・本庄早稲田駅開業
*2005年3月1日(火)=JR各社
*2006年3月18日(土)=JR各社
という実績だ。
勿論、これ以外の期日に各社が独自に改正しており、JR西日本などは数ケ月ごとに細かくダイヤを見直している。また、JR東日本は12月・7月のダイヤ改正が多い。
やはりご旅行には、最新の時刻表本誌か、『スパなび』を、必ずご覧いただきますように。
さて、最後にクイズ。今年の10月1日は日曜でしたが、10年後、2016年10月1日は何曜日となるでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その78)■ =2006年10月18日(水)発行 <通巻163号>=
【直流化とは?】
電車は直流で動いていますが、架線で直流をそのまま送る方法と、交流で送って電車上で直流に変換して使う方法との2つがあります。直流の方が電車の仕組みは簡単になりますが、交流を直流に変換する変電所を沿線にたくさん置く必要があり、JRでは、電車の両数の多い大都市近郊区間は直流、それ以外は交流という使い分けがなされています。長距離を走る特急列車は、直流区間も交流区間も走れる交直両用電車がありますが、普通(快速)列車は直流専用か交流専用かのどちらかが一般的です。
北陸本線は、1957年に田村〜敦賀間が交流電化したのに始まり、1969年までに米原〜直江津間の全線が交流電化されました。湖西線は1974年の開業時から、山科〜永原間は直流、永原〜近江塩津間は交流で電化されたため、普通(快速)列車の大部分は永原またはその手前の近江今津止まりで設定されました。
JR民営化4年目の1991年、北陸本線米原〜長浜間7.7kmの交流電化区間が直流電化に変更され、京阪神からの新快速(直流専用電車)が長浜まで直通できるようになりました。
今回の10月21日(土)改正では、さらに長浜〜敦賀間38.2kmと永原〜近江塩津間5.8kmの計44.0kmが直流化され、新快速が敦賀まで直通運転されます。地元敦賀市のHPには、「平成18年10月21日 京阪神から 新快速がやってくる!! JR直流化開業まであと○日!」と、熱い想いが表明されています。長浜と敦賀の間で県境を越え、敦賀市は福井県ですが、もともと平安時代頃より、北海の物産は敦賀の港に陸揚げされ、山を越えて都に運ばれており、京阪神エリアとの結びつきは緊密でした。
また、滋賀県内の、北陸本線長浜方面←→湖西線方面も、近江塩津駅のホームと配線を改良し、新快速同士が同一ホームで乗り換えられるようにもなります。直流化のダイヤ改正というと地味ですが、大きな成果が期待されます。
さて、最後にクイズ。敦賀始発の京阪神方面行き電車に乗って、乗り換え無しで行ける一番遠くの駅はどこになったでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その79)■ =2006年11月20日(月)発行 <通巻165号>=
【「TOICA」で3兄弟が勢揃い】
いちばんうえはJR東日本の「Suica」、2番目にJR西日本の「ICOCA」と来て、11月25日(土)からJR東海に「TOICA」が登場。これで、JR本州3社に「IC乗車券」が揃いました。
「スイカ」が関西弁になって「イコカ」と笑えましたが、東海で「トイカ」とは、おとなしやかな感じです。「Suica」のペンギン、「ICOCA」のカモノハシに対して、黄色い親子のひよこに決まったが、尾張名古屋の金のシャチホコなんかお似合いだったんでは・・・。
「TOICA」の利用可能エリアは、東海道本線二川〜豊橋〜名古屋〜関ケ原間、武豊線全線、中央本線名古屋〜中津川間、関西本線名古屋〜四日市間で、中京圏をカバーしています。静岡地区が除外(2007年度中にサービス開始予定)されたためか、「Suica」、「ICOCA」との相互利用はできません。なお、東海道新幹線も利用できません。
JR「IC乗車券」はさらに、2007年夏以降にJR西日本の岡山地区と広島地区、2009年初めにJR北海道札幌地区、2009年春以降にJR九州の福岡・北九州地区への導入がアナウンスされています。自動券売機の硬券が軟券のきっぷとなり、窓口で求めるきっぷはトクトク切符も含めてマルスからその都度印刷する磁気券がふつうとなりましたが、これらのきっぷもいずれ危うくなりますね。
2007年3月からは、首都圏の「パスネット」・「バス共通カード」が「PASMO(パスモ)」という名前の「IC乗車券」に進化統合され、同時に「Suica」との相互利用サービスも始まります。これで、JR・大手私鉄を含む首都圏のほぼ全鉄道とバス会社が、1枚の「IC乗車券」で利用できることになります。携帯電話に「Suica」を搭載する「モバイルSuica」サービス(会員制)も2006年1月28日に開始されており、形の見えないきっぷが一般的になりつつあり、きっぷ=硬券で育った世代には寂しいものがあります。小学校に上がって無賃から小児運賃になったばかりの子供が、得意そうにきっぷを握りしめて、といった小説の描写も、未来人には理解不能となりそうです。
さて、最後にクイズ。JR北海道と九州の「IC乗車券」はまだ名前が決まっていません。どんな呼び名がよいでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その80)■ =2006年12月20日(水)発行 <通巻169号>=
【大阪市の地下鉄 新線「今里筋線」開業】
大阪市営地下鉄8番目の新路線として、12/24(日)正午に「今里筋(いまざとすじ)線」が開業します。大阪市交通局では「OSAKAレインボーファミリー」(7つに1つ余りますが・・・)と宣伝しており、路線図のカラーはオレンジ色です。
今里筋線は、7番目の新線である長堀鶴見緑地線と同じ、「リニアメトロ」と呼ばれる中量規模の地下鉄で、トンネル断面で他路線の8割程度の直径となっています。大阪市初の、「可動式ホーム柵」も導入されました。
起点井高野(いたかの)から、終点今里(いまざと)まで11駅11.9kmの路線は、大阪市東北の市域ギリギリを南北に貫き、6駅で他路線と接続します。太子橋今市(たいしばしいまいち)で大阪市谷町線と、関目成育(せきめせいいく)で京阪関目駅と、蒲生四丁目(がもうよんちょうめ)で大阪市長堀鶴見緑地線と、鴫野(しぎの)でJR片町線と、緑橋(みどりばし)で大阪市中央線と、今里で大阪市千日前線と連絡します。関目成育の近くには似た名前の関目高殿(谷町線)もありますが、徒歩10分近く離れている(連絡通路無し)ので要注意です。
なお、大阪市営地下鉄駅相互間の普通運賃は、乗車経路にかかわりなく、最短ルートで求めるきまりなので、12/24以降、既設線駅相互間でも、運賃値下げとなる区間があります。『スパなび』では、検索で指定した乗車日を判断し、正しい運賃を表示しています。ご安心ください。
今里筋線のルートを詳細に見ると、太子橋今市駅のところで守口市に飛び出し(谷町線太子橋今市駅は大阪市旭区と守口市にまたがっている)ています。他路線も調べてみたら、市外の区間が結構多いのです。順に挙げると、御堂筋線の江坂が吹田市、同北花田・新金岡・なかもずが堺市、谷町線大日・守口が守口市、同八尾南が八尾市、長堀鶴見緑地線門真南が門真市となっています。
さて、最後にクイズ。横浜市営地下鉄には、横浜市内に無い駅が1つあります。また、東京都営地下鉄でも、東京23区内に無い駅が1つあります。それぞれ何駅で、何市にあるでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その81)■ =2007年1月25日(木)発行 <通巻173号>=
【JRダイヤ改正の掲載(発表)の仕方と、時刻表本誌の発売日】
ここ数年のJRグループダイヤ改正が、かつての10月でなく3月に恒例となっている傾向については、「蘊蓄ニュース (その77)」に書いた。今年も、3月18日(日)に、JRグループダイヤ改正が実施される。昨年も3月18日(土)だったので、曜日が1日ズレるものの、日付的には全く同じだ。
なんといっても、JRグループの列車本数は膨大、かつ系統も複雑なため、ダイヤすべてがまとめてすっぱりと一発では確定しない。このため、順を追って発表される。今回の場合で説明すると、
○12月22日(金)午後:ダイヤ改正の概要プレス(新聞、テレビ・ラジオ、JR各社HP)
○2月16日(金):時刻表本誌3月号を所定より4日繰り上げて発売。指定券が1ケ月前から発売になるので、改正路線の新幹線・特急の時刻のみを、巻頭黄色頁で速報する。本文(白い紙の頁)は改正前の時刻のままなので注意!!
○3月13日(火):時刻表本誌4月号を所定より7日繰り上げて発売。普通列車も含めた全列車の時刻を掲載。本文(白い紙の頁)はすべて改正後の時刻となる。改正前の時刻は載っていないので、3月17日(土)までは使えない!!
