■JTB時刻表『スパなび』 蘊蓄(うんちく)ニュース バックナンバー■
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その1)■ =2001年5月17日(木)22時発行 <通巻6号>=
【JR四国 予讃線・高徳線】 高松駅移転に伴い、5月13日(日)から改キロ
高松駅新駅舎(Dとする)完成で高松駅が内陸寄りに0.3km移転しました。これに伴い、予讃線高松〜香西3.7→3.4km(△0.3)、高徳線高松〜昭和町1.8→1.5km(△0.3)に改キロされ、予讃線から高徳線方面へ抜ける場合は△0.6kmとなりました。5月12日(土)までの日付で検索した場合もこの短い新キロで計算し結果が表示されます。ご注意ください。
さて、高松駅(A)が開業したのは1897(明治30)年2月21日で、琴平から丸亀を経て伸びてきた「讃岐(さぬき)鉄道」という私鉄の駅でしたが、だいぶ西側の内陸寄り、現昭和町駅付近の場所にありました。1904(明治37)年には山陽鉄道に買収され、さらに山陽鉄道も1906(明治39)年12月1日には国有化されました。1909(明治42)年10月12日からは正式に「讃岐線」と呼ばれるようになりました。
1910(明治43)年7月1日、高松駅は海岸寄りに移転(B)しました。これは、同年6月12日宇野線岡山〜宇野が開通し、同時に宇高(うこう)航路が開設されたことに呼応したものでした。1911(明治44)年12月20日、新設の高松桟橋に隣接して「高松桟橋待合所」が設置されました。1924(大正13)年8月10日よりここまで列車が乗り入れるようになって、「高松桟橋」の名前で、高松駅とは別駅として時刻表に掲載されました(正式には高松駅の構内の一部。かつて徳島県牟岐線の中田(ちゅうでん)駅から出ていた小松島線小松島駅と小松島港仮乗降場の関係と同じ)。岸壁に直結し、連絡船との乗り換えが便利になったのです。
1959(昭和34)年9月15日に高松駅(B)自体がこの「高松桟橋」の場所に移転(C)し、+0.3kmの改キロが行われ、旧駅(B)はなくなりました。この(C)が5月12日(土)までの高松駅なんです。結局、42年ぶりに、高松駅(D)は高松駅(B)の営業キロにぴったり戻ったことになります。厳密に同じ場所ではないかもしれませんが・・・。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その2)■ =2001年5月25日(金)午前10時発行 <通巻7号>=
【上毛電気鉄道】 循環器病センター→心臓血管センター 6/1(金)駅名改称
駅の北方に「群馬県立循環器病センター」があり、その最寄り駅として、1994年4月10日に開業した駅です。同時に、一毛町(いっけまち)→城東(じょうとう)への改称も行なわれています。この月の22日には「志摩スペイン村」が開園したのでした。
インターネットで「循環器病センター」と入れたら、河内長野市には「国立循環器病センター」があるようです。「群馬県立循環器病センター」のホームページを見ると、タイトルはまだこの名前のまんまで、病院名の改称のお知らせはありませんでした。この病院の診療科目は、循環器科・心臓血管外科・内科・外科・消化器科・整形外科・神経内科・麻酔科・放射線科・リハビリテーション科・呼吸器科・呼吸器外科と多岐に渡りますが、今回、循環器から心臓血管に重点が移るのでしょうか。
試しに「心臓血管センター」でサーチしたら、「心臓血管センター 北海道大野病院」がヒットしました。渡島大野駅付近(函館の北方)にあるのかと思いきや、理事長さんの苗字で、病院の所在は札幌市の琴似付近なのでした。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その3)■ =2001年6月6日(水)正午発行 <通巻8号>=
【水間鉄道】 6/1(金)ダイヤ改正
私鉄から私鉄が分岐しているケースは意外と珍しいもの。南海電気鉄道の南海本線の貝塚駅が起点の「水間(みずま)鉄道」は大阪府にあり、1925(大正14)年12月24日にまず貝塚南〜名越が開業しました。この後、会社名はいっさい変わったことがなく、合併されたことも、他社鉄道線を合併したこともなく、JR阪和線との交差地点にはなぜか駅がありません。南海が12.5%の株を保有しているものの、今日まで独立独歩を歩んできた私鉄なのです。
貝塚を含めて全部で10駅、全長5.5kmのミニ私鉄の終点は、同じ貝塚市内の水間駅。「近畿の駅百選」に選ばれた駅舎は、社名の由来となっている「水間観音」(駅から徒歩5分ほど)を意識した寺院風のデザイン。水間まで全通した1926(大正15)年1月30日以来の駅舎で、国の登録有形文化財です。
「水間観音」は正式には天台宗別格本山「龍谷山水間寺」。僧行基が開いたと伝えられる西暦700年代創建の古刹。江戸時代後期に建てられた三重塔は府下で唯一現存する三重塔。縁結びの神様愛染明王をまつる「愛染堂」には歌舞伎で有名な「お夏清十郎の墓」もあります。詳しくは「水鉄(すいてつ)」のホームページ
http://www.suitetsu.com/ にて。
おまけのクイズをおひとつ。「かいづか」「みずま」と同名の駅が、九州の同じ私鉄かつ同じ県にある。どこだぁー。(ヒント:「みずま」は漢字が全く異なります。「かいづか」は他社との接続駅)
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その4)■ =2001年6月20日(水)19時発行 <通巻9号>=
【JR北海道】 6/30(土)限り 天幕など6駅廃止
田辺朔郎(たなべさくろう。1861-1944)といえば琵琶湖疎水(そすい)工事で名高いが、明治29(1896)年、臨時北海道鉄道敷設部(北海道庁管理下の通称「北海道官設鉄道」)に部長として招かれ、北海道炭礦(たんこう)鉄道の終点空知太(そらちぶと。現砂川〜滝川間)以北の新線調査に当たっている。
旭川まではほぼルートが固まっていたが、釧路・北見・網走方面への線路をどこに敷くかで現地調査が必要となった。石狩川をどんどんさかのぼり、北見峠を越えて、現石北本線〜釧路〜現根室本線のルートを、文字通り歩いて踏査したのである。
上川からは大森林に分け入るが、天幕三次郎という人の小屋があり泊めてもらった。このときの恩に報いるため、のちほどの昭和4(1929)年11月20日、石北西線が上川〜中越に延伸し駅ができたとき、鉄道省で「天幕」と命名したと伝えられる。この踏査旅行では「十勝(とかち)」から「石狩(いしかり)」に抜けているが、峠の雄大さを愛で、国名から1字ずつ取り「狩勝(かりかち)峠」と命名したのも田辺朔郎である。アイヌ語地名ではない、念の為。
釧路へのルートは結局、旭川から(現富良野線)と、釧路からの2方向から工事が進められた。釧路〜白糠(しらぬか)が開業したのはちょうど100年前の明治34(1901)年7月20日、狩勝峠を克服して全通したのは明治40(1907)9月8日である(現在のルートとは別線)。現石北本線のルートが全通したのは、だいぶ遅れた昭和7(1932)年10月1日であった。天幕の先の北見峠が狩勝峠をしのぐ難路で、当時道内最長の石北トンネル4329mの完成を待たねばならなかったためである。
ところで、6月30日(土)限り、宗谷(そうや)本線下中川(しもなかがわ=天塩中川3.9+4.5歌内)、上雄信内(かみおのっぷない=糠南3.5+2.2雄信内)、芦川(あしかわ=徳満5.7+4.3兜沼)と、石北(せきほく)本線天幕(てんまく=上川5.6+6.7中越)、中越(なかこし=天幕6.7+16.7奧白滝)、奥白滝(おくしらたき=中越16.7+5.0上白滝)の計6駅が廃止される。乗降人員は1日平均0.1人に届くか届かないかのオーダーというが、駅がある限り、駅舎の整備や冬期の雪かきは欠かせないのである。4月30日まで天幕駅が休止となっていたのもこのためなのだ。
『角川日本地名大辞典 北海道上巻(1987)』p919「てんまく 天幕<上川町>」の項によれば、『明治22(1889)〜25(1892)年北見道路開削。地名はこの時期、天幕三次郎が当地で漁労生活をし、のちに旅人宿を営んだことから天幕と称されるようになった。明治39(1906)年から開拓者が入地し、大正3(1914)年に八幡宮を創建。大正6(1917)年には留志辺(るべしべ)尋常小学校天幕分教場ができ、昭和12(1937)年天幕小学校として独立した。昭和6(1931)〜15(1940)年には天竜鉱山付属精錬所が、昭和28(1953)〜40(1965)年には木工場もあって栄えた。昭和35(1960)年には68世帯344人を数えたが、昭和45(1970)年には39世帯142人、昭和55(1980)年には8世帯22人となって、昭和51(1976)年には天幕小学校が廃校、昭和58(1983)年には天幕駅も無人駅となる。』
石北本線上川〜白滝は各駅停車が1日1往復しかなく、かつての清水港(しみずこう)線のような究極のダイヤとして知られていたが、これで上川〜上白滝34.0kmに1つも駅がないこととなった。ただ、中越、奥白滝駅は信号場に格下げされて残るので、既設の上越(かみこし)信号場(中越7.7+9.0奥白滝。昭和50(1975)年12月25日、駅から信号場に格下げ。トンネルの西側)と合わせ、途中に3つの信号場をかかえる区間となる。この34.0kmは、石勝線トマム〜新得33.8km(途中に5つの信号場がある)を抜いて、在来線の最長駅間レコードを更新した。
おヒマな方にクイズ。在来線の駅間20.0km以上の5箇所はすべてJR北海道の路線。3箇所は新得の近辺だが、あと2箇所は何線か?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その5)■ =2001年7月5日(木)20時発行 <通巻10号>=
【松浦鉄道】 7月1日(日)ダイヤ改正
長崎県はその名前のごとく、海岸線が入り組んで長〜い、岬つづきの県であります。この北西方向に突き出しているのが北松浦半島。これの海岸線に沿ってうねうねと93.8kmも走る第3セクターの私鉄が「松浦(まつうら)鉄道(線名は西九州線という)」です。1988(昭和63)年4月1日に3セク化されるまでは「JR松浦線」といいました。
半島の根元、JR佐世保線との接続駅である佐賀県の有田を起点として北上し、JR筑肥(ちくひ)線との接続駅伊万里からは海沿いとなります。起点27.5kmの今福(いまぶく)駅の手前で長崎県に入り、社名の松浦駅を通り、北西端のたびら平戸口で方向をほぼ180度転じて南下し、ところどころは山の中に入りつつ佐世保線佐世保に至ります。有田〜佐世保のJR線の距離は20.6kmですから、その迂回ぶりがわかります。
1988(昭和63)年3月31日、JR時代最後のダイヤを同年4月号の時刻表p338で調べると、有田〜佐世保の駅数はこの2駅も含め32駅、下り列車は区間運転も1本と数えて計27本(有田〜伊万里で14本、伊万里〜松浦で12本、松浦〜平戸口で9本、平戸口〜佐世保で9本)、うち1本は唐津9:21〜10:03伊万里10:04〜11:59佐世保12:03〜13:09諫早13:10〜13:40長崎と走る「急行 平戸」なのでした。
翌日の4月1日3セク初日から急行はなくなり、駅数は32駅そのままながら、下り列車は計44本(有田〜伊万里で21本、伊万里〜松浦で17本、松浦〜平戸口で16本、平戸口〜吉井で17本、吉井〜佐々で18本、佐々〜佐世保で23本)に増発されています。
今回の7月1日改正では、有田〜佐世保の駅数は57駅とほぼ倍になっており、下り列車は計79本(すべて伊万里乗り換え。有田〜伊万里で30本、伊万里〜松浦で26本、松浦〜たびら平戸口で20本、たびら平戸口〜佐々で28本、佐々〜佐世保で42本)とほぼ3倍です。JR時代に佐世保から平戸口(現たびら平戸口)に行こうとした場合、朝の7:32に乗り遅れると昼の12:02まで1本もなかったのが、佐々まではほぼ20分おき、たびら平戸口まではほぼ30分おきに大変身したのです。3セク化後の努力の成果がはっきり実感できます。
昭和30〜40年代までの松浦線は沿線の炭鉱(ヤマ)で栄え、というよりヤマのために線路が敷かれたのであり、支線が3本(世知原(せちばる)線、柚木(ゆのき)線はヤマへ、臼ノ浦(うすのうら)線は積出港へ)ちょろっと出ていました。旅客列車は多くはなかったものの、石炭を満載した貨物列車が引きも切らなかったのです。
今回の改正はダイヤの決定が遅れたため、6月20日発売された本誌7月号には掲載が間に合わず、この『スパなび』が初掲載となっています。どうぞご利用ください。
恒例(?)のクイズを。起終点も含め、松浦鉄道の沿線には市代表駅が3つある。どこだー? なお、国鉄時代最西端の駅として有名だった現たびら平戸口駅は、対岸の島にある平戸市(ひらどし)の玄関口であるが、駅自体は北松浦郡田平町(たびらちょう)にあり、平戸市内ではない。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その6)■ =2001年7月19日(木)午前10時発行 <通巻11号>=
【一畑電気鉄道】 7月23日(月)松江フォーゲルパーク駅開業
4月2日(月)、古江(ふるえ)を駅名改称した「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前」は、漢字18字、かな23字と、両方とも鉄道駅名の字数レコードを更新しました。これほど長くはありませんが、同じ一畑(いちばた)電気鉄道に、またまた舌をかみそうな長い駅名の登場です。しかも今度もカタカナ混じり。じつはこの両駅名の元となっている施設は、一畑の線路際の宍道湖畔にあって、両施設とも、松江市都市建設部湖北パーク建設課がかかわっています(両駅とも松江市内)。
前者の駅のそばには「松江ウォーター・ヴィレッジ」があり、アメリカの装飾美術家「ルイス・カムフォート・ティファニー(Louis Comfort Tiffany)」の作品約180点などを展示(ガラス工芸、特にステンドグラスに特色あり)する駅名と同名の美術館と、「イングリッシュ・ガーデン」を備え、4月28日(土)にオープンしました。駅名自体はダイヤ改正に合わせ、一足早くの改称でした。
後者は新駅で、同名の公園と同時の7月23日(月)のオープンです。「フォーゲル(VOGEL)」はドイツ語で鳥のこと。32haの敷地に、100羽のフクロウが出迎える「長屋門」、水鳥・熱帯鳥類のコレクション「バードエイビアリー」、カモの泳ぐ「水鳥池」、100羽のエミューとふれあえる「エミュー牧場」や、年中満開のベゴニア・フクシアなど1万株の大温室「センターハウス」があり、「花と鳥、自然を共有するこころの体験パーク」がキャッチフレーズ。総事業費72億円は、松江市が57億、有限会社カモ(静岡県掛川市の会社で社長は加茂元照氏)が15億の出資です。どうもカモのいる池は、社長の苗字にあやかったらしい・・・
地元の人にはやさしい問題だが、クイズを1つ。「一畑」の社名の由来は?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その7)■ =2001年8月1日(水)17時半発行 <通巻12号>=
【夜行バス〔はかた〕号】 日本最長の長距離バス健在
ブルートレイン「はやぶさ・さくら」は東京発18:03→博多着9:53で、この間約1200kmを15時間50分かかっています。この夜行バスは新宿高速バスターミナル発21:00→博多駅交通センター(博多駅前にある)着11:10で走り、所要14時間10分と、2時間近くも俊足です(このバスの終点自体は博多より10分先の西鉄天神バスセンター)。ルートは東名でなく中央道経由で、鉄道線路より距離も少し短いのです。西日本鉄道と京王電鉄の共同運行で、以前の1日2往復は1往復に減りましたが、なんといっても、定期運行している日本最長のバス路線であります。
新宿〜博多・天神が片道15000円と、「はやぶさ・さくら」の23040円(乗車券13590+特急券3150+客車二段式B寝台券6300)と比べ約3分の2の値段でおトク。もちろん列車の寝台に比べて多少きゅうくつではありますが、居住性重視の3列シートで、軽食サービスのおマケ付き。
夜行バスには、東京ディズニーランドや、大阪のUSJへの直通路線もあり、往復夜行バスを使った効率的(体力勝負?)なプランも可能です。ただ、休廃止となったり新規の路線ができるような改廃が意外と激しいので、この『スパなび』で最新の情報をご確認ください。
調べたい駅名を直接入力しても検索できますが、鉄道の駅名と微妙に異なる場合が多いので、『スパなび』最初の画面の上部真ん中にある「路線から駅名入力」のボタンをご利用ください。同方面への他の路線も一覧表示され便利です。
最後にクイズ。「西鉄天神バスセンター」は、西日本鉄道天神大牟田線「西鉄福岡(天神)」駅と、福岡市営地下鉄空港線「天神」駅のあるところ。日本全国にはこのほか、天神の付く鉄道駅名としては、「長岡天神」「天神橋筋六丁目」「萩原天神」「天神ノ森」「天神山」「味噌天神前」がある。この中にJRの駅が1つだけ混じっているがどれだ?
※新宿高速バスターミナル→博多駅交通センター(又は西鉄天神バスセンター)の検索を画面の初期設定の午前9時のままでやると「該当情報は見つかりませんでした。」と表示されますが、これはバスの到着が翌朝11時過ぎのため、この時刻までの経過時間が26時間少々となるためです(検索結果が24時間01分以上となる検索はサポートしていないため)。午後の適当な時刻で指定して検索してみてください。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その8)■ =2001年8月27日(月)14時発行 <通巻13号>=
【大阪モノレール】 世界最長のモノレール
ちょっと意外な気がしますが、日本のモノレールはなかなかのものらしい。弊社の横っちょを走る「東京モノレール」と同じ「跨座式(こざしき)(またがる方式)」の「大阪モノレール(こちらはこれは正式な会社名でなく、正式名は大阪高速鉄道)」は、大阪空港〜門真市間21.2kmが1997年8月22日に全通しているが、このたびギネスから、モノレールの営業距離世界最長と認定された。大阪モノレール主要駅(大阪空港・蛍池・千里中央・山田・万博記念公園・南茨木・大日・門真市)のコンコースには、このギネスブック認定証の写しが掲出されている。
日本のモノレールの最初は、1957(昭和32)年12月17日に開業した、上野動物園の東園と西園(当時は本園〜分園)を結ぶ0.3kmの「懸垂式(けんすいしき)(ぶら下がる方式)」(東京都交通局)。これは実験的な路線だったが、現在も元気に走っており、しかも鉄道事業法に基づく正式な鉄道である。但し休園日は運休となる。
本格的な都市交通モノレールとしては、東京オリッピック直前、1964(昭和39)年9月17日に開業した、われらが「東京モノレール」からである。ただ最初は途中駅は1つもなく、利用客も少なかった。道路が渋滞するようになって価値が見直された。モノレールの仲間としては「ゆりかもめ」のような「案内軌条式」もある。跨座式や懸垂式より建設も容易で今風だが、輸送力はやや小さい。
最後にクイズ。本格的な都市交通モノレールで、跨座式か懸垂式の会社はこのほか、「千葉都市モノレール」「多摩都市モノレール」「湘南モノレール」「北九州高速鉄道(モノレール小倉線)」の4社がある。それぞれどちらの方式でしょうか?