なお、今回はダイヤ改正しない路線(非改正路線)があるのでややこしい。具体的には、東海道・山陽新幹線と、JR四国全線、JR北海道全線だ。影響の大きい東海道・山陽新幹線については、7月1日(日)にダイヤ改正実施予定と、12月22日(金)に一緒に発表されている。この7月1日(日)ダイヤ改正は、結構大きな改正となりそうだ。
このため、春(3〜6月)の増発列車(春臨)の、時刻表本誌2月号への初掲載も変則的となった。改正路線は3月1日(木)〜17日(土)の17日間のみ、非改正路線は所定の3月1日(木)〜6月30日(土)の4ケ月間。東海道・山陽新幹線は非改正路線なので、6月30日(土)までの臨時列車が、今回の『スパなび』には収録されている。
時刻表本誌の発売日の原則についてもまとめておこう。原則なので、変更されることがあるが・・・
○原則は、前月の20日。20日が日曜・祝日の場合は19日
○但し、2・6・9月号は、前月の25日。25日が日曜・祝日の場合は24日
時刻表本誌への、四季の臨時列車(増発列車)の掲載月は、
○春臨=3〜6月運転:2月号で初掲載。1月25日発売
○夏臨=7〜9月運転:6月号で初掲載。5月25日発売
○秋臨=10〜11月運転:9月号で初掲載。8月25日発売
○冬臨=12〜2月運転:11月号で初掲載。10月20日発売
以上の日程に則り、『スパなび』も定期発行しています。
さて、最後にクイズ。東海道・山陽新幹線は、JR東海とJR西日本の2社にまたがった路線。どこが切れ目でしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その82)■ =2007年2月16日(金)発行 <通巻175号>=
【「青春18きっぷ」 なななんと、8000円!!】
今年はJR発足20周年。これを記念して、通例11500円の「青春18きっぷ」が、今回だけは「JR発足20周年・青春18きっぷ」として、5枚つづりのままで8000円で買えちゃうというビッグニュース!! 1枚1600円相当で、片道800円の区間を往復すれば元がとれるという、アンシンジラブルなお値段。東京からだと、大船(片道780円)の次、藤沢(片道950円)まで行けばOKです。
春休み期間の「青春18きっぷ」なので、3月1日(木)から4月10日(火)の41日間使えるのもうれしい。年齢制限なく誰でも使え(こども用はありません)、さらに当日乗る直前に買うも可。但し、発売期間が3月31日(土)までなので、4月になって使う予定があるなら3月末までに買っておくことが必要。このほか、いろいろ制限事項があるので、詳しくは こちら をご覧ください。
これに関連して、青春18ユーザーの利用が多い東京→大垣の夜行快速〔ムーンライトながら〕の大異変にご注意!! 改正前の東京23時43分発が改正後は23時10発に繰り上がり、しかも小田原まで全車指定席が豊橋まで全車指定席に変更となります。指定席が取れなかった場合、小田原まで先行列車で行き小田原から立ってでも行くというウラワザが使えなくなります。さらに、0時を超える駅が横浜から小田原になる(大船を0時前に出ると小田原まで停まらない)ので、「掛け捨て」も450円から1450円となります。計画作成時にご留意ください。また、3月23〜25・30日〜4月1日には、東京23時26分発の臨時大垣行き〔ムーンライトながら91号〕が増発されます(こちらは全区間全車指定席。上りは92号)。
だいたい同じ時期には、〔ムーンライトえちご〕〔ムーンライト信州81号・83号〕〔ムーンライト九州〕〔ムーンライト松山〕〔ムーンライト高知〕の夜行快速も走ります。510円の「指定席券」は必要ですが、青春18ユーザーの強い味方。『スパなび』を活用して、すてきなプランを立ててください。なお指定券は、列車が始発駅を発車する日の、1ケ月前午前10時から発売開始です。いつにも増して今春は、早めの確保が必須となりましょう。
さて、最後にクイズ。JRの青笹駅とJR春日井駅の間を、「青春18きっぷ」1枚で行き着けるでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その83)■ =2007年3月13日(火)発行 <通巻177号>=
【JR20年で変わっていないもの】
4月1日でJR誕生20年ということで、鉄道雑誌ではこれにちなんだ特集が花盛りだ。
稚内→東京が、夜行圏から日着圏にスピードアップし、
稚内7:30→〔急行宗谷〕→14:03札幌14:27→〔特急北斗10号〕→18:39函館19:45→〔青函連絡船24便〕→23:35青森23:55→〔電車寝台特急はくつる4号〕→9:17上野、または、
稚内12:00→〔急行天北〕(天北線経由)→19:14札幌19:21→〔特急北斗14号〕→23:19函館0:40→〔青函連絡船2便〕→4:30青森4:52→〔特急はつかり2号〕→7:19盛岡7:29→〔東北新幹線やまびこ2号〕→10:14上野 から、
稚内7:10→〔特急スーパー宗谷2号〕→12:07札幌12:22→〔特急スーパー北斗12号〕→15:31函館15:42→〔特急スーパー白鳥32号〕→18:40八戸18:56→〔東北新幹線はやて32号〕→22:08東京
となったとか、
新車両、駅なか繁盛などなど、変わったことにスポットを当てたものが目立つ。
ここでは、20年間変わっていないものとして、運賃(乗車券の値段)を取り上げる。
1987(昭和62)年当時無かった消費税の新設(3%、次いで5%)に伴う運賃改定を除き、JR本州3社(東日本・東海・西日本)はまったく値上げをしていないのだ。
具体的な運賃の例を挙げると、
上野→盛岡 7800円→5%増しの8190円
東京→新大阪 8100円→5%増しの8510円
東京→博多 12800円→5%増しの13440円
といった具合。
値上げした3島(JR北海道・四国・九州)の方も、具体的な運賃例で見てみると、
札幌→釧路 5500円→6090円
6090÷(5500×1.05)=約5.4%の値上げ(平均では7.0%)
高松→松山 3100円→3400円
3400÷(3100×1.05)=約4.3%の値上げ(平均では6.7%)
博多→熊本 1800円→2070円
2070÷(1800×1.05)=約9.5%の値上げ(平均では7.8%)
で、率が最大のJR九州でも、1割以下の値上げにとどまっている。
このことをもって民営化最大の成果としても、異論は無いと思われる。
なお、3島の値上げは1996年1月10日の実施で、この1回だけであった。
さて、最後にクイズ。根室と甲府の間、JRだけを利用して、日着が可能でしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その84)■ =2007年4月20日(金)発行 <通巻181号>=
【冬眠期間はお天気しだい】
上記「収録内容」でお知らせしているように、『スパなび』収録の鉄道で、2路線だけ、冬期間お休み(冬眠?)になる鉄道があります。
このうち嵯峨野観光鉄道は、毎年3月1日から12月29日まで(水曜は原則運休)と決まっていますが、黒部峡谷鉄道は違います。
例年5月1日が全通なんですが、今年は記録的な「暖冬小雪」により、連休初日の4月28日(土)から宇奈月〜欅平間全線が開通します。本日4月20日(金)からは途中の鐘釣まで動き始めました。
ちなみに昨年は、4月20日(木)から宇奈月〜猫又間、4月29日(土)から宇奈月〜鐘釣間、5月1日(月)から宇奈月〜欅平間全通と、3段階に分けており、ここ数年この方式でした。冬期は沿線の鉄橋を撤去・保管して、春先に戻すという、日本でも名だたる降雪・雪崩地帯ですから、今年の冬の異常な暖かさがわかります。
同じ富山県の「立山黒部アルペンルート」も、4月17日(火)に全線開通しています。「立山・雪の大谷ウォーク」の今年の「雪の壁」の高さは14mですが、これでも例年より5m低い由。
立山黒部アルペンルートHP http://www.alpen-route.com/
さて、最後にクイズ。逆に冬期間だけ営業する鉄道路線がJRにあります。どこでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その85)■ =2007年5月25日(金)発行 <通巻184号>=
【横須賀線横浜駅 ホーム拡幅】
横浜駅の一番山側(西側)の9・10番線は、横須賀線の「島式ホーム」だ。
もともと横須賀線と東海道線(湘南電車)は、東京〜大船間は地上の同じ線路を走っていた。昭和30年代が舞台の、『点と線』の東京駅風景がこれである。
1976年10月1日東京〜品川間に地下線を建設し、総武快速線が品川まで延長された。1979年10月1日、鶴見〜横浜羽沢〜(東戸塚)〜大船間の別ルート新線に貨物列車が移された。1年かけて鶴見〜横浜〜大船間の元貨物線を旅客線に改良し、このとき横浜駅9・10番線ホームが造られた。1980年10月1日、品川〜新川崎(新鶴見操車場)〜鶴見〜横浜〜大船間の旅客ルートが開業し、横須賀線が東京地下駅に降りて、総武快速線との直通運転が始まった(同時に新川崎・東戸塚駅を新設)。東戸塚駅のところでは、東海道線、横須賀線、貨物線の、計3複線が並ぶ風景が見られる。
こんなわけで、横浜駅9・10番線ホームはほかのホームと比べて幅が窮屈となっている。1991年3月19日〔成田エクスプレス〕がこのホームから発着開始したが、本数・両数も少ないので、さほどのことはなかった。ところが、2001年12月1日大船〜西大井間を横須賀線と共用する「湘南新宿ライン」の新運転系統ができ(「蘊蓄ニュース」その15参照)、2004年10月16日のダイヤ改正で全日運転(平日38→64往復。全列車に自由席グリーン車を連結)となるに及んで情勢が変わった。最初は利用客がとまどっていたが、新宿・大宮方面乗り換え無しのメリットが浸透し、今では横須賀線より「湘南新宿ライン」の方が混んでいる。このため横浜駅ホームでは列車待ちの列が日常的に反対番線まで伸びて、時間によっては危険を感ずるほどとなってきた。
この間、2004年1月30日限りで東急東横線横浜〜桜木町間が廃止され、東白楽の横浜寄りから横浜の間は地下にもぐり込んで、2月1日から横浜高速鉄道(みなとみらい線)と相互乗り入れを開始した。そして東急横浜駅の高架ホームの取り壊しが始まったが、今日現在まだ終わっていない。
5月17日、JR東日本横浜支社では、この撤去後、跡地を利用しての9・10番線「島式ホーム」拡幅を発表した。現行の約2倍、最大7.8(平均7.2)mを最大15.3(平均12.3)mに広げる。さらに、ホームが東京寄りに寄り過ぎているのを改め、大船方に30m延伸、東京方70mを撤去する。これで、南側の相鉄・横浜市営地下鉄と乗り換えがしやすくなる。ホーム拡幅完成は2009年春頃という。