もひとつクイズ。現在、跨座式の都市交通モノレール約13kmを建設中の、県庁所在地は?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その9)■ =2001年9月13日(木)18時発行 <通巻14号>=
【都営地下鉄浅草線】 相互乗り入れの第1号
都営地下鉄の4路線はすべて異なった規格である。新顔の「大江戸線(都営12号線)」は線区内で完結している独立線区だから抜くとして、ほかの3路線のレールの内側の幅(専門的には軌間(きかん)又はゲージという)は、浅草線が1435mm、三田線が1067mm、新宿線が1372mmとバラエティに富む。
これは他社線との相互乗入れを前提として建設したからで、1960(昭和35)年12月4日開業(最初の区間(押上〜浅草橋)の開業日。以下同じ)の「浅草線(都営1号線)」は京成押上(おしあげ)線と京急本線、1968(昭和43)年12月27日開業の「三田(みた)線(都営6号線)」は東武東上(とうじょう)線と東急目黒線(東上線側は計画が取り止めとなった)、1978(昭和53)年12月21日の「新宿線(都営10号線)」は京王本線(本八幡側は新線の千葉県営北千葉線と乗入れの計画だった)のゲージに合わせたのである。
ここまで書いて気が付いたが、大江戸線も最初の区間は1991(平成3)年12月10日と「12月」。さらに延伸した開業日も同じ12月が突出して多い。名古屋市営地下鉄は3月の開業が多いが、いずれも自治体経営の鉄道で、議会の議決と予算執行方法に関係があると思われる。
さて、今回ダイヤ改正した京成であるが、1372mmであったのを、浅草線の開業直前に全線を1435mmにレールの幅を広げ(改軌(かいき)という)、押上駅は地下におろした。当然ながら工事中は列車が走れないが、現在ではとてもこんな大工事はできない相談であろう。
このような犠牲を払って開業に漕ぎつけた押上〜浅草橋3.1kmであるが、じつは都市交通における本格的相互乗入れ第1号の区間なのである。いまや京成上野方面の本線をしのぐ、実質メインの区間に成長した。相互乗入れという知恵なかりせば、首都圏の通勤・通学輸送は完全に行き詰っていたと断言できる。
なお、京急との相互乗入れは8年後の1968(昭和43)年6月21日である。品川で地上に出るが、全区間地下の泉岳寺〜品川は京急が建設した。このルートの新橋〜泉岳寺〜品川は因縁の区間で、東京地下鉄道(現営団地下鉄銀座線)が浅草〜新橋に開業した1934(昭和9)年当時は、渋谷方面でなく品川に伸ばす計画であり、戦争を挟んで34年もかかったわけである。なんといっても日本橋〜新橋〜品川は、五街道の筆頭、東海道のルートなのだ。今回の9/15改正のルートも、日本の2大空港、羽田空港と成田空港を直結しており、時代は変わっても、人の流れは変わらないのである。
ここでクイズ。都営には路面電車(荒川線)もある。この線のゲージは?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その10)■ =2001年9月20日(木)午前10時発行 <通巻15号>=
【JR九州 筑豊本線】 むかしSL王国もついに電化
30年ほど前までの筑豊といえば、石炭貨車を連結したSLと、ボタ山がつきものの風景で、黒黒黒というかんじの沿線でした。
そもそも筑豊本線の前身は、1891(明治24)年8月30日、直方から若松まで開業した「筑豊興業(ちくほうこうぎょう)鉄道」という私鉄でした。それまで遠賀(おんが)川の川舟でほそぼそと運ばれていた石炭が、近代的なSLで、大量に安価に輸送されるようになったのです。1897(明治30)年には現鹿児島本線を中心とする九州鉄道に合併し、1907(明治40)年7月1日には国有化され、1909(明治42)年10月12日の告示で正式に「筑豊本線」となります(当時は若松上山田間)。
原田(はるだ)まで全通したのは1929(昭和4)年12月7日、これでもたった66.1kmの「本線」でした。こんな線が本線を名乗ったのは、ひとえに「黒いダイヤ」石炭の重要性からで、営業収支的にも超優良線区でした。北海道の留萠(現在は留萌と書く)(るもい)本線の66.8kmも同類で、留萌港が小樽、室蘭と並ぶ石炭積み出し港だったのです。
時刻表復刻版にも収録した1965(昭和40)年11月号の表紙は、若戸大橋を背景に走る赤い電気機関車の引くブルートレインですが、うしろの線路群に石炭貨車「セキ」の黒い長い列が写っています。鹿児島本線はこの年10月1日熊本まで電化されていたものの、ここに乗り入れる筑豊本線の貨車は、すべてSLが引き受けていたのです。
「筑豊本線=若松〜原田」が正式の区間ですが、実際は若松〜折尾と、桂川(けいせん)〜原田は別系統の運転系統となっており、今回の電化で、物理的にも電車では直通運転ができなくなりました。篠栗(ささぐり)駅で行き止まりだった篠栗線が、筑豊本線の桂川との間14.8kmを結んだのは1968(昭和43)年5月25日でしたが、今回の電化で、名実ともに飯塚・直方地区は、福岡市の都市圏に入ったことになります。
最後にクイズ。「本線」と付くJRの線で、起点から終点までの直通列車のない線を挙げよ。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その11)■ =2001年10月9日(火)15時発行 <通巻16号>=
【名鉄 揖斐(いび)線】 清水(きよみず) → 瀬戸線清水(しみず)
JR各線では、同名漢字の駅名、例えば「福島」は東北本線(新幹線)と大阪環状線に、「大久保」は奥羽本線と中央本線(黄色い総武線電車の停車駅)と山陽本線というように、そんなに珍しくはありませんが、私鉄ではなんと、名鉄のこの「清水」が唯一の、同一会社内の同名漢字駅だったのでした。
瀬戸線はほかの名鉄線につながっておらず、揖斐線も新岐阜駅の駅ビルの前の路面の新岐阜駅前で岐阜市内線(路面)に乗り換えて行くしかないので、実際上は不都合はなかったのです。「清水→清水」のきっぷを買うことも可能でした(栄町〜新名古屋は中抜き通算。別途名古屋市営地下鉄などを利用することになる)。JRの同名漢字駅のルールに準じて、きっぷには「(揖)清水」「(瀬)清水」のように、線名の略字を冠して記載していました。(JTBキャンブックス『名鉄の廃線を歩く』p11のコラム「清水から清水行きの切符」に写真が載っている。金1100円・当日限り有効・下車前途無効也)
これというのも、名古屋鉄道は多数の会社が合併した私鉄だからで、瀬戸線は1905(明治38)年開業の「瀬戸自動鉄道」、揖斐線は1914(大正3)年開業の「岐北軽便鉄道」が前身です。一番メインの名古屋本線(豊橋〜新名古屋〜新岐阜)でさえ、豊橋寄りは「愛知電気鉄道(あいでん)」、岐阜寄りは「名古屋電気鉄道」と「美濃電気軌道」が前身で、いわばつぎはぎした路線です。神宮前〜新名古屋がつながったのが戦時中の1944(昭和19)年9月1日で、電圧が揃って電車の直通が実現したのは1948(昭和23)年5月16日のことでした。現在は特急がびゅんびゅん走り、JR東海としのぎを削る路線となっています。
最後にクイズ。新名古屋はJR名古屋駅前の地下にあり「新」を頭に冠した駅名です。名鉄で「新」を冠した駅名をすべて挙げよ(新川橋・新川町・新日鉄前・新田は除く)。新名古屋を含み15駅もありますぞ。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その12)■ =2001年10月23日(火)午前10時発行 <通巻17号>=
【指宿枕崎線】 日本の鉄道最南端の駅、西大山(鹿児島県)
今号より検索エンジンの改良により、24時間を超える経路の検索が可能となりました。さっそく試してみたのが「稚内→西大山」。最北端駅稚内を知らない人はないと思いますが、西大山は鉄道ファン以外にはマイナーでしょう。
九州は鹿児島県薩摩半島の南端、開聞(かいもん)岳のふもとの無人駅(駅舎無し)なのですが、指宿枕崎(いぶすきまくらざき)線がここから少し曲がって北寄りへ向かうので、日本の鉄道最南端駅となっています(戦前は沖縄県に私鉄があったのですが)。開業は1960(昭和35)年3月22日と戦後っ子で、住所は揖宿(いぶすき)郡山川町(やまがわちょう)大山植切。なお、枕崎まで全通したのは1963(昭和38)年でした。
カレンダーアイコンと日本地図の間にある「条件指定」のボタンで、「空路」と「新幹線」をはずして、11月1日9:00「稚内→西大山」で検索すると、
2001/11/01 16:53→2001/11/03 13:34 44時間41分
と答えがでました。さらに、「条件指定」の「特急列車」「寝台列車」もはずして「JRを利用する」だけとすると、
2001/11/01 10:48→2001/11/04 13:34 74時間46分。
「急行」ははずせない仕様なので、完全「青春18きっぷ」モードではありませんが・・・
さすがに単純な検索よりは時間がかかりますが、「よくぞ調べたぜ、『スパなび』よ」とほめてあげたい気持ちです。紙の時刻表ではちょっとした大仕事ですもんね。
最後にクイズ。最西端は松浦鉄道の「たびら平戸口」駅(国鉄時代は平戸口といった)ですが、日本の鉄道最東端の駅はどこか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その13)■ =2001年11月2日(金)16時発行 <通巻18号>=
【広島電鉄】 紙屋町のつぎも紙屋町(?)
11月1日(木)より、広島電鉄の駅名・電停名がたくさん変更になったのは、上記「新着ニュース」の通りです。
まず、「広電西広島」は宮島線の始発駅として改札のある駅で、それに隣接した路面電車専用の「己斐」電停は改札外に別の乗り場を持ち、この2箇所の乗り場に停車する電車もあるという変則的な形でしたが、広電西広島駅の配線変更も伴う大規模な改修工事完成で、改札外の乗り場は廃止して改札内のみに統一され、駅名もめでたく「広電西広島(己斐)」という名前1つに統合されたものです。
これを機会に、わかりにくい駅名が全面的に洗い出されました。面白いのは「広島大学前」→「日赤病院前」の改称で、大学が郊外に移転して実態とかけ離れていた電停名を直したものです。ついでに、宮島線、朝ラッシュ時の「JA広島病院前」7:44発は、改称したこの「日赤病院前」行きの臨時系統として運転されることとなり、病院前から病院前までというオモロイ電車の初(?)登場です。そういえば、東急東横線の「学芸大学」や「都立大学」も大学なき大学駅名で、これは駅名というより地名として定着しているため、いまさら変えられないようです。
市内の中心街にあたる「紙屋町」電停も注目です。交差点の東西に乗り場があり、「紙屋町、つづいて紙屋町」と、2回同じ名前の電停に停まるという運行形態でしたが、こんどから「紙屋町東」と「紙屋町西」に電停名を分け、わかりやすくなりました。運賃計算上は同一駅として扱われます。
最後にクイズ。「己斐」は「恋」とも聞こえ、また広島カープの「鯉」にも通じ、愉快な電停名でした。それでは「鯉」の字の付く唯一の駅名を挙げてください。JRの駅です。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その14)■ =2001年11月21日(水)21時発行 <通巻19号>=
【JR東日本】 首都圏50km特急はワンコイン
12月1日(土)のダイヤ改正に合わせて、JR東日本の制度改正があります。「制度改正」というとむつかしそうですが、特急券が安くなるんです。
首都圏エリアの特急自由席は従来、同じ50kmを乗っても、新宿〜鴻巣・久喜(〔草津〕〔水上〕〔あかぎ〕〔おはようとちぎ〕など)は「新特急料金」で530円、東京〜大船・蘇我・千葉(〔踊り子〕〔リゾート踊り子〕〔東海〕〔さざなみ〕〔わかしお〕〔しおさい〕〔あやめ〕〔すいごう〕など)は「B特急料金」で630円、新宿〜八王子(〔あずさ〕〔かいじ〕など)は「A特急料金」で730円と、3種類の料金体系が混在していました。これを一律「新特急料金」のレベルにまで下げ、さらに30円の端数は切り捨てて、500円玉ぽっきりのワンコインに値下げしたのです。これは〔アルプス〕などの急行列車にも適用されます。特急の普通車指定席も、通常期で1010円と安くなります。
中央線の下げ幅が大きいのは、「A特急料金」適用を、東京から竜王(甲府の1つ先)までは「B特急料金」に変更したためで、50kmより先も値下げとなります。改正日より、あずさ3往復(下り53・55・69号、上り52・66・68号)には新車のE257系も投入されますので、ほんと太っ腹な値下げですね。
首都圏の新「新特急料金」適用区間は、東海道は熱海・伊東まで、中央は竜王まで、上越は石打・万座鹿沢口まで、東北は黒磯・日光まで、常磐は勝田まで、総武は銚子・佐原・成田空港まで、房総は安房鴨川・千倉までです。これより先の駅、例えば松本方面まで足を伸ばす場合は、乗車全区間を「A特急料金」で計算します。なお、〔成田エクスプレス〕〔スーパービュー踊り子〕の2つに関しては現行どおり、全区間で「A特急料金」を適用します。
最後にクイズ。東京〜大船は46.5kmだが、この区間の乗車券のねだん(運賃)は、特急自由席の500円より、高いか安いか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その15)■ =2001年12月7日(金)15時発行 <通巻20号>=
【JR東日本】 湘南新宿ライン
12月1日(土)ダイヤ改正から、首都圏に新しいルートができました。従来、横浜から新宿に行く場合は、東海道線(湘南電車)か横須賀線で品川まで来て山手線に乗り換えるか、東京まで行って中央線快速の始発に乗るかがメインでした。これ以外に渋谷経由のルートもあり、〔湘南新宿ライナー〕や横須賀線休日の〔ホリデー快速ビュー鎌倉〕など、ごく一部の直通列車が走っていました。この渋谷経由の直通短絡ルートを活用し、東北・高崎線方面から池袋・新宿に入ってくる列車とも一体化して開業したのが「湘南新宿ライン」です。戸塚まで同じ線路を走り、湘南電車平塚方面と、横須賀線逗子方面とに分かれます。戸塚は同じホームで湘南、横須賀線が乗り換えられる、御茶ノ水駅と同じ構造で便利です。
このルートの山手線の部分のJR部内の名称が「山手貨物線」ということからもわかるように、じつは首都圏を抜ける貨物列車のルートとして戦前に建設された増設線を、旅客列車のルートとして活用しているのです。横須賀線電車が湘南電車と離れて走っている区間の、品川〜新川崎〜鶴見のルートも同様です。通称「品鶴(ひんかく)線」(正式には東海道本線)と呼ばれ、かつて新川崎付近には貨物列車を方面別に組み替える「新鶴見操車場(しんつるみそうしゃじょう)」(通称「ヤード」)があり、広大な敷地に貨物列車があふれていました。現在はJR貨物がそのほんの一部を利用し「新鶴見信号場」と称しています。新川崎駅のホームから望まれる、電気機関車が憩っているあたりです。
「湘南新宿ライン」は新川崎・西大井駅まで横須賀線電車の線路を走り、西大井〜大崎を結ぶ短絡線(営業キロ無し)を通って「山手貨物線」に入ります。埼京線は恵比寿止まりですが、恵比寿駅に折り返し設備がないため、全列車大崎まで回送で来て折り返し運転しています。この埼京線の池袋〜新宿〜恵比寿〜大崎が「山手貨物線」なのです。つまり池袋〜大崎では、「湘南新宿ライン」と埼京線は、まったく同じ線路を走るわけです。大崎には現在「山手貨物線」に新ホームを建設中で、車窓から眺められます。りんかい線(東京臨海高速鉄道)が天王洲アイル〜大崎に開通する2002年12月にはこの新ホームをオープンし、埼京線と相互乗り入れする計画です。もちろん、この時には「湘南新宿ライン」もこの新ホームに停まるようになります。
なお、このような歴史のため、横須賀線電車と「湘南新宿ライン」は、東海道線川崎・品川経由の営業キロで運賃・料金を計算します。池袋〜赤羽は埼京線と異なり、大回りの駒込・上中里経由で運転しますが、埼京線(正式には赤羽線)板橋経由で計算します。
最後にクイズ。「湘南新宿ライン」で一番長距離を走る列車は?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その16)■ =2001年12月20日(木)午前11時発行 <通巻21号>=
【愛知環状鉄道】 生まれは国鉄貨物線。今は3セクの優等生
2005年3月25日〜9月25日の185日間に、瀬戸市南東部で開かれる「愛知万博」は、大阪花博以来5回目の国際博。この会場への名古屋からの足として期待されるのが、愛知環状鉄道(岡崎〜高蔵寺45.3km)である。
現在は中京圏の都市鉄道として定着した愛知環状鉄道だが、1970(昭和45)年10月1日に国鉄岡多(おかた)線として岡崎〜北野桝塚8.7kmに開業したときは、なんと貨物線であり、途中駅もなかった(当時から電化はしていた)。北野桝塚から自動車の新車を、専用貨車で全国に発送しようとのもくろみだった。1976(昭和51)年4月26日新豊田まで延長すると同時に旅客営業も開始した。ここではじめて19.5kmの盲腸線として、時刻表に登場したわけである。
もともと岡多線という名前は、岡崎と多治見を結ぶという鉄道敷設法の予定線路から名付けられたもの。これが東海道本線の貨物バイパスルートとして、瀬戸市から高蔵寺の方に左折し(ここからは建設名称「瀬戸線」)、高蔵寺から中央西線に併走、勝川からは枇杷島・稲沢貨物ヤードまでの直進ルート(枇杷島の方へのルートは現城北線(東海交通事業)としてのちに開業した)で東海道本線に戻る構想に変わった。首都圏の武蔵野線と同様、大都会中心部を避けるプランであった。ところがその貨物も斜陽となり、たのみの旅客輸送も伸びず、国鉄再建法で定めた数値をクリアーできなくて、新豊田行き止まりのまま、1987(昭和62)年4月1日の国鉄民営化を迎えた。結局、形の上はJR東海に引き継がれたものの、愛知県と沿線4市(岡崎市、豊田市、瀬戸市、春日井市)が引き取る約束のもと、新豊田〜高蔵寺の新線が開通した1988(昭和63)年1月31日、第3セクタ−「愛知環状鉄道」に転換された。
延伸で中央西線高蔵寺とつながり、瀬戸市で名鉄瀬戸線にも連絡するようになって乗客がみるみる増え、3セクではまれな黒字常連となっている。全線単線ではあるが、将来の貨物幹線化を見越していたため、複線分の用地が用意されていた。これを活用して、中岡崎〜北岡崎と北野桝塚〜三河上郷の複線化、及び篠原駅の行き違い設備が完成したため、今回12月23日(日)のダイヤ改正となった。万博までには瀬戸市〜中水野の複線化も完成させ、名古屋から直通列車も走る予定である。
最後にクイズ。国鉄・JRから転換された3セクで、複線区間を持っている会社を挙げよ。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その17)■ =2002年1月17日(木)22時半発行 <通巻22号>=
【名古屋鉄道 常滑線】 空港駅づくし
昭和55(1980)年10月1日の国鉄千歳・室蘭本線電化開業改正と同時に千歳空港駅(現南千歳)が開業したが、北海道のダイヤの中心が函館から札幌に移り、それまでいわば敵対関係にあった航空機と鉄道が協調関係に切り替わった、エポックメイキングなできごとだった。