さて、最後にクイズ。現在、「湘南新宿ライン」で一番長距離を走る列車は?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その86)■ =2007年6月20日(水)発行 <通巻185号>=
【2週間から2時間ちょいへ】
江戸時代、江戸日本橋から京都まで、徒歩で約2週間かかったという。東海道の当時のルートは現在の東海道本線(在来線)と一部区間で異なるが、東京〜京都間の営業キロ513.6kmから概算して、1日アバウト40km(10里)のスピードだった。
7月1日ダイヤ改正で、東京発6:00の〔のぞみ1号〕は京都着8:11なので、明治維新から140年で、2週間が2時間ちょいに短縮したことになる。東京〜新大阪間では2時間25分と、15年ぶりに5分短縮されたのが、今回のトピックである。
ところで、東海道新幹線が開業したのは1964(昭和39)年10月1日。10月10日から東京オリンピックがあった年である。開業時、東京〜新大阪間は〔ひかり〕4時間、〔こだま〕5時間であった。前日9月30日までの在来線特急〔こだま〕は東京〜大阪間6時間30分だったから、一夜にして2時間半の短縮となった。1年1ケ月後の1965(昭和40)年11月1日、路盤が固まったということで、当初予定ダイヤの〔ひかり〕3時間10分、〔こだま〕4時間運転とした。6時間30分が半分以下となったわけで、まさに「夢の超特急」であった。
ところがこれから20年間、この3時間10分が破れない。1985(昭和60)年3月14日、3時間8分と僅か2分短縮。1986(昭和61)年11月1日、翌年の民営化を控えた国鉄最後のダイヤ改正で、2時間52〜56分。民営1年後の1988(昭和63)年3月13日、2時間49分となる。
1992(平成4)3月14日、300系〔のぞみ〕2往復が登場し、2時間30分に大幅短縮される(ひかり料金にプラス料金が必要となった)。この後〔のぞみ〕は増え続け、2003(平成15)年10月1日の品川開業で自由席が付いたが、この2時間半のダイヤはそのままだった。
こんどの7月1日ダイヤ改正では、新型車両N700系が投入される。東海道区間の最高時速は270kmだが、このスピード到達まで発車から5分かかったのを3分に短縮し、カーブ区間の徐行運転も車体を1度傾斜させることで無くすなど、最新技術を駆使して5分のスピードアップが実現された。
N700系は改正日には4往復のみだが、約1ケ月ごとに1往復ずつ増え、年度末には15往復以上になるという。さらにその後も増やし、いずれ〔のぞみ〕すべてをN700系に置き換える計画という。その暁には、また大きなダイヤ改正があると思われる。
さて、最後にクイズ。7月1日ダイヤ改正で、東京〜博多間最速の〔のぞみ〕は、何時間何分運転となったでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その87)■ =2007年7月20日(金)発行 <通巻188号>=
【「私鉄時刻表」第3弾 発売】
昨年4月20日(木)発売からだいぶ時間が経ってしまいましたが、第3号の『JTB私鉄時刻表 東日本版/西日本版』を、8月号本誌と同じ2007年7月20日(金)に発売いたしました。
内容は前回と同様で、大手私鉄、ローカル私鉄から、路面電車まで、日本全国の私鉄全線全駅の、曜日別全時刻(路面電車と舞浜リゾートラインは初電・終電のみ)と普通運賃を網羅しています。本号では、前回収録した2006年4月29日開業富山ライトレールからあとの、ダイヤ改正・新線・新駅に対応しました。
改善点としては、「あいうえお順駅名索引」の初掲載、停車駅案内の充実などで、好評だった各私鉄の「お得なきっぷ」特集も継続しています。
カラー特集では「私鉄列車で Slow Travel」と題して、個性豊かな私鉄を紹介しております。
お求めは、お近くの本屋さんでお願いします。
【概 要】
*書名 「JTB私鉄時刻表 第3号 東日本版」/「JTB私鉄時刻表 第3号 西日本版」
*掲載エリア・頁数
「東日本版」 静岡県・長野県以東 728頁
「西日本版」 北陸地方・愛知県以西 728頁
*発売日 2007年7月20日(金)
*定価 各1500円(税込)に変わっています
*判型 B5判……月刊「JTB時刻表」と同じ
さて、最後にクイズ。観音様の最寄り駅で、三重塔形のユニークなスタイルの終着駅はどこ?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その88)■ =2007年8月27日(月)発行 <通巻193号>=
【島原鉄道 「観光トロッコ列車」は11月末まででラスト!!】
雲仙普賢岳の噴火が終息した1997年から運行を開始したのが、九州は長崎県、島原(しまばら)鉄道の「観光トロッコ列車」。
島原鉄道はJR長崎本線の諫早(いさはや)を起点とし、島原半島を有明海沿いに右回りにたどり、半島を3分の2くらいも回り込んだ加津佐(かづさ)を終点とする、78.5kmにも及ぶ中堅私鉄だ(明治44年〜昭和3年に開通。全線非電化・単線)。
「観光トロッコ列車」は、路線の中間の島原駅から9.1km先の深江駅まで、ゆっくり約1時間かけて往復する。トロッコ2両は動力が無いので、前と後ろに気動車をくっつけ、計4両編成で動く。トロッコの真ん中に通路があり、両側にベンチ風の座席が並ぶ造りで、乗るには気動車のドアから入り、乗り移る。
『スパなび』で検索すると所定の運賃380円が表示されるが、この「観光トロッコ列車」は往復乗車に500円ぽっきり払えばOK。予約は電話0957−62−4705まで(空席があれば予約無しでも可)。始発島原のほか、島原外港でも乗車・降車できる(500円は同じ)。三池港(大牟田)から高速船50分、または熊本港からフェリー1時間(高速船30分)で島原を目指すと島原外港が入口となるので、これはありがたい(港から駅まで徒歩3分くらいだが、ちょっとわかりづらいかも)。
島原駅からは目の前に眉山が立ちはだかり普賢岳は隠れているが、島原外港駅の先、安徳から深江の間の右窓には、山塊全体がのしかかるが如く迫ってくる。ここの水無川周辺は土石流で何回も埋まり、高架線を新設し復旧された(「安新大橋(あんしんおおはし)と命名)ところだ。目線も高く、ここからの眺めはまことにすんばらしい。山頂に盛り上がった「平成新山(へいせいしんざん)」のとんがりまではっきりわかる。「昭和新山」とともに、我が国唯二の、国指定特別天然記念物の由。反対側に目を転ずれば、有明海が茫洋とたゆたい、実によか気分だ。
ところで、島原外港から加津佐までの35.3kmは乗客の減少が激しく、2008年3月末限りの廃止が決定した。したがって、この「観光トロッコ列車」も廃止となる運命。トロッコが吹きっさらし構造のため、運行期間が11月末までとなっており、結局、今年11月30日(金)がラストラン。それまでに、是非ご乗車あらんことを。
毎日3往復(さらに臨時1往復が走る日も)のトロッコには語り部さんが同乗し、江戸時代の「島原大変肥後迷惑」から平成の大噴火とその復旧過程、火山の恩恵の豊富な湧水・温泉などまで、火山と共生してきた地元ならではの話が語られる。
さて、最後にクイズ。深江の1つ手前の瀬野深江から、終点加津佐までの駅所在地は、深江町、布津町、有家町、西有家町、北有馬町、南有馬町、口之津町、加津佐町の8町に分かれていたが、2006年3月31日に合併して1つの市になった。この市の名前は何でしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その89)■ =2007年9月20日(木)発行 <通巻195号>=
【台灣高鐵(台湾新幹線) 『スパなび』初収録!】
見た目はまったく東海道・山陽新幹線の700系で、最高時速も同じ300km/hで走っているのが「台灣高鐵(通称「台湾新幹線」)」。本年1月5日(金)板橋〜左營間が開業し、3月2日(金)に台北〜左營間339.3km(実キロ)・8駅で本格開業した。最速列車は96分と、ほぼ同距離の東京〜名古屋間(実キロ342.0km)最速95分のN700系〔のぞみ〕に遜色ない。並行する「臺灣鐵路管理局(台鐵)」の〔自強号〕では最速3時間59分(239分)を要していたから、40.2%の所要になった勘定。東海道新幹線直前に東京〜大阪間在来線特急が6時間30分(390分)、1964年10月1日新幹線開業で東京〜新大阪間4時間、1965年11月1日から3時間10分(190分)にスピードアップされたがこれでも48.7%だから、台湾新幹線の時間短縮効果がいかに大きかったかわかる。
開業当初は19往復だったが、3月31日(土)25往復、6月1日(金)31往復、7月27日(金)37往復となり、9月14日(金)45往復(正確には、南下45本、北上46本)に増えた。台北発が「南下」(日本風に言えば下り)、左營発が「北上」(上り)である。すべて毎日運転で、臨時列車や土休増発は無い。今年末頃、当初計画の88往復になる予定という。『スパなび』では8月1日(水)以降の最新ダイヤが検索できる。もし、次のダイヤ改正が発表されれば、更新していく予定。
日本と違うのが、「台鐵」と「台灣高鐵」がまったく別の会社であること。「台灣高鐵」という新幹線だけの新会社なのだ。運賃・料金制度も日本と違い、運賃と特急料金(特急・グリーン料金も)がオール込みのねだん設定(これは「台鐵」も同じ)。「台灣高鐵」は全車指定なので、列車号数と、設備が「標準車(普通車両)」か「商務車(ビジネス車両。日本のグリーン車に相当)」かを指定して予約すると、切符のねだんがすっぱり決まる。乗車日・乗車時間による割増し・割引き、往復割引きは今のところ無い。自由席・立席は無いので、指定が取れないと乗車できない。切符の発売は発車5分前までで、改札(自動改札)が発車2分前クローズするのは、汽笛一声新橋時代の故事を彷彿とさせる。
『スパなび』では、『台灣高鐵<運賃は特急料金込み。1台湾ドル3.5円換算>南下 台湾新幹線123号』 のように、円に換算して表記した。「商務車(ビジネス車両)」で台北〜左營間が8550円と、東京〜名古屋間〔のぞみ〕グリーン車14270円の約6割のねだんだ。「標準車(普通車両)」だと、5220円対10780円(通常期の〔のぞみ〕)で、半値以下となる。
その他詳しくは、
台灣高鐵HP(日本語) http://www.thsrc.com.tw/jp/index.htm にて。
なお、検索には、出発駅欄、到着駅欄に、「台北」・「板橋」・「桃園」・「新竹」・「台中」・「嘉義」・「台南」・「左營(左営でも可)」の駅名を直接入力されたい。また、本誌来月号(10/20(土)発売の11月号)巻頭のグラビアページで、台湾新幹線の特集を掲載予定。乞うご期待!!