それまでも、東京モノレールの羽田空港駅と、京成電鉄の成田空港駅(現東成田駅。空港と少し離れていた)の例はあったが、この千歳空港駅以後、鉄道駅と直結する「○○空港」駅の新設がめざましい。
1991年にはJRと京成の(新)成田空港駅が、93年には福岡市営地下鉄の福岡空港駅が、94年にはJRと南海の関西空港駅が、96年にはJRの宮崎空港駅が、97年には大阪モノレールの大阪空港駅が開業している。いずれも新線の終端駅である。
そして、新着ニュースのように、1月26日(土)から、名鉄常滑線の終点常滑駅付近の高架化工事が本格的に始まり、2005年3月19日(土)の中部国際空港(愛称「セントレア」)オープン時には、空港駅の仲間がさらに増えることとなった。高架の常滑駅から前島駅に至り、海上連絡橋で結ぶ前島〜空港(仮称)が3.0kmなので、りんくうタウン〜関西空港6.9kmに比べれば、陸地に近い空港といえる。
なお、「○○空港」を名乗る鉄道駅としては東北本線の「花巻空港」駅もあるが、駅からターミナルビルまでは約2kmもあり、命名にちょっと無理がある。これは1988年に既設駅「二枚橋(にまいばし)」を改称したケース。
最後にクイズ。現在工事中の、空港連絡の鉄道新線は名古屋のほかに2箇所。このうち、名古屋空港より先に開業予定なのはどこか? (ヒント:「蘊蓄ニュース」その8 のクイズの鉄道です)
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その18)■ =2002年1月25日(金)午前11時発行 <通巻23号>=
【JR東日本 左沢(あてらざわ)線】 駅名あそび
別名「フルーツライン左沢線」ともいうこの線は、正式な起点は北山形ですが、全列車、1つ南の山形駅が始発です。山形からでも26.2km、全12駅の、どちらかというと地味な路線ですが、駅名がちょっと面白いのです。
山形の旧国名「羽前(うぜん)」を冠する駅名が4駅あるのですが、「羽前山辺(やまべ)」「羽前金沢(かねざわ)」「羽前長崎(ながさき)」と連続し、3駅が間にはさまって「羽前高松(たかまつ)」となっています。お気づきのように、4駅中3駅が、県庁所在地駅と同名漢字なのです。
3駅の開業時の住所を調べると「東村山郡豊田村大字金沢(現中山町金沢)」「東村山郡長崎町大字長崎(現中山町長崎)」「西村山郡高松村大字八鍬(現寒河江市八鍬)」と、いずれも旧町村名を採っていることがわかります。後発の駅名は接頭語(国鉄時代はほとんどが旧国名)を冠するべしという、原則に忠実な命名です。
また「寒河江(さがえ)」「左沢(あてらざわ)」は、きわめて難読な駅名といえましょう。ちなみに、「暑」や「右」の漢字の入った鉄道駅名は存在しません。意外とやさしい漢字でも、駅名として使われていないことがあるものです。
最後にクイズ。ずばり、「石川」、「香川」という駅が、その県内以外に実在します。どこにあるでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その19)■ =2002年2月20日(水)19時発行 <通巻24号>=
【JR3月改正】 「優等列車」とは?
JRグループの改正では、指定券が1ケ月前から発売されるため、これに間に合うタイミングで、指定席連結の列車(新幹線・特急・急行・快速・SL)の改正ダイヤのみは、先行発表しています(正確にいうと、今回のJR北海道は3/16(土)に1週間早い実施となっているので、1ケ月前に間に合いませんでした)。ちなみにJRグループ6社では、毎年3月(年度末)の改正(実施日は毎年変わるが土曜日が多い)が定例化しており、さらに7月に北海道(四国が加わることも)、12月に東日本が改正される傾向が見られます。昨年はこれに加え、4/21に山陽新幹線、10/1に東海道・山陽新幹線の改正がありました。詳しくは下欄の「2001年3月1日(木)以降のダイヤ改正・運賃改定・新線新駅・改称改キロ」をご覧ください。
今回の3月改正ですと、2/20(水)発売の本誌(紙の時刻表)3月号の巻頭「黄色のページ」で、「3月改正ダイヤ」をお知らせしています。快速・普通列車を含めた全列車の改正時刻については、3/15(金)発売の本誌4月号の本文に収録(旧ダイヤ全列車を新ダイヤ全列車に入れ替える形)することになります。
『スパなび』ではデジタルの利点を最大限生かし、「黄色のページ」に先行掲載された「指定席連結の列車」の改正時刻を今回取り込み、改正日以降は改正ダイヤで検索できるようにいたしました。もちろん、JR北海道は3/16(土)で、他5社は3/23(土)で新旧切り替わります。なお、指定席のない快速・普通列車のダイヤは、改正日以後も現行ダイヤで収録しています。このため、改正後の快速・普通列車への乗り継ぎは、目安としてご利用ください。
ところで、この「指定席連結の列車」というコトバは、長ったらしくて舌がもつれますね。じつは時刻情報編集部内では、「優等列車(ゆうとうれっしゃ)」または「優等」で通用しています。これはもともと、「普通列車」に対して「特急・急行列車」を指す、国鉄の部内用語でした。別にベンキョウができるという意味ではないのですが、ちょっと愉快な日本語で、指定券を前売りする列車のかんじが出ていると思いませんか。
最後にクイズ。「特急」の増発に引き替え、「急行」は残り少なくなってきました。首都圏から出ている「急行」をすべて挙げてください。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その20)■ =2002年3月15日(水)16時発行 <通巻25号>=(3月20日(水)15時発行の「通巻26号」も同一内容)
【長野電鉄】 木島(きじま)線か、河東(かとう)線か?
3月31日(日)限りで、長野電鉄の信州中野〜木島間12.9kmが廃止されることになりました。現在はこの区間内の折り返し運転のみで、長野〜湯田中間のメインルートから分岐する行き止まり線のようになっています。1922(大正11)年6月10日屋代〜須坂間に開業した「河東(かとう)鉄道」は、翌年信州中野まで伸び、1925(大正14)年7月12日には木島まで全通しました。
河東(かとう)地方とは、長野を中心とする善光寺平(ぜんこうじだいら)に対し、千曲川(信濃川)の東側を指すコトバです。1888(明治21)年8月、官有鉄道(のち信越本線、現しなの鉄道)が屋代〜篠ノ井間に鉄橋を架けるまで、千曲川をまたぐしっかりした橋は存在せず、経済的にも文化的にも、長野とは近くて遠い仲でした。屋代〜須坂間にある城下町松代(まつしろ)はこのような地の利の上に発展し、佐久間象山も活躍したのです。また、地図を見てわかるように木島駅の対岸はすぐ飯山で、ここまでひたすら千曲川を渡らないで線路が敷かれたわけです。なお、豊野〜飯山間には飯山鉄道(現JR飯山線)が、1921(大正10)年10月に開業しています。
別会社の「長野電気鉄道」が須坂より分岐し、信濃川を越えて権堂まで開業したのは1926(大正15)年6月。813.6mの村山橋(むらやまばし)は鉄道線と車道が並んだ併用橋として架けられ、鉄道線も含んだ幅員は10.85m、県内で信濃川を渡る車道橋梁の最初でもありました。戦前において、いかに信濃川が大きな障壁だったかがわかります。総工費109万円は、長野県が60%、長野電鉄が40%を負担しています。この村山橋は現在も国道406号線と桁を共用していますが、1日2万台を超える交通量のネックとなっており、上流側に4車線の車道専用橋を建設中で、いずれ名鉄犬山橋のように完全に分離されてしまうようです。
同年9月には長野電気鉄道と河東鉄道が合併し、現在と同名の「長野電鉄」になります。翌年信州中野〜湯田中間が、翌々年1928(昭和3)年6月長野駅前(もちろん現在の地下駅でなく地上駅)〜権堂間が開業し、現在の路線網が完成します。
このように、河東線(屋代〜木島間の正式名称)はいわば本線格で、国鉄時代には定期列車が上野から、屋代〜湯田中間に乗り入れていました。木島までスキー臨時列車が乗り入れていた時期もあります。このような歴史を知ると、単なるローカル線区間となった通称「木島線」も、ひと味違って見えませんか。
最後にクイズ。長野県人の愛唱歌『信濃の国』に歌われる「四つの平(たいら)」の4つ目が「善光寺」。ほかの3つの平(盆地のこと)はどこか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その21)■ =2002年4月10日(水)16時発行 <通巻27号>=(4月16日(火)午前11時発行の「通巻28号」も同一内容)
【JRグループ】 民営化15周年
昭和62(1987)年4月1日に発足した「JR6社」(正式には、北海道旅客鉄道、東日本旅客鉄道、東海旅客鉄道、西日本旅客鉄道、四国旅客鉄道、九州旅客鉄道)は、早いもので、この4月1日(月)で満15年となりました。本州の3社は、昨年12月1日付けで法律的には純民間会社に移行し、あとは日本鉄道建設公団が保持している株式の売却を残すのみ。
この15年間のエポックを挙げれば、まずJR北海道では青函トンネルと新千歳空港駅の開業でしょう。JR東日本では新幹線東京乗り入れと山形・秋田・長野新幹線の開業。JR東海の新幹線〔のぞみ〕対、JR西日本の〔ひかりRail Star〕。JR四国では瀬戸大橋線の開業と高松駅の移転。JR九州では〔ソニック〕や〔ビートル〕の開業がありました。各社の本社ビルの移転・新築も相次ぎました。有珠山の噴火や阪神・淡路大震災などの自然災害も忘れることができません。
SLが各地で復活したのも驚きです。磁気式きっぷでの自動改札が大きな駅を中心に普及し、JR東日本ではICカードの「Suica」も導入されました。車両もどんどん新しく、最高速度も向上しています。列車本数も増え、新幹線や特急が国電感覚で利用されています。
商品としての列車ダイヤがますます重視され、3月に6社協調しての改正は必ずあるものの、各社独自の改正(例えばJR東日本は12月)も珍しくなくなりました。「湘南新宿ライン」に代表される並行私鉄との競争を意識した改正や、中・長距離での飛行機との対抗ダイヤや「おトクなきっぷ」の設定は当たり前。これに影響されたか、私鉄のダイヤ改正も以前より増えているようで、編集部のシゴトも年間切れ目無しという感じです。
さて最後にクイズ。国鉄最後の日、すなわち昭和62(1987)年3月31日に開業した駅がなんと1つあるんです。ヒント:「東日本」と漢字1字違いの駅名です。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その22)■ =2002年4月22日(月)午前11時発行 <通巻29号>=
【JR北海道】 流山温泉(ながれやまおんせん)駅
一時期相次いだ「○○温泉」への駅名改称ブームですが、下火になったかと思っていたら、またまたです。その中でも異色なのがこの、JR函館本線の新駅です。
場所は函館からほど近い七飯町の、駒ケ岳を望む東大沼のほとり。4月27日(土)には新駅開業と同時に、日帰りの入浴施設「流山温泉」が開業します(入浴料は800円。10〜20時(土曜・休日は21時まで)営業)。泉質はナトリウム・カルシウム−硫酸塩泉(低張性弱アルカリ性高温泉)で45.6度、もちろん露天風呂も。巨石と巨木をふんだんに配したユニークな平屋の建物の由で、近くには「ダチョウ牧場」もあります。「大地鳥(だいちどり)」と命名されたダチョウを、100羽ほど飼育しているといいますから、にぎやかそうですね。駅前広場では、はるばる運び込んだ東北新幹線200系3両(1981年製造)が出迎えます。敷地の奧には、流政之(ながれまさゆき)プロデュースによる、巨石と彫刻が織りなす神秘の空間「北形列石ストーンクレージー」が控えます。
宿泊施設は当座ありませんが、来春以降、キャンプ場、スポーツ広場、27ホールのパークゴルフ場や、体験工房がオープンの予定だそうです。
さて最後にクイズ。「温泉津」と書いてなんと読むでしょう。ヒント:JR山陰本線にある駅名です。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その23)■ =2002年5月27日(月)19時発行 <通巻30号>=
【JR東北本線(利府線)】 利府駅
いよいよワールドカップの開幕。今回はそれにちなんだ話ということで頭を絞った結果、宮城スタジアムの最寄り駅である利府(りふ)を取り上げます。
仙台から北東へ向かう東北本線(在来線)は、次が東仙台、2つ目が岩切で、東北新幹線と併走しています。ここから東北本線のメインルートは東方に向きを変え、陸前山王、国府多賀城、塩釜と停まります。岩切からそのまま北東に進むと利府方面の、通称「利府線」です。次が新利府で、新幹線仙台車両基地に隣接、ここから新幹線はほぼ真北に向きを変えますが、利府線はひたすらまっすぐです。その次が終点利府で、行き止まりとなっています。宮城スタジアムはここから西方へ、バスで10分ほど。
じつは、かつてはこの利府駅の先にも線路があり、なんとこちらが東北本線のメインルートだったのです。利府駅の開業は明治27(1894)年1月4日、ただし線路自体の開業は明治23(1890)年4月です。現在線は、塩釜、松島と海沿いに走って、愛宕(あたご)に停まります。利府から北東に走っていた旧線は、この愛宕駅のあるところまで、山の中の別線ルートでした。愛宕駅のホームの真下に可愛らしいトンネルがありますが、これが旧線そのものの遺構なのです。一見の価値あり。
さて、海側の別線(通称「海線」)は第二次大戦たけなわの昭和19(1944)年11月の開業で、山線の勾配がきつくて、軍事輸送のSL貨物列車の車両数に制限を受けるため、実質貨物線として造られました。塩釜駅が開業して旅客列車も走り始めたのはやっと昭和31(1956)年7月のことで、昭和37(1962)年7月1日から利府より北方の山線が廃止され、行き止まりとなったのです。愛宕駅はこのときの開業です。
海線はトンネルの連続で、ほとんど海が見えません。当時の技術水準では相当の難工事だったでしょう。この区間では、仙台と石巻を結ぶ仙石(せんせき)線が縫うように併走しています。なんと、陸前浜田駅を出た仙石線下り列車はすぐに海線の下をくぐり、山側に回りこんで、次の松島海岸駅で海側に戻ります。ここは人家とてなく、非常にさびしいところですが、2回目の交差は海線がトンネルで仙石線の下を抜けているので、車窓からはわかりません。松島海岸駅は松島めぐり遊覧船の桟橋の目の前でにぎやかですが、海線には駅がなく、そっけなく通過していきます。海線上の松島駅はずっと先で、松島町の中心に近いとはいうものの、桟橋までとても歩ける距離ではなく、仙石線だと松島海岸の1駅先の高城町の方が近くなります。
ところで、利府町役場は利府駅のすぐそばですが、町域は細長く東側に広がっており、さきほどの陸前浜田駅のところで海岸に達しており、この1駅のみ住所が利府町です。かつては駅名標には住所が必ず書かれていたので、へーー、ここは○○町なんだ、などと気付く楽しみがありましたね。
最後にクイズ。塩釜駅があるのは「しおがま市」ですが、「塩釜市」ではなく別の字です。書けますか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その24)■ =2002年6月20日(木)14時発行 <通巻31号>=
【『スパなび』は2世代ダイヤ・料金】
今年の2月からJR東日本グループとなった東京モノレールですが、夏の旅行シーズンを前に、JRとの乗換駅浜松町に、京浜東北線の快速(日中時間帯に運転)が7月14日(日)から停車することになりました。現在は東京から田町までノンストップですので、山手線に乗り換えないとたどり着けません。飛行機で出かけるのに、大きなバッグをかかえて、何回も乗り換えるのはしんどいですね。さらに来年になるようですが、浜松町駅の乗換通路も抜本的に改良するようです。私は毎日乗り換えていますが、上がったり下がったり、曲がりくねった動線に乗る人降りる人が入り乱れ、ぐったり。毎日利用の通勤客にもうれしい知らせです。
さて、浜松町に快速を停車させるためには、手前の駅を早発させるか、前方の駅の時刻を繰り下げる必要が生じます。以前は『スパなび』もある基準日の1種類のダイヤ提供でしたが、現在の『スパなび』は、改正があった場合、改正前は古い時刻で、改正後は新しい時刻で(これを部内的には「2世代ダイヤ」といっています)ご案内しています。1分の違いでも乗れる飛行機が変わる場合がままありますから、正確なダイヤは必須ですね。
また、7月1日(月)からはJR東海で、30kmまで310円という、特急自由席の値下げが行われます。これも6月30日(日)までは旧料金で検索結果を表示しています。
2世代ダイヤ・料金を実現している『スパなび』を是非ご利用くださいね。
最後にクイズ。浜松町に停車後、この京浜東北線快速は、何駅を通過することになるでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その25)■ =2002年7月19日(金)21時発行 <通巻32号>=
【全車指定席の新幹線】
東海道・山陽新幹線の〔のぞみ〕は全車指定席であることは知られていますが、お盆などの帰省ピーク時などには、東北・上越・長野・山形・秋田の各新幹線でも、全車指定席の列車が運転されます。
また、山陽新幹線でも、全車指定席の〔ひかり〕(ファミリーひかり)が運転されています。
『スパなび』で検索し、検索結果の下の詳細表示の「発着欄」の本のマークをクリックすると、検索された列車を中心に、その前後の列車も含めたその区間の時刻表が表示されますが、紙の時刻表にそっくりの設備マークを使っています。
座席のマークの横っちょに「全」の漢字が付いているのがこの全車指定席の列車です。
ふるさとへの行き帰りには、手荷物やお子様連れなどのことから、ゆったり安心して座って行きたいものですが、この全車指定の列車は狙い目ですよ。既に乗車日の1カ月前から指定券が発売になっていますが、どうかみどりの窓口や、JTBなどの旅行会社でこの全車指定の新幹線をお試しください。
最後にクイズ。現在のダイヤで、最短距離(営業キロ)を走っている新幹線は、どことどこの区間のものでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その26)■ =2002年8月26日(月)16時発行 <通巻33号>=
【リバイバルトレイン 各地でぞくぞく復活】
東日本の各線では、東北・上越新幹線開業前の在来線のスターたちが、ぞくぞく帰ってきます。
まず、仙台〜上野には特急〔ひばり〕(上り9/21(土)、下り9/22(日))が583系で初めて復活(過去の復活運転は485系)。
次に、上野〜青森に、電車寝台特急〔ゆうづる〕(下り10/4(金)、上り10/5(土))と、昼間の座席特急(上り11/2(土)〔思い出のはつかり号〕、下り11/3(日)〔思い出のみちのく号〕)を運転。11/30(土)には青森〜一ノ関1往復の特急〔さよならはつかり583系〕に変身します。
横川〜軽井沢の廃線をバスで連絡して、10/12(土)・13(日)には、上野〜横川に特急〔信州特急あさま〕1往復、軽井沢〜長野に特急〔特急あさま〕1往復です。10/14(月)には軽井沢〜直江津のみの〔特急あさま〕1往復となります。軽井沢〜篠ノ井は今やしなの鉄道の線路なので、2社間の連絡特急ということになります。
北海道では10/6(日)に、釧路→札幌を富良野経由で、特急〔おおぞら2002記念号〕が走ります(これは片道のみ)。