さて、最後にクイズ。上記8駅のうち、日本の鉄道に同漢字の駅名が2つあり、1つはJRだが、もう1つは私鉄の駅。どこの私鉄の何線の駅か?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その90)■ =2007年10月22日(月)発行 <通巻197号>=
【10月14日 鉄道博物館 OPEN】
神田・万世橋の「交通博物館」が、さいたま市に「鉄道博物館」として、ピカピカになってOPENした。大宮駅から埼玉新都市交通(ニューシャトル)で1駅、その名も鉄道博物館駅(大宮から1.5km)下車すぐだ。
正面入口(メインエントランス)からSuica自動改札で入館(一般1000円)すると、ガラスの向こうに本物の鉄道(JR高崎線と川越線)が走っている。敷地は、この線路と新幹線に挟まれ細長〜い。1階右手が「ヒストリーゾーン」。SL、客車、電車、電気機関車、気動車、貨車、新幹線など、車両がごっちゃり展示されている。中央に柱が1本も無く、ひろーい空間だ。ほとんどがレールに乗った状態で置かれており、中央には転車台もある。レールは外へつづいており、将来の展示車両の入れ替えを考えた設計のようだ。まさに生きている「鉄道博物館」といえる。車両の屋根を見下ろしたり、SLを床下から見上げたりする仕掛けもある。すみっこに「交通博物館」に展示されていた「松山人車軌道」(四国の松山でなく、仙台の北の松山町)の人車があった。「交通博物館」ではこのちっちゃい人車の中に立ち入れたような記憶がある。
2階の「模型鉄道ジオラマ」は左右25mのHOゲージ。N700系は間に合わなかったようだ(ちょっとイジワルかな)。その先の「スペシャルギャラリー」で、特別企画展「新幹線の挑戦〜より速く、より快適に〜」をやっていた。東海道新幹線0系の丸っこい前頭が、どんどん鼻っ先が伸びてスピードアップ可能となったのがよくわかる。「フリーゲージトレイン」の車輪幅が軌間に合わせて変わる仕組みが、模型を動かして体験でき興味深かった。
正面左手、高崎方面の先っぽが「パークゾーン」。ここの「ミニ運転列車」(1回200円)がおススメ。一周約300mのミニ線路で、屋根付きのミニ車両(3人乗り)が運転できる。一見デパート内なんかにある100円電車っぽいが、実物の鉄道のようにATS−PやATCの仕組みによる本格もの。途中駅3つは通過してもよいとの説明だったが、ここはいっちょピタリと停めてみよう。
このほかいろいろ見どころは多い。詳しくは、
鉄道博物館HP http://www.railway-museum.jp/top.html か、
弊社JTBパブリッシング刊、
キャンブックス『全国鉄道博物館』(白川淳著、定価1995円(税込))で。
上記鉄道博物館グラフィティーと徹底探見のほか、全国鉄道博物館セレクト30と、全国鉄道資料館・記念館一覧を掲載している。
さて、最後にクイズ。鉄道博物館駅の旧称はなんだったでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その91)■ =2007年11月20日(火)発行 <通巻199号>=
【笹子トンネル】
上越線の清水トンネル(現在の上り列車専用トンネル)9702mが昭和6(1931)年9月1日開業するまで、中央本線の笹子(ささご)トンネル4656m(笹子〜甲斐大和間)は日本最長のトンネルであった。開業は明治36(1903)年2月1日なので、30年近くも首位にあったことになる。
明治29(1896)年12月に東西両口から着工したときには、東は八王子まで鉄道(私鉄の甲武鉄道)が来ていたのみで、山梨県内には影も形もなかった。資材を、東口側は東海道本線(現御殿場線)御殿場駅から籠坂峠を越え、西側は東海道本線岩淵(現富士川)駅から富士川を遡って鰍沢(かじかざわ)に揚げ、いずれも細々とした陸路により輸送した。日本人だけにより、逢坂山トンネル664.8m(東海道本線旧線)、柳ケ瀬トンネル1352m(北陸本線旧線)と完成させてきた官営鉄道技術陣が、ここで一気に難関工事に挑んだのである。
当時の最先端技術を取り入れ、トンネル至近の笹子川(相模川の上流桂川のさらに上流域)の水力で発電し、圧気機、削岩機などの機械力や、運搬用電気列車も駆使(本邦における電気機関車の初め)し、工期8年を2年も短縮して完成させた。山梨県は周りを山に囲まれた山峡の国(カイの国)だが、東側はここ笹子峠が分水嶺で、多摩川上流大菩薩峠ともども、東京・神奈川からの川が県内に食い込んだ形になっている。赤い電車が東京から大月まで直通しており、通勤圏がここで尽きるのも、むべなるかなと思われる。
この明治の笹子トンネルは単線トンネルで、昭和40(1965)年に新笹子トンネル(単線)が上り列車専用として完成してのちは、下り列車専用トンネルとして現役でがんばっている。なお、甲府までは明治36(1903)年6月11日に開通し、明治44(1911)年5月1日に名古屋まで中央本線が全通した。
このトンネルの西口まで「中央道ハイウェイ」が並走するが、ここから西はほぼまっすぐ西へ方角を変える。これに対し中央本線は、塩山駅を頂点とするラクダのコブのような大迂回ルートで、甲府盆地への勾配をゆっくり下って行く。昭和6(1931)年4月1日の八王子〜甲府間電化まで、勾配に弱いSL運転だったためだ。
勝沼ぶどう郷駅の手前のトンネルを抜けると、車窓左手に甲府盆地がわっと広がる。特に春は花花が咲き乱れ、背景に雪山を望む大パノラマが展開する。この区間は特急でなく、普通列車でゆっくりたどりたいものだ。SLはさぞ絵になったことだろう・・・
さて、最後にクイズ。甲斐大和駅の旧称と、甲州市に合併前の駅の住所の自治体名は、なんだったでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その92)■ =2007年12月20日(木)発行 <通巻202号>=
【京急の浦賀駅は本線の終点】
京急の現在のメインルートは品川〜三崎口間だが、「本線」の正式区間は泉岳寺〜浦賀間となっている。品川でなく泉岳寺が起点となっているのは、都営地下鉄との相互乗り入れに際して、浅草線との接続駅である泉岳寺まで京急が建設したためだが、終点が浦賀になっているのは過去の経緯による。
「湘南電気鉄道」は昭和5(1930)年4月1日、黄金町〜浦賀間と金沢八景〜湘南逗子(現新逗子)間を1435ミリ軌間(軌間=レール間の幅)で新規開業した。当然、黄金町〜浦賀間がメインルート、金沢八景〜湘南逗子間が支線となる。黄金町からは桜木町まで大岡川沿いの平坦地に延伸し、東京横浜電鉄(現東急東横線。昭和5年当時、本横浜〜高島町〜桜木町は未成。現在は廃線)と接続する計画だったが、結局、品川〜横浜間を開業していた「京浜電気鉄道」と組むことになった。日ノ出町から黄金町へ向かって約0.3kmの地点(現地で観察すると、当初計画の桜木町方面ルートと合する地点とわかる)まで、1435ミリ軌間の新線を両社が延伸し、昭和6(1931)年12月26日つながって、横浜〜浦賀間に直通列車が走り始めた。「京浜電気鉄道」担当区間中の戸部〜日ノ出町間は野毛山の下をトンネルで抜ける難工事であった。なお、品川〜横浜間は1372ミリ軌間だったため、昭和8(1933)年1435ミリに改軌し、品川〜浦賀間を直通できるようにした。こんなわけで、浦賀は「本線」の終点なのである。
この浦賀に渡し船があると聞いて、12月初めに出掛けた。浦賀駅から南東方向、浦賀湾の東岸のバス道(観音崎行きのバスが通る)に沿って徒歩約30分、たしかに横須賀市営の渡船場があった。ただ、船は居れどもひと気がない。「12〜13時昼休み」と札が下がっていた。それではと近くを散策、よさげなイタ飯屋に遭遇して、こちらも昼食。戻るとちょうどこっちに向かってくる船に乗客1名。船長ひとりのワンマン運転で、どうするかと思ったら、へさきを桟橋に擦り付けているすきに降りて行った。こちらもさっと飛び乗る。船長室前にかわいい「料金入れ」があり、コインが2〜3千円分ほど裸で散らばっている。ここに2名300円也を置いたときには、もう反転していた。看板によれば「就航は朝7時〜夕方6時」(年末年始などはお休みらしいので注意)で、向こう岸に居てもボタンを押せばすぐ来てくれる由。
渡った西岸すぐの山は愛宕山公園。昭和35(1960)年建立の「咸臨丸出航記念碑」がある。山頂から眺め、自然の良港たる浦賀の地勢に納得。この山南方の山あいに「浦賀奉行所跡」の石垣が残る。江戸に入る船改めの番所(今風にいえば税関)で、幕末には海防の最前線として最重要部署となり、嘉永6(1853)年久里浜にペリーが上陸したとき応接したのもここの奉行戸田伊豆守であった。
さらに南へ向かい、川間トンネルをくぐってどんどん進めば、この久里浜の砂浜に着く。ペリー公園には「ペリー記念館」(無料)と、明治34(1901)年7月14日(ペリー上陸の日)に米友協会が建てたどでかい「北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑」がある。この米友協会とは、明治期にアメリカへ留学した政財界人団体とのこと。ここペリー公園から京急久里浜またはJR久里浜駅までは徒歩20分(バス便もあり)。浦賀駅から久里浜駅までのこのコース、メタボリックな都会人のあなたに、格好の散歩コースですぞ。
さて、最後にクイズ。久里浜(京急久里浜)→品川、京急とJRで、距離はどちらが短いでしょうか。さらに、所要時間と運賃は?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その93)■ =2008年1月25日(金)発行 <通巻204号>=
【嵐電新駅 工事中】
京都市営地下鉄東西線の延伸に伴い開業した太秦天神川(うずまさてんじんがわ)駅の長い階段を上って地上に出ると、線路を底辺とした大きな三角形の敷地に、バスターミナルを備えた大きな駅前広場を工事中でした。
この三角形の右上の辺に沿った道路(三条通)中央に、嵐電(京福電気鉄道)の電車が走っています。右手約230mに蚕ノ社駅がちらっと見え、当面ここまで歩いて乗り換える必要がありますが、この駅前広場至近に嵐電の新駅が造られるのです。駅前広場への地下鉄出口は現在工事閉鎖中ですが、完成すれば出てすぐに新駅のロケーションです。
路面中央の停留場新設工事は珍しいので、歩道から子細に観察してみました。まず、駅前広場に接した道路を100mほどの区間、約2倍に拡幅。そのスペースの中央に嵐電の線路を動かし、その両側に新停留場を建設の段取りです。山ノ内(四条大宮)方面の線路はすでに移設され、それに接してホームの骨組みが立ち上がりつつあります。作業員がちょうど報告写真を撮っており、小黒板に「嵐電天神川駅新設工事」とありました。
山ノ内(四条大宮)方面の線路を掘り返した跡に、新しい枕木と線路を仮置きの段階。ちかぢか蚕ノ社(帷子ノ辻)方面の線路を切り替え、その線路跡に反対側ホームを建設する流れです。つまり、拡張された道路の歩道際ギリギリ両側が自動車走路となり、道路中央に停留場が相対式・斜路付きで納まる形です。嵐電への乗り換え案内をしていた人(警備の人だったかも)にちらっとお聞きしたら、3月末開業予定で、正確な日付までは決まっていないとのことでした。
さて、最後にクイズ。京福電気鉄道はここ嵐電だけになってしまいましたが、以前は別の都道府県にも存在しました。現在は社名が変わり、元気に走っています。どこの路線でしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その94)■ =2008年2月25日(月)発行 <通巻205号>=
【播州鉄道〜播丹鉄道の4兄弟】
1913(大正2)年4月1日、播州鉄道は加古川町(現加古川)―国包(現厄神)間をSLで新規開業した。1914(大正3)年9月25日には高砂浦(のちの高砂港貨物駅)まで、1915(大正4)年3月3日には北条町まで、1917(大正6)年1月23日には三木まで、1923(大正12)年5月6日には鍛冶屋(かじや)まで、そして1924(大正13)年12月27日には福知山線谷川とつながり、全路線が開業した。その前年1923(大正12)年12月21日には、播丹鉄道に名前を変えている。瀬戸内海に臨む高砂浦を根っことして、加古川の流域沿いに内陸へ枝葉を伸ばした地味な私鉄であった。
1943(昭和18)年6月1日、戦争たけなわの時期、軍事上重要な迂回路線ということで国鉄に全路線買収される。加古川―谷川間は加古川線、4兄弟は高砂線、三木線、北条線、鍛冶屋線となった。もし私鉄のまま戦後を迎えていれば、加古川―谷川間はともかく、枝線4兄弟は薄命だったと想像される。
1980(昭和55)年12月27日国鉄再建法が公布・即日施行され、輸送密度や営業キロを元に赤字線を振り分けることとなる。翌1981(昭和56)年9月18日、高砂線、三木線、北条線の3線はそろって「第1次特定地方交通線」に指定され、バス転換か3セク化か、数年以内に決めねばならなくなった。
このうち、長男の高砂線は国鉄高砂工場もある重要な枝線だったが、貨物輸送の大幅縮小で1984(昭和59)年1月31日限り末端高砂―高砂港間1.7kmの貨物線を廃止し、同年12月1日残りの6.3kmもバス転換してしまった。沿線に頻発の山陽電気鉄道が走っているのも影響した。同じ頃、瀬戸内海とつなぐ路線だった、国鉄福知山線の尼崎港枝線4.6kmや、播但線の飾磨港枝線5.6kmも廃止されている。
三木線、北条線の方は3セク化の道を選び、1985(昭和60)年4月1日、三木鉄道6.6km、北条鉄道13.7kmとして仲良く開業した。
四男の鍛冶屋線13.2kmは国鉄民営化の直前の1987(昭和62)年2月3日に「第3次(その3)特定地方交通線」に指定され、4月1日JR西日本に引き継がれた。そして1990(平成2)年4月1日、最後の「特定地方交通線」3つの内の1つとして、島根県の大社線とともにバス転換された。もう1線は宮津線で、3セク北近畿タンゴ鉄道となった。この日、野村駅が西脇市に改称されている。
さて、三男の三木鉄道6.6kmだが、国鉄時代の4駅(国包・石野・別所・三木)が、開業1年目の4月1日新駅4駅(宗佐・下石野・西這田・高木)で倍増。硬券の記念入場券やせんべいなどを唯一の有人駅三木で発売もし、23年間がんばってきたが、赤字が累積しついに命運が尽きた。ほぼ全線が三木市域なので、三木市が52%の株主、撤退の結論が出ればあとは早かった。流動の多い神戸方面へは、市の中心部近くの駅から神戸電鉄粟生線の直通電車があるのに対し、三木鉄道三木駅は市のはずれにあるのみならず厄神と加古川2回の乗り換えが必須で、どう見ても不利だった。
沿線ほとんどが田んぼの真ん中で、平均駅間0.8kmをのんびり走るレールバスは、まことにのどかそのもの。日中乗るとほぼ貸切状態なのが、うれしいような悲しいような状況ではあった。ただ、3月に入ってから急に混み出したようだ。
三木駅からの帰路は、沿線南方の丘沿いの里道を、徒歩でたどってみるのがおすすめ。集落と大きな寺社が引きも切らず現れ、中世からの歴史の重みと、荘園時代はかくならんという雰囲気が味わえる。
残った次男の北条鉄道(3セク開業時13.7km)は、終点北条町駅を0.1km引っ込めて新築(営業キロ13.6kmに変更)し、跡地に大きなビル「アスティアかさい」を建設するなど、沿線のやる気十分。まだまだ元気に走り続けてくれると思われる。
なお、阪神・淡路大震災の際、加古川線は山陽本線の迂回線として活躍し、そのことがあって2004(平成16)年末電化された。
さて、最後にクイズ。次男北条鉄道北条町駅の、所在市町村名はなんでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その95)■ =2008年3月25日(火)発行 <通巻208号>=
【Suicaとともに広がる「東京近郊区間」】
3月15日(土)ダイヤ改正と同時に、東京付近の「大都市近郊区間」(通称:東京近郊区間)が拡大された。JR東日本の首都圏電車内に、大きな地図「東京近郊路線図(JR EAST Railway Lines in Greater Tokyo)」(新版は「路線ネットワーク(JR EAST Railway Lines Network)」の名前に変わっている。各駅名にローマ字が入った)で案内されている、関東地方のほぼ全駅をカバーする区域である。この区間内では、乗車経路を重複したり、2度同じ駅を通らない限り、実際の乗車経路にかかわらず、最短経路で運賃が計算される(正確には最安運賃)特例がある。なお、この区間内の乗車券では途中下車はできない(正確には下車前途無効)きまりだ。
今回、日光線鶴田〜日光間と常磐線小木津〜高萩間の9駅が追加された。同時に、「Suica利用区間」も広がった。「東京近郊区間」=「Suica利用区間」なのだ。東北本線は黒磯まで「東京近郊区間」なので、例えば「黒磯〜高萩」の運賃が、今までと異なることとなった。
「黒磯〜高萩」は、「黒磯→在来線→小山→水戸線→高萩」の196.6kmが最短経路(196.6kmに対する運賃は3260円)だが、3月14日までは「黒磯→在来線→小山→在来線→上野→常磐線→高萩」と乗車する場合、実際のルートに基づく320.0kmの5250円を取られていた。3月15日からは最短経路に基づく3260円となった(迂回乗車OKということ)。但し「東京近郊区間」は在来線に限られるので、「黒磯→在来線→那須塩原→新幹線→上野→常磐線→高萩」と新幹線を混ぜて乗車の場合は特例が適用されず、5250円のままとなる。
この「黒磯〜高萩」の区間はくせもので、実は「黒磯→在来線→郡山→磐越東線→いわき→高萩」の経路195.9kmの方が0.7km短い。ただ、「大都市近郊区間」特例は区間内での最短経路運賃(正確には最安運賃)なので、こちらの経路で計算するわけではない。
JR東日本は2007年4月4日プレスリリースで、「Suica利用区間」の2段階に分けての拡大をアナウンスしている。今回はそのステップ1で、2009年春以降ステップ2として、上越線敷島〜水上間、信越本線北高崎〜横川間、常磐線南中郷〜いわき間、総武本線松尾〜銚子間、成田線久住〜椎柴間、外房線浪花〜安房天津間、内房線青堀〜安房鴨川間を加えるとのこと。ついに、房総半島一周が成就することになる。
さて、最後にクイズ。上記拡大ののちも、関東地方(山梨県を含めず考えてください)のJR駅で若干Suica空白域が残ります。線名と区間をお答えください。また、関東地方外に、はみ出すところは?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その96)■ =2008年4月21日(月)発行 <通巻211号>=
【氷川丸 78歳の誕生日の4/25(金) リニューアルオープン】
港横浜の定番スポット「山下公園」のOPENは昭和5(1930)年3月だが、関東大震災の瓦礫処理の解決策だったとは、知る人ぞ知る事実。この一画に係留されているのが氷川丸(ひかわまる)だ。
初航海は同じ1930年5月、太平洋横断のシアトル航路で、大宮市(現さいたま市)の氷川神社よりの命名という。戦中は病院船として、姉妹船が沈没するも生き残り、戦後は復員輸送(同時期、山下公園は接収され、進駐軍のカマボコ兵舎が立ち並んでいた)ののち、シアトル航路に復帰、昭和35(1960)年まで現役だった強運の船だ。チャップリンや嘉納治五郎、フルブライト交換留学生や宝塚歌劇団が乗ったことでも有名。外国航路の船が出航のときには、東京から横浜港(よこはまみなと。赤レンガ倉庫横にちょっとちゃちだが復元されている駅)まで、ボートトレイン(船接続の臨時列車)が走ったという。乗船する本人だけでなく、見送りする人々で混雑したことだろう。外国=船の時代だったのだ。