特急だけでなく急行の復活もあります。10/5(土)・6(日)上野〜横川に〔急行信州号〕が、11/2(土)〜4(月)上野〜万座・鹿沢口に〔急行草津号〕が、11/9(土)・10(日)上野〜水上に〔急行ゆけむり号〕が走ります。
どのリバイバルトレインもすべて全車指定なので、最寄りの駅やJTBの支店で、あらかじめ指定券をご用意ください。高架・高速の新幹線では味わえない、のんびりした目線の景色がお楽しみいただけます。ちょうど紅葉が見られるかもしれませんね。
最後にクイズ。〔はつかり号〕と〔みちのく号〕は、同じ上野〜青森間の特急でしたが、片方は宇都宮、もう一方は水戸を通る列車でした。今回の復活は忠実にその経路をたどりますが、どちらが常磐線経由でしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その27)■ =2002年9月20日(金)14時発行 <通巻34号>=
【ゴロンとシート】
ことしの1月15日(火)から、上野〜青森に走っている特急〔はくつる〕〔あけぼの〕に登場した「ゴロンとシート」は、B寝台そのままの設備ながら、毛布、シーツ、枕、浴衣、スリッパのサービスを省略し、寝台券不要で、指定席特急料金のみで乗車可としたものです。寝台料金分が安くなるので、最近はこちらから売り切れるとか。なんせB寝台そのままですから、夜行バスと違い、足を100%伸ばし、完全に水平に横になって寝られます。
特急〔あけぼの〕は従来、上野寄り1号車のB寝台を、女性専用の「レディースカー」として販売していましたが、今回、青森発9月30日(月)、上野発10月1日(火)から、この車両を「レディースゴロンとシート」とし、寝台券不要で、指定席特急料金のみでOKにしました。女性専用の「ゴロンとシート」というわけです。「レディース」が「ゴロン」とは、ちょっと愉快な命名ですね。
ほんの少し前まで、夜行といえば列車(ブルートレイン)しかなく、選択の余地がありませんでしたが、全国各地に夜行バスが走るようになり、料金的に圧倒的に安いので、夜行列車は閑古鳥が鳴くこととなってしまいました。これに対する、起死回生のアイディアなのです。
上野〜秋田間で〔あけぼの〕の「ゴロンとシート」「レディースゴロンとシート」に乗車した場合、運賃9030円+指定席特急料金通常期3340円=12370円となります。ただ、これでも、新宿〜秋田の夜行バスの片道9450円(往復17020円)に比べると差がまだまだ大きいので、青森・弘前・秋田発→東京着の往復限定で、『ゴロンとシート東京往復きっぷ』往復16000円ポッキリという「トクトクきっぷ」を売っています(東京発はありません)。
なお、『スパなび』で検索した場合、結果で「指定席」として表記しているのが「ゴロンとシート」「レディースゴロンとシート」です。
最後にクイズ。〔あけぼの〕と〔はくつる〕は上野〜青森の運転ですが、前者は秋田経由、後者は盛岡経由です。どちらの営業キロが短いでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その28)■ =2002年10月7日(月)16時発行 <通巻35号>=
【京急蒲田駅改造 Part1】
10月12日(土)京急全線のダイヤ改正があります。目玉はなんといっても、横浜方面〜羽田空港間の直通電車大増発。現在は早朝2本だけなのが、なんと終日20分間隔の運転に。所要は24分ほどです。なお、現行品川方面との直通電車はそのままです。
この計画実現の最大のネックは京急蒲田駅の配線(はいせん)でした。「廃線」といえば「廃線跡を歩く」の「廃線」ですが、1字違いの「配線」とは駅構内のレールのつながり具合を指します。現在、横浜方面から羽田空港へ直通で行くには上り線を走り、いったん京急蒲田に停車。発車して少し走り、京急蒲田〜梅屋敷間の駅間で一時停止し、ここで方向を変えて下り線に転線。さらに京急蒲田駅の一番海寄りの空港線ホームに入るという手順を踏みます。上り電車がほんの少しの時間とはいえ駅間で完全停止し、さらに下り線に逆走する形ですから上下両線に支障し、とても日中の時間帯には運転不可能なのでした。
このため、京急蒲田駅空港線ホームの横浜寄りをこわし(以前には駅出口があった)、こちらから入れるようにレールを敷き、ポイントも新設したのです。これで上り電車が空港線ホームに直接入れるようになりました。ただ、京急蒲田では前後ろ、方向を変える必要はあります。
空港線は、京急蒲田駅を出てすぐが天下の「第一京浜」。正月の箱根駅伝でおなじみですが、ここの踏切のところだけが単線区間。これが第2のネック。これの解決のためもあり、京急蒲田駅の高架化が計画されています(改造 Part2)。下り線、上り線を別階の3階建てに改造(東武の北千住駅みたいなかんじ)し、踏切のネックもなくします。ただ、空港線横浜方面直通電車の、前後方向が変わるのはそのままです。完成までには、だいぶん時間がかかりそう。
最後にクイズ。羽田空港駅始発の直通電車で、一番遠くまで走るのは、どこの駅までのものでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その29)■ =2002年10月21日(月)午前11時発行 <通巻36号>=
【よみがえった汐留駅】
汐留に残る「0哩標(ゼロマイルひょう)」は鉄道発祥の印なんです。1872(明治5)年に開業したときの駅名は「新橋」で、ここを起点として「横浜」(現在の桜木町)までの17.94マイル(28.87km)にSLが走りはじめました。1883(明治16)年北の玄関口として上野駅が開業しましたが、これは新橋駅とすっきりつなぎたいところ、線路の敷地の確保が難しく、当座の策として上野に突っ込み式の駅(頭端駅)を作ったのです。乗り換え客は、馬車鉄道(のち路面電車)や人力車を利用していました。
新橋駅も銀座の方に突っ込んでいる形になっているため、少し品川寄りの現浜松町駅あたりから分岐させ、お壕をつぶして上野に向かう高架線を建設することになり、すこしずつ伸ばして、1914(大正3)年12月20日には東京駅まで開業しました。今も残る丸ノ内側の赤煉瓦駅舎はこの時に建築されました。この日より、長距離列車は東京駅から発車することとなったため、新橋駅は貨物オンリーの駅に変更することになりましたが、同時に、1909(明治42)年烏森(からすもり)の名前で既に開業していた高架線駅に新橋の駅名を譲り、汐留(しおどめ)に駅名改称しました。なお、上野までは人家が建て込んでいたため高架線工事が難航し、神田までは1919(大正8)年、上野まで全通したのは1925(大正14)年のことでした。このときから、ぐるぐる回る山手線(やまのてせん)電車となったのです。
東海道方面から上ってくる貨物列車の終点駅(一部は汐留から分岐した先の芝浦、東京市場行き)として、また都内から東海道方面への貨物の始発駅として重要な位置を占めてきましたが、1986(昭和61)年10月31日限り、国鉄民営化の直前に汐留駅は廃止されてしまいました。
跡地はご存じのように売りに出され、江戸時代の武家屋敷の発掘などもあり時間がかかりましたが、やっと高層ビルが立ち並んできました。というわけで、すっかり出来上がったホームの横を空しく列車が通過していたのが、都営地下鉄大江戸線汐留駅(地下)と、ゆりかもめ汐留駅(高架)として、この11月2日(土)から晴れて全列車が停車いたします。1986(昭和61)年の廃止以来16年ぶり、旅客駅としては1914(大正3)年からじつに88年ぶりの駅名復活となります。
最後にクイズ。1925(大正14)年の環状運転開始前の山手線ですが、中野〜新宿〜四ツ谷〜東京〜品川〜渋谷〜新宿〜池袋〜上野という「の」の字形の運転をしていたという。これは本当か?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その30)■ =2002年11月20日(水)15時発行 <通巻37号>=
【「エル特急」とは?】
こんどの12/1改正から、JR東日本では、管内の「エル特急」をすべて「特急」に読み替えました(他のJR5社の「エル特急」はそのまま)。「エル特急」でも「特急」でも、別に特急券に違いは無かったのですが、なぜ「エル特急」は「エル特急」というのかという質問が多く寄せられるので、この機会にすっきりさせておきましょう。
そもそも「エル特急」という名前は、1972(昭和47)年10月2日改正が始まりです。ただ、梅小路蒸気機関車館が表紙で、「鉄道100年」のロゴと「日本海縦貫線全線電化完成」の文字が入っている10月改正号には掲載が間に合わず、翌11月号からの初登場となりました。11月号の「今月のお知らせ」に『ネットダイヤ化された特急に、ペットネーム「エル」が付けられました。(時刻表には、「L」の記号<注:正確には縦の棒が垂直でなく、くにょっと曲がったロゴ>がついています。) エル特急は次から次へと出て、各列車とも自由席がついています。また、便利でお得な自由席回数券や日帰りきっぷが発売されます。お気軽にご利用ください。』と紹介されています。別ページには「エル特急」の主要駅時刻表もあり、ひばり(11往復)、とき(10)、わかしお(7)、さざなみ(7)、ひたち(5)、あさま(5)、つばめ(7)、はと(3)、しおじ(4)が載っています。東北・上越・長野新幹線は影も形もなく、東海道・山陽新幹線も岡山まで3月15日に開業したばかりの時代でした。
当時の在来線の特急は、全車指定席が原則で、急行に比べ運転本数も少なく、利用しづらかったのですが、「エル特急」は1〜2時間おきに設定され、発車時刻も「ひばり」上野発が原則00分などと揃い、自由席も各列車2〜3両付いており、急な旅立ちもOKという、画期的な特急だったのです。のち、『数自慢、かっきり発車、自由席』のキャッチフレーズも生まれました。