翌1961年、横浜港開港100周年記念事業として現在の場所に落ち着く。氷川丸マリンタワー株式会社が入場料をとって内部を公開し、夏はビヤホール、大晦日はニューイヤーの汽笛などハマの風物詩となってきたが、見た目もくたびれ、入場者も減って2006年12月25日限りでクローズされた。
その後、もともとの持ち主日本郵船が、内装を竣工当時の資料を元に改修するなどの工事を行なっていた。4月12日(土)久しぶりに立ち寄ったら、「4月25日 日本郵船氷川丸(NYK HIKAWAMARU)リニューアルオープン!」と掲げてあり、船体は既にきれいに塗装され、工事も最終段階だった。山下公園から横浜方面に1kmほど戻った神奈川県警の高いビルの横に、日本郵船歴史博物館もあり、両施設がリンクしたさまざまな企画を予定しているようだ。氷川丸のみは200円、両施設セット券が500円。
来年は、横浜開港150周年記念テーマイベント「開国・開港Y150」が開催される。メインは赤レンガ倉庫から山下公園にかけてのベイサイドエリアで、4月28日(火)〜9月27日(日)が予定されている。氷川丸の復活も、この年回りに巡り会い、強運再びといったところだ。
横浜港は安政6年6月2日(西暦1859年7月1日)、前年に締結された日米修好通商条約(安政五ケ国条約)に基づき開港した。条約上の期限は西暦1859年7月4日だったが、これはアメリカ側による「アメリカ独立記念日」を意識した設定であった。150年前から、日本国は米国の思惑に翻弄されつづけた国といえる。なお、ペリーが1853年浦賀沖に来て、翌1854年に結んだのは日米和親条約(神奈川条約)で、この条約により開港したわけではない、念のため。
さて、最後にクイズ。氷川という駅名が昔ありました。現在の何駅でしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その97)■ =2008年5月26日(月)発行 <通巻213号>=
【臨月号 とは??】
「臨月(りんげつ)」といえば赤ちゃん誕生まぢか、あるいは中島みゆきのアルバム名ですが、ところ変われば品変わるのたとえ通り、時刻情報編集部においては「6月号」「9月号」「11月号」「2月号」の4冊を臨月号と呼んでいます。
JRグループでは臨時列車(増発列車)を、年4回に分けて発表しており、「夏の臨時列車(通称夏臨)」が7/1〜9/30の3ケ月分、「秋臨」が10/1〜11/30の2ケ月分、「冬臨」が12/1〜2/末の3ケ月分、「春臨」が3/1〜6/30の4ケ月分です。また、新幹線・特急などの指定券の売り出しは1ケ月前からなので、この発売日までに時刻表が読者のお手元に届くよう逆算して、「6月号」「9月号」「11月号」「2月号」に初掲載し、原則20日頃発売を5日繰り下げた25日頃に、発売日を設定しています。これが臨月号の由来なのです。
今回の「6月号」本誌は5月25日が日曜なので1日繰り上がり、5月24日(土)が発売日となりました。
『スパなび』6月号では、国内航空の「6〜8月ダイヤ」も取り込みました。航空券は2ケ月前からの発売なので、7月27日以降の便の売り出しにしか間に合いませんが、お盆前後の最繁忙期には間に合います。どうぞご利用ください。
なお、JRグループのダイヤ改正は最近は3月中旬が多いですが、この場合は定期列車の時刻も全面的に変わるため、時刻表発売日も臨機応変に変更します。ことしの場合は3月15日(土)改正実施だったので、2月号を1月25日(金)発売として巻頭特集ページ(黄色のページ)に新幹線・特急時刻を収録(本文はすべて旧時刻)、3月号を2月25日(月)発売として本文をすべて改正時刻に切り替えました。このあおりで、4月号の発売も3月25日(火)に繰り下がり、5月号から所定の4月20日(但し20日が日曜のため実際は4月19日(土))に戻りました。
上述のように、6月号は臨月で5月25日(但し25日が日曜のため実際は5月24日(土))にズレて、やっと7月号で所定の6月20日(金)となります。どうもゴールデンウイークに限らず、ことしは曜日配列が悪いようです。
さて、最後にクイズ。「臨」の字が入ったJRの駅名があります(臨時駅ではありません)。どこでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その98)■ =2008年6月20日(金)発行 <通巻216号>=
【JR九州の「エル特急」よ、さらば】
JR九州の「エル特急」がひっそりと、本誌『時刻表』7月号から「特急」マークに変わりました。
「エル特急」の名前については、「薀蓄ニュース(その30):バックナンバー」 に詳しく書きましたが、1972(昭和47)年10月2日の誕生時から、時刻表編集部への質問ナンバーワンであります。
当時は頻発特急が珍しく、国鉄としては「エル」という斬新なペットネームを付け、『数自慢、かっきり発車、自由席』のキャッチフレーズで、華々しく宣伝したのでした。いまや急行の方が風前のともしびとなり、普通列車より特急が多い時間帯のある線区さえ珍しくない時代となりました。特にJR九州は、特急が引きも切らずに走っています。
自由席のある特急が珍しかった当時、その識別のため、「エル特急」の名前は重宝だったのですが、現在は全席指定の特急の方が稀少。特急料金も、「エル特急」と「特急」で、制度上の違いがあるわけではありません。さらに、列車愛称名を布に印刷し、くるくる変えて表示する方式から、デジタル方式に変わったのも大きいでしょう。そんなこんなで、JR九州さんから、『時刻表』の「エル特急」マークを、7月号から「特急」マークに変えてくださいとの要請があり、『スパなび』では、6月20日(金)発行号から変えたものです。
さて、最後にクイズ。JR九州の「エル特急」はいくつあったでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その99)■ =2008年7月22日(火)発行 <通巻219号>=
【時刻表の表紙】
本誌『JTB時刻表』(紙の月刊時刻表)の表紙といえば、まさに時刻表の顔。かつては国鉄の特急か新幹線が定番だったが、最近は私鉄の話題の新車や特急もしばしば登場している。
先月2008年7月号では、青函高速フェリー「ナッチャン」(東日本フェリー)の2隻目「ナッチャンWorld」が表紙を飾った。一般公募された船体イラスト「パレード」は、応募総数538点の中から18名のイラストが採用されたという。
東日本フェリーHP http://www.higashinihon-ferry.com/
今月8月号では、OPEN25周年の東京ディズニーリゾートにちなんで、「ディズニーリゾートライン」の跨座式(こざしき)モノレール。構造的には東京モノレールと同じだが、ミッキーの窓枠と5色のカラー、テーマパーク風駅舎群は、鉄道に乗っていることを忘れさせる。かえって園内の「ウエスタンリバー鉄道」のSLの方が、ふつうの鉄道の香りがする。
この8月号で、『JTB時刻表』は通巻991号となった。よって、2009年5月号が1000号となる。この1000号は、どんな表紙になるだろうか・・・
さて、最後にクイズ。「ディズニーリゾートライン」は一方向の環状運転です。一方向にしか走っていない路線(環状運転以外も含む)は、ほかにどこがあるでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その100)■ =2008年8月25日(月)発行 <通巻222号>=
【百の付く駅】
とうとう100になりました。それにちなんで、百の付く駅を集めてみると、11箇所ありました。
*百合が原 ゆりがはら JR北海道札沼線 北海道札幌市北区
*七百 しちひゃく 十和田観光電鉄 青森県六戸町
*五百川 ごひゃくがわ JR東日本東北本線 福島県本宮市
*百草園 もぐさえん 京王京王線 東京都日野市
*百合ケ丘 ゆりがおか 小田急小田原線 神奈川県川崎市麻生区
*新百合ケ丘 しんゆりがおか 小田急小田原線 神奈川県川崎市麻生区
*五百羅漢 ごひゃくらかん 伊豆箱根鉄道大雄山線 神奈川県小田原市
*五百石 ごひゃっこく 富山地方鉄道立山線 富山県立山町
*百舌鳥 もず JR西日本阪和線 大阪府堺市堺区
*百舌鳥八幡 もずはちまん 南海高野線 大阪府堺市堺区
*中百舌鳥 なかもず 南海高野線・泉北高速鉄道 大阪府堺市北区
なかなか難読ぞろいですね。なかでも「百舌鳥」は超難読、かつ、漢字より仮名の方が短い超レアケース。漢字から想像するに、やかましい鳴き声の鳥なんでしょう。
駅の開業が一番古いのは百舌鳥八幡の明治33.9.7、新しいのは百合が原の昭和61.6.28です。中百舌鳥は泉北高速鉄道の開業に際して昭和46.4.1に駅移転、新百合ケ丘は小田急多摩線の開業に際して昭和49.6.1新設した駅(新駅前後の線路はルート変更)であり、いずれもニュータウンへの新線分岐駅と、東西に離れながら来歴が似通ってます。
さて、最後に超難読3連発。及位(山形県)、柘植(三重県)、光岡(大分県)。ヒントは、いずれもJR駅で、県境に近い。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その101)■ =2008年9月25日(木)発行 <通巻224号>=
【「絹の道」上信電鉄と、富岡製糸場】
高崎駅の一番西側のホームから、上信(じょうしん)電鉄は発車する。以前は改札内乗り換えだったが、現在はJR改札を出てからの乗り換えとなっている。高崎からは約40分ごとに電車が出ており、20.2kmを約40分で上州富岡駅(富岡市。海抜164.9m)に着く。運賃は片道770円。降りると、駅舎隣の公衆トイレに目がテンになった。形が凸形で、なんと屋根にパンタグラフが乗っかっていたのだ。これはかつて同社の貨物輸送に活躍していた「デキ形」電気機関車(現在はイベント運行のみ)を模したもの。はじめて訪れた富岡にぐっと親しみが湧く。
駅から町中を歩いて10分ほど、幟に導かれて、富岡製糸場に着く。門を入ると、赤レンガの倉庫が左右にどーんと伸びていて圧倒される。この建物は昭和62(1987)年まで民間の製糸会社が操業していたのだが、火災、空襲にも遭わず、明治の建物がほとんど原型のままで残された。まさに奇跡といえる。500円の見学料を払い、毎時00分の解説案内出発を待つ。自由に見学してもよいのだが、待っていてよかった。約1時間で構内を一巡り。社会科の教科書だけの製糸場が、案内の方の力のこもった説明で、明治に働いていた人たちまで彷彿と迫って来た。
江戸が明治となり、国造りの原資として、生糸の輸出拡大が一番有望との政府の国策で、当時最先端のフランス式蒸気器械製糸が導入され、明治5(1872)年10月4日操業開始された。おもに士族の娘たちが工女(こうじょ)として集められ、1〜2年の実地研修ののち地元に帰って指導工女となり、各地に器械製糸場が創業することになる。
明治6(1873)年4月から、工女として富岡に勤めた横田ゑい(結婚して和田英)が50歳になって執筆した『富岡日記』が、当時の様子と、明治女の気概を伝える。当時15歳のゑいをはじめ、長野県松代よりは、10〜24歳の16名(平均年齢15.6歳)が富岡に赴き、翌年7月まで勤め、ゑいは17歳で、わが国最初の民間蒸気器械製糸場「西条(にしじょう)村製糸場」(現長野市松代町西条字六工(ろっく))の技術教師となったのだ。
明治5(1872)年といえば、日本最初の鉄道が新橋(のち汐留)〜横浜(のち桜木町)間に開業した年。明治17(1884)年5月1日上野〜高崎間、明治18(1885)年3月1日赤羽〜品川間が日本最初の私鉄の日本鉄道により開業した。そして明治30(1897)年7月7日上信電鉄(当時は上野鉄道(こうずけてつどう)といった)が富岡に到達した。これにより、荷馬車で横浜港に運んでいた生糸が、鉄道で一貫輸送できるようになった。まさに、「絹の道」として、これらの鉄道が機能したのである。
さて、八王子から横浜方面にも、「絹の道」として明治41(1908)年開業した鉄道がある。現在の何線でしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その102)■ =2008年10月20日(月)発行 <通巻228号>=
【真田氏の城 上田と松代】
体育の日3連休を利用して、長野新幹線で信州へ。通勤電車並みに混んだ新幹線は、通勤時間程度であっさり上田に到着。横川の釜飯や電気機関車の後押しの儀式もなく、混んでいて外も見えず、エレベーターの扉が開いたらそこは上田だった・・という風情。
ちょうど昼時で、やっぱりソバ。壁に真田十勇士の絵。次は池波正太郎真田太平記館。柳町、保命水、旧北国街道とたどって、上田城跡公園に向かう。近くの上田中央消防署の最新鋭消防車のナンバープレートが0119なのに気付きうれしくなる。お城は櫓が2つ残るのみ。そんな険しい城でないのに、さんざん徳川秀忠を悩ませたのは真田のいくさのうまさか。新幹線としなの鉄道が見える。じつに近い。
屋代駅前に泊まって、翌朝駅の窓口(しなの鉄道)で長野電鉄(駅舎の反対側にホーム)の切符を買おうとしたら、中を勝手に通って、バスのように降りるときに現金で払ってくれ、とのこと。なんか落ち着かない。ワンマンの2両電車で、松代の次の金井山(かないやま)駅に向かう。降りるとき運賃箱に460円入れる。千曲川の更埴橋を渡り、真っ赤なりんごがたわわな道を2kmほど。いきなり八幡原史跡公園のウラ口に着く。信玄謙信川中島合戦の跡だ。さらに1kmほどで典厩寺。赤い大きな閻魔様。30分に1本のバスをつかまえ、千曲川松代大橋を渡り、松代(まつしろ)駅前に到着。
折良く10月12日(日)は、「松代藩真田十万石行列」の開催日(第5回)だった。駅舎から少し歩いて踏切を渡ると松代城で、イベントも開催していた。お昼にはしこしこウドンを食べて、松代藩文武学校(当日は子供の剣道大会をやっていたため見学無料)を見たのち、その入口で行列を待つ。ここは道が鍵の手で、かつ行列がすぐ先まで行って折り返してくるコース上なので、バッチグー。なかなか本格的な行列で、馬何頭かに、武士・姫・やっこ・忍者まで100人くらいも。地元の女性から、○○さん素敵!!の黄色い声が飛ぶ。
象山神社、旧横田家住宅、歩行者天国、城と歩く。横田家は、前号で書いた横田ゑい(和田英)さんの生家だ。富岡製糸場と、上田〜松代の真田氏の縁に導かれた思いだ。
地元では 六文銭の里「信州・まつしろ」120分の散策 と宣伝している。半日でゆっくり歩いて回れる、上田や松代のような、こじんまりした町が好ましいと思う、今日この頃である。
さて、長野電鉄屋代線は最近まで、開業時の会社の名前を線名としていました。何線といったでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その103)■ =2008年11月20日(木)発行 <通巻231号>=
【鶴見線に降りたアートたち展】
首都圏にありながら、摩訶不思議な線が「JR鶴見線」。鶴見から扇町まで7.0kmの幹と、海芝浦までの枝線1.7kmおよび大川までの枝線1.0kmから成り、合計しても9.7kmと、10kmにも満たない。ところがこの短距離に、鶴見を入れて13もの駅がある大家族なのだ。最短の浅野〜安善間は0.5kmしかなく、次の駅のホームがはっきり見える。ちなみに最長は武蔵白石〜浜川崎間の1.6km。なお、戦時買収(1943年)される前の私鉄の鶴見臨港鉄道時代には、もっと駅があったというからビックリしてしまう。
沿線の有人駅は鶴見だけ(地平の京浜東北線ホームからは階段を上り、中間改札口を通って、高架の鶴見線ホームに至る)で、ほかはすべて無人駅(簡易Suica改札がある)。それでは沿線が過疎かというとさにあらず、京浜工業地帯のど真ん中なのだ。埋立地と埋立地を運河が結ぶレイアウトなので、大きな工場の塀や植え込みがとぎれると鉄橋が現れる。特に海芝浦は、ホームのすぐ横が海で、鶴見つばさ橋やベイブリッジが間近に望める知る人ぞ知る絶景駅(ホームの前方の駅構内に、東芝京浜事業所寄贈の公園がある)。
電車は黄色の3両編成、通勤時間帯は頻繁運転でぎっしりの通勤客、それ以外の時間はたまに来る電車にあまり多くない沿線住人がパラパラと乗り込む。ワンマン運転でないことが意外だった。大川枝線は、鶴見〜大川間に、平日は11往復(日中9〜17時は皆無)、土曜・休日は朝1本・夕1本の2往復のみで、国電としては究極ダイヤであろう。
さて、この鶴見線の5駅(鶴見、国道、浅野、海芝浦、扇町)を舞台に、「駅2008 鶴見線に降りたアートたち展」が、東京ステーションギャラリー(財団法人東日本鉄道文化財団)の主催で、10月25日(土)から12月7日(日)まで開かれている。丸の内駅舎の保存・復元工事で休館しているので、2012年再オープンまで、東日本の各地に場所を移して活動するのだという。
10月25日(土)の初日に、鶴見線何回目かの乗りつぶしを兼ね、作品たちを見に出掛けた。海芝浦の公園のすぐ目の前の海で、ダイバー2人が海にもぐって作業していたのをぼーっと眺めていたら、電車がいなくなってしまった。次の電車で戻った浅野は、外だけでなく、駅舎の中に複数の作品が展示されていた。3つ目の扇町ではどれが作品かわからず、車掌さんに聞く始末。それほど作品が景色にとけ込んでいた。国道は駅自体がアートといえるが、作品の真下の飲み屋では、そんなことは意に介さず酒盛りたけなわでおかしかった。最後の鶴見でも作品を探してしまった。説明は控えますので、楽しんで見つけてくださいネ。
さて、国道の駅名は、なにが由来で名付けられたでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その104)■ =2008年12月22日(月)発行 <通巻233号>=
【〔ぐるっとゆめ半島〕で銚子へ】
首都圏の摩訶不思議第2弾は「JR両国駅の北側のホーム」。このホームは国電(総武線)のホームより一段低い位置にある。秋葉原寄り(国技館出口)の改札からまっすぐ歩いて短い階段を上ると、閉まったシャッターにぶつかるが、ここがこのホームへの入口だ。行き止まりの形態なので、両国始発・終着の列車のみしか使えないホームである。
じつはこのホームは、かつて、房総方面への急行列車(のち特急)ホームとして使われていた。40年ほど前には、SLが牽く客車の普通列車さえあった。ときどき通るたびこのホームが気になっていたが、乗ってみようとしたときには始発列車が1本も無くなっており、私にとってここ20年ほど、憾みのホームであった。
11月29日(土)、両国始発8:46の快速〔ぐるっとゆめ半島1号〕銚子行きで、やっと悲願が果たせた。1ケ月前の発売日に取れず、3日前の朝、なんとかgetした指定券である(全車指定席なので券が無いと乗れない)。当日はシャッターが上げられ、赤い絨毯の上を進む演出。ホームに上がり、まずはホームの一番先端(錦糸町寄り)を目指す。左間近に総武快速線のトンネルの口が見えた。
電車はかつての国鉄特急の花形、183系の6両編成(1・6号車は乗れず)。うすいブルーみたいな塗色に変わっており、ちょっと残念。先頭が1号車で、
1号車 クハ183−1021
2号車 モハ183−1034
3号車 モハ182−1034
4号車 モハ183−1004
5号車 モハ182−1004
6号車 クハ183−1022
であった。
成田から先の各駅で、沿線の観光協会やJAの方が乗り込んで来た。1・6号車は控え室だったのだ。黄色い大きな紙袋とパンフレット、箸(成田山)と羊羹、さつまいも、餅、おにぎり、東庄町(とうのしょうまち)の大きな採りたてイチゴ、銚子の二大メーカーの醤油まで、指定席料金510円では申し訳ない特産品のプレゼントだった。
銚子で食べたサカナもさすがうまい。千葉県は地場の農産物・魚介類がじつに豊富。畠や田圃も荒廃せず、よく耕作されており、首都圏住民には心強い限りである。
なお、JR銚子駅ホームの先端からは、あの銚子電気鉄道も出ている。犬吠埼の灯台も一見の価値あり。ちょっと休日のお出かけに、千葉県一円へ鉄道でGo!!