ところで「エル」の由来です。特急=Limited Expressの「L」であることと、「L」には、Lovely、Lucky、Liner、Large、Long など、フィーリングの良い単語が多いということで選ばれたのです。Little、Lonely、Loose はどうなんだ、といわれると困ってしまいますが・・・ ま、特に意味があるわけではなく、ほかの特急と区別するための苦心の命名だったようです。1969(昭和44)年5月10日の「1・2等級制」から「モノクラス制」への移行時に、「1等車」を「グリーン車」と改名し、四つ葉のクローバーマークを考案したのと同じ伝でしょう。
時代は変わって現代。在来線の中・長距離列車はほとんどが特急となり、急行は少数派といえます。各方面の特急も多数運転されるのが当たり前で、「エル特急」と、ただの「特急」との差も不明確になって来ました。ちなみに、11/30までのJR東日本には、いなほ/さざなみ/ビューさざなみ/ホームタウンさざなみ/おはようさざなみ/わかしお/ビューわかしお/ホームタウンわかしお/おはようわかしお/しおさい/スーパーひたち/踊り子/スーパーあずさ/あずさ/かいじ の15種類の「エル特急」がありました。なお、長野〜名古屋の「しなの」は、長野〜塩尻はJR東日本管内を走りますが、JR東海の列車のため、「エル特急」のまま残りました。
最後にクイズ。12/1現在、一番本数の多い「エル特急」はどれか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その31)■ =2002年12月20日(金)16時発行 <通巻38号>=
【特急と急行の違いは?】
JR線のきっぷの値段を計算するルールでは、乗車するのに必須なお金を「運賃」(普通列車でも必要)、特急・急行や、グリーン車、寝台に乗るためのエクストラ・チャージを「料金」(普通列車では不要)といって厳密に区別しています。
特急・急行料金は、普通列車より速いスピード料であり、よりデラックスな座席料なわけですが、特急と急行の違いはなんなのでしょうか。特急の方が停車駅も少なく、座席も豪華なのは当然として、一番大きな制度上の相違は、特急は指定席料金が定位、急行は自由席が定位なことです。具体的には、特急自由席に乗る場合は所定料金から510円引き(通常期)で計算、急行指定席に乗る場合は急行券に座席指定席券をプラスして買うことになります。
これはそもそも、特急は全車指定、急行は全車自由席だった時代の名残りなんです。昭和36(1961)年10月1日ダイヤ改正は、特急18本(9往復)が52本(26往復)となり、全国に特急網が広がった改正として特筆されていますが、愛称名でいえば、〔こだま〕〔ひびき〕〔富士〕〔つばめ〕〔はと〕〔さくら〕〔おおとり〕〔みずほ〕〔あさかぜ〕〔はやぶさ〕〔うずしお〕〔かもめ〕〔みどり〕〔へいわ〕〔まつかぜ〕(以上東海道・山陽・山陰・九州方面)、〔はつかり〕〔つばさ〕〔ひばり〕〔白鳥〕〔おおぞら〕(以上東北・北陸・北海道方面)の20種類のみにすぎませんでした(〔こだま〕〔ひびき〕〔富士〕〔つばめ〕は2往復。〔かもめ〕〔白鳥〕は2方向を併結)。これに対して、同改正では、急行が126から226本に、準急が400から448本に増えています。いかに特急が格調高かった列車かわかりますね。なんせ急行の下に「準急」という種別まであったんですから。
昭和39(1964)年10月1日に開業した東海道新幹線(東京〜新大阪)でも、最初は全列車指定席でした。前号の蘊蓄ニュース「エル特急」の登場した昭和47(1972)年10月2日改正で特急の自由席は珍しくなくなりましたが、あくまでも特急は指定席が定位の原則は変わらなかったのです。いまや、特急より急行の方が珍しい時代となってしまいました。
特急は発車直前に飛び乗れ、車内で自由席特急券を買えばOKです。予約が必要で、搭乗手続きや荷物検査もある飛行機と比べて、急ぎの旅の強い味方です。短距離を走る特急や新幹線では、全車自由席の特急も珍しくなくなってきましたが、〔のぞみ〕や〔はやて〕のように全車指定の特急もまだ健在で、自由席の有無は気がもめるものです。『スパなび』では特急・急行の自由席の有無が明確にわかるよう、自由席のある特急・急行には「自」のマークを付けています(紙の時刻表には無い記号です)。
最後にクイズ。JR東日本の管内を走っている定期列車(毎日運転の列車)の急行をすべて挙げてください(JRの他社とまたがって走る列車も含む)。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その32)■ =2003年1月27日(月)15時発行 <通巻39号>=
【青春18きっぷ】
春・夏・冬休みには、JR全線の普通列車が1日乗り放題の「青春18きっぷ」が売り出されます。5回分(5人分)で11,500円は、1回当たり2,300円ということになり、東京駅からだと、小田原まで単純に往復するだけ(1,450×2=2,900円)で元が取れます。年齢制限がないので、私みたいなオジサンでもいいんですが、一人で使い切るのは結構大変。こんどの冬休みに実際に使った経験をお話しますので、次の春休みの発売の時、なにかの参考になれば幸いです。
最初の2回は年末年始に、自宅最寄り駅の東戸塚(横浜市)から、浜松近辺の実家への帰省に。行きは御殿場線経由で新駅の「長泉なめり」に降り立ち、由比から興津は旧道のさった峠を歩く。帰りは身延・中央・横浜線経由。これでもまだ3回分が余ります。
連休の1/12に腰を上げ、湘南新宿ライン〜埼京線〜赤羽〜東北線〜小山〜高崎〜高麗川〜八王子〜横浜線経由で一筆書き回り。両毛線、八高線に久しぶりに乗りました。1/13は成田乗換で佐原で降り、伊能忠敬記念館と町中の散歩。帰りに成田空港駅にちょっと寄れるのもこのきっぷならでは。
12/10(火)〜1/20(月)が有効期間なので、ラストサンデイとなった1/19(日)に最後の1回をと、まずは湘南新宿ラインで新宿まで。中央線のホームに行ったら、折良く直通の青梅行きが入っていました。これで、青梅・五日市線へ行くことに決定。立川から西立川は時刻表の地図に載っていない渡り線を走るのもうれしい。青梅からは一気に山が深くなります。急坂とトンネルの連続で着いた終点奥多摩駅でお昼とします。1時間後にちょうど青梅行き展望型電車「四季彩」がありました。青梅寄りから、スノウ印の冬、モミジの秋、ヒマワリの夏、サクラの春がペイントされた4両編成で、なるほどそれで四季かと納得。拝島で五日市線に2分接続。武蔵五日市駅は高架になり、周りも市街化されてしまっておりびっくり。一応駅前をちらっと見て戻ると、さっきの電車が折り返しで新宿直通に。
こんなかんじで、家をゆっくり9〜10時頃出ても、明るいうちに、結構遠くまで行けるものです。
最後にクイズ。「青春18きっぷ」で例外的に、特急の普通車自由席にタダで乗れる区間が全国に2箇所だけある。どこか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その33)■ =2003年2月20日(木)午前11時 定期発行 <通巻41号>=
【私鉄のフリーきっぷ】
トップ画面右上の「おトクなきっぷ」ボタンをクリックすると、全国の「トクトクきっぷ」を、北海道から九州の各地方ごとに分けてご案内(全国で売っているものは「全国」のところにも掲載)したものが見られます。「JR東日本パス」のような期間限定ものから、「青春18きっぷ」「フルムーン夫婦グリーンパス」「ナイスミディパス」のような毎年恒例の季節もの、「新幹線指定席特急回数券」のような年間発売のオーソドックスなものまで。今まではJRのきっぷだけでしたが、今号から、私鉄の「トクトクきっぷ」の主要なものを収録いたしました(掲載していない地方あり)。
試みに「関東」を選び、下の窓の上から4番目「関東地方の私鉄のフリーきっぷ」をクリックすると、右側にその一覧が表示されます。いろいろおもしろいきっぷがあります。
上から3番目の「1日フリー乗車券(小湊鉄道)」は全線片道1370円に対して1700円で1日乗り放題、「1日フリー乗車券(いすみ鉄道)」は全線片道620円に対して1000円で1日乗り放題です。まあこんなもんかという値段設定ですが、「房総横断記念乗車券(小湊鉄道・いすみ鉄道)」の1600円はおトクです。小湊鉄道・五井→上総中野→いすみ鉄道・大原の片道(逆方向も可)がこれ1枚で乗れるので、所定運賃1370+620=1990円と比べると390円のトク。もっとも五井から大原に行く用事のある人はマレと思いますが、鉄道好きには強い味方。「列車内で発売します」とありますから、当日乗ってから求めればOKで世話無しです。
東海・近畿地方の「3・3・SUNフリーきっぷ」(期間限定。今回は3月末まで)は名鉄・近鉄・南海3社が3日間乗り放題の大型きっぷです。ただ5000円というお値段は、1日だけ乗り回りたいという場合には元を取るのが難しそう。「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」3800円とか、「近鉄遊レールパス」3日間3800円とか(両方とも通年発売)と、旅行プランを『スパなび』で検索しつつ、シビアに比較検討してください。
これら以外にも、トップ画面右上の「リンク集」で各私鉄会社のホームページにアクセスすれば、いろいろなフリーきっぷが見つかるはず。この「リンク集」には、JR・私鉄の公式ホームページはほとんど網羅していますので、是非ご活用ください。正式社名「帝都高速度交通営団」は「営団地下鉄」でも、「相模鉄道」は「相鉄」でも引けます。なお、鉄道ファン個人様による熱血ホームページは入っていません。
最後にクイズ。「3・3・SUNフリーきっぷ