さて、JR成田線佐原駅の住所はかつて佐原市だったが、現在は何市?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その105)■ =2009年1月27日(火)発行 <通巻236号>=
【3/14(土)JRグループダイヤ改正 速報】
このところ毎年恒例となった3月中旬のJRダイヤ改正が、昨年12月19日(金)に発表された。新幹線・特急の改正ダイヤについては、1月24日(土)に発売済みの本誌『JTB時刻表2月号』巻頭の黄色の速報ページに、既に掲載されているが、『スパなび』では2月25日(水)号に普通列車も含めた全列車を一括収録予定なので、概要をお知らせする。
*東海道・山陽新幹線……東京〜新大阪間〔のぞみ〕を、1時間当たり最大8→9本運転可能なダイヤに。〔のぞみ〕をぞくぞく、N700系に置き換え
*上越新幹線……〔とき〕・〔たにがわ〕・〔あさま〕を、1〜6分程度スピードアップ
*特急寝台〔富士〕(東京〜大分間)・〔はやぶさ〕(東京〜熊本間)廃止……東京〜九州間のブルートレイン(客車寝台)は全廃となる
*快速〔ムーンライトながら〕(東京〜大垣間)……臨時列車に格下げ(多客期のみ運転に)
*快速〔ムーンライトえちご」(新宿〜新潟間)……臨時列車に格下げ(多客期のみ運転に)
*新駅開業6駅……JR東日本:川越線「西大宮(にしおおみや)」、南武線「西府(にしふ)」。JR東海:東海道本線「南大高(みなみおおだか)」。JR九州:鹿児島本線「ししぶ」・「広木(ひろき)」、久大本線「久留米高校前(くるめこうこうまえ)」
このほか各地で、特急・快速・普通列車の増発や停車駅追加、接続の改善が多数ある。また、JR西日本で唯一急行として残っていた〔つやま〕は快速となる。
さて、この改正後、JR全体で、定期列車として残る急行愛称名は、いくつとなりましょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その106)■ =2009年3月2日(月)発行 <通巻238号>=
【駅のエレベーター】
西欧の鉄道に乗ってびっくりしたこと。地下鉄はだいたい地下を走っているが、国鉄も大都市は地下にもぐる区間が多い。これら地下駅の1つでホームに降りたら、目の前にごっついエレベーターがある。こりゃいいと、早速乗る。扉ががっちゃーーんと閉まる。手を挟んだら骨が確実に折れそう、などと思っているうちに、がつーーんと突然扉が開く。明るい。外へ出る。なんと、町中の街路に立っている自分を発見することになる。
日本では、イナカはともかく、駅には改札があるのが当たり前なので、ホームから改札階までエレベーターで上がっても、改札を出て、さらに別のエレベーターに乗らなければいけない。これが常識と思っていたので、実際に体験してビックリした次第。
日本のように乗客が多くなく、車内改札だけだからできることとはいえ、便利この上無い。日本でも、『Suica』類=無人改札 なのだから、エレベーターを降りたところに「簡易ピー(簡易型のSuica改札)」があれば、実現できそうだ。
ただ、町中の街路に立っても、線路は見えず駅舎も無いから、地図と照合しても東西南北が判然とせず、駅員に聞くこともできない不便もあった。なお、パリやマドリッドでは、国鉄であっても、都市域は自動改札となっている。
さて、「改」または「札」という字が入った鉄道駅名は、いくつあるでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その107)■ =2009年3月25日(水)発行 <通巻241号>=
【鉄道連絡船 宮島航路】
2009年4月1日(水)より、JR西日本直営の「宮島航路」が、「JR西日本宮島フェリー株式会社」に営業移管(船舶事業の譲渡)され、ここに鉄道会社直営の「鉄道連絡船」はすべて幕を閉じることとなった。
もっとも、弊社JTBパブリッシング刊、キャンブックス『全国連絡船細見』(古川達郎著、定価:本体2400円(税別))によれば、『「鉄道連絡船」とは、本来鉄道線路の不連続点を結び、海陸一貫した鉄道路線体系上重要な機能を果たす連絡船」』なので、1988(昭和63)年の「青函航路」「宇高航路」の廃止をもって、「鉄道連絡船」は消滅したことになるが・・。ただ、JR旅客営業規則では第3条の中で、『「旅客鉄道会社線」とは、旅客鉄道会社の経営する鉄道及び航路(宮島口・宮島間航路に限る。)をいう」と定めてあったように、宮島航路は鉄道線と同等のものとして扱われてきた。これが、単なる民間フェリーの1つに変わることになったのだから、ビッグトピックなのだ。
おりから発売中の「青春18きっぷ」(3月1日〜4月10日の期間、JR全線の快速・普通列車の普通車自由席と、宮島航路が乗り降り自由)の効力が注目されたが、4月1日以降の宮島フェリーもOKとのイキなはからいとなった。
この「鉄道連絡船 宮島航路」は、1903(明治36)年3月8日山陽鉄道が営業を開始したのに始まる。当時も現在と同じ区間だが、宮島口が宮島、宮島が厳島(いつくしま)と言った。1906(明治39)年12月1日鉄道国有化で買収され、1987(昭和62)年4月1日国鉄分割民営化でJR西日本が承継した歴史を持つ。船舶は、みやじま丸(4代目)、ななうら丸(2代目)、みせん丸(4代目)の3隻体制で、1日53往復。なお、みやじま丸は、電気推進船というスーパーエコシップである。
さて、「あきのみやじま」とよく称されますが、漢字ではどう書くでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その108)■ =2009年4月20日(月)発行 <通巻243号>=
【『JTB時刻表』 通巻1000号】
弊社JTBパブリッシング(東京都新宿区払方町)刊の『JTB時刻表』(本誌)は、本日4月20日(月)発売の5月号で、通巻1000号に到達した。創刊号は1925(大正14)年4月号だが、第2次世界大戦前後には発行できなかった月もあり、84年2ケ月かかったことになる。
999号となった4月号の表紙には、松本零士(まつもとれいじ)さんに、999(スリーナイン)号、鉄郎、メーテルのイラストをお願いし、「走りつづけて999号」と銘打った。
1000号は、JR九州の特急・新幹線の列車デザインを手がけられている水戸岡鋭治(みとおかえいじ)さん書き下ろしの、1925年、1958年、1964年、1992年、2011年における、代表的列車5つのイラストで飾った。
1000号には、別冊特別付録として、1946(昭和21)年2號掲載の「全国鉄道線路圖」を添付した。今は無き廃線がたくさん載っているのは当然として、逆に、紀勢本線や大糸線、釜石線、日田彦山線など、両方から延びつつまだつながっていない(全通していない)路線もある。もっとビックリするのは、こののち全通して、国鉄民営化前後に全線廃止された路線があることだ。例えば、湧網線、羽幌線、上山田線、大隅線など。東京附近の拡大図も、意外と変動がある。国鉄線だけ見てみても、新幹線はもちろんとして、総武快速線(東京〜錦糸町)、京葉線、武蔵野線、埼京線、根岸線(桜木町〜大船)などは無かった。氷川、浅川、原町田などの駅名も懐かしい!!
4月号と5月号の巻頭グラビアページ(各6頁)には、『鉄道史の語り部「時刻表」の歩み』と題して、曽田英夫(そだひでお)さんにまとめていただいた。合わせてご覧いただきたい。
また、大宮の鉄道博物館(埼玉新都市交通大宮から1駅目の鉄道博物館下車すぐ。埼玉県さいたま市大宮区大成町3丁目)で、4月22日(水)から8月31日(月)まで、鉄道博物館コレクション展「時刻表」をコラボレーションする。弊社『JTB時刻表』と、交通新聞社『JR時刻表』の、各創刊号からの表紙が解説付きで展示される。
さて、2011年の列車とはなんでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その109)■ =2009年5月25日(月)発行 <通巻246号>=
【東欧3ケ国の国鉄『時刻表』】
東ヨーロッパを今春訪れ、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの3ケ国の国鉄に乗ってきた。『時刻表』を国鉄の駅で販売している(ふつうの書店には売っていないらしい)とのことで、是非購入したいものと探したのだが、これがマコトに大変だった。
まず、チェコだが、地下鉄に乗ってプラハ本駅(中央駅)に。informationの矢印に従って歩くが、途中で矢印が消え(よくあること)、地下街を行ったり来たりして、やっと中2階のはじっこに、国鉄のinformation窓口を発見。「timetableを買いたい」と言うと「どこの駅への時刻が知りたいのか?」と言っているようなので、「all station timetable」と答えるが要領をえない。予め調べていった、『時刻表』を表すチェコ語のアルファベットをメモに書いて示したら、「ここには無い。向こうの窓口で売っている」と言っているようだ。同じ中2階の反対側に、通路に面して切符売場が5、6口ほど並んでいる。空いていた窓口のお姉さんに、同じようにして尋ねる。ご機嫌が悪く、「upstairs」と叫ぶのみ。階段を上ると、外に出てしまった。道路の向こうに、補修工事中の、外観が大時代的な駅舎が見える。自動車がガンガン走って来て、ちょっと渡れない。もう一度地下に降りて、向う側に上がる。駅舎の中に足を踏み入れるが、がらーんとして、部屋という部屋はすべて閉まっている。端の空きスペースに間借り店舗があり、そこだけ少し人影があった。列車ホームに出ると(日本と違って改札は無い)何面かあるが、ホーム上に事務所や切符売場は見えない。こりゃ、やっぱり下しかない、と地下街にリターン。切符売場をぐるっと見渡し、やさしそうなご婦人の窓口に最後の賭け。「timetable」と言うと「information。information」と追っ払われそうになったので、またチェコ語のメモを必死に見せる。ご婦人しばし固まって、やおら「あぁ!!」と発して奥に消える。そして待望の『時刻表』を手に戻ってきたのでした。めでたし、めでたし。A5判、厚さ25ミリ、784ページ。値は30コルナ(約150円)。この間、30分を費やしておりました。
次はチェコと分離した、南のスロヴァキアの国鉄。1日目トレンチーン駅、2日目バルデヨフ駅には無さそうだった。3日目コシツェはスロヴァキア第2の都市だ。夕方、駅舎1階におもむき、『Thomas Cook European Rail Timetable December 2008 日本語版(以下Cookと略記)』で調べた時刻を、通路にある、丸い大きな筒型の時刻表をぐるぐる回して確認していて、隣りに「JRみどりの窓口」のような部屋があるのに気付く。入ってみると、スロヴァキア語の看板はちんぷんかんぷんだが、右側から国内切符、真ん中が国際切符、左端がinformationとみた。そのinformationの向かいの壁に、ガラスケースがある。中をなにげなく見ると、鉄道グッズ(お子様向け・おとな向け)各種、スロヴァキア鉄道史の本、そして『時刻表』様が、麗々しく陳列されているではないか。気ははやるが、informationの先客のお姉さん、なっかなか話が終わらない。10分以上も待って、やっと私の番に。「時刻表を買いたい」と言うと、「この時間はここでは売ってない。2階に行って」と一言。2階のそれらしい窓口にたどりつくと、地元の学生が定期券らしいのを買っていた。私の番となり、念のため持参のチェコの『時刻表』を見せると、すぐわかってもらえた。ロッカーを開け、10冊2列の計20冊が透明なラップで1梱包になったのを、よっこらしょと持ち出す。どんと置いて、ラップを無造作に破く(久しぶりに売れたのだろうか。地元の人は買わないのだろうか・・・)。別刷りの訂正表が付いて、2.66ユーロ(約360円)払う。半端な値段だが、今年1月1日からユーロが導入されたためで、逆算すると旧通貨で80コルナだったはず。A5判、厚さ14ミリ、252ページ。
さらに南へ下がってハンガリーへ。ブダペスト・ケレティ駅に着いて、ホーム階にある国際切符売場へ行って聞くと、「地階のinformationに行け」との返事。この窓口の人の英語は聴き取りやすかった。地階は国内切符売場で、左の方にinformationがあった。ここのご婦人、英語がまったく通じないが、スロヴァキアの『時刻表』を見せ、難なく『時刻表』が買えた。レシートを示したので、印字された990フォリント(約500円)を払う。これも別刷りの訂正表付き。B6判よりやや小振りで、厚さ26ミリ、848ページ。
これら3冊、いずれも2008.12.14(日)〜2009.12.12(土)有効と、最初の頁にうたっている。年に1回12月に、定期的に発行されているようだ。『Cook(月刊)』の12月号の内容に相当する。綴じ込みの索引地図を開き、線路の横の数字で引くのは日本の『時刻表』と同じだが、こちらではページ番号でなく、『Cook』同様に時刻表番号となっている。ただ、中味自体の掲載方は万国共通なので、違和感なく使える。全線全駅全列車収録なので、『Cook』に省略されている普通列車の時刻もしっかりわかる。なるべく各駅停車で、駅名標やキロ標をメモしながら、ゆっくり景色も堪能したい私にとっては、各国の国鉄『時刻表』は必需品だ。なお、運転日・運休日などの注記は現地語なので、いろいろ想像力を働かせないと、駅に行ったがその日は列車が走っていなかったなんてこともままある。各国独自の祝日にも泣かされた。ローカル線は、日曜・祝日・土曜は極端に運転本数が少なくなるからだ。まあ、そんなこんながまた面白いんですが。
さて、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーは、北から南に連続した3ケ国だが、チェコの北、スロヴァキアの西、ハンガリーの南は、どこの国でしょうか?
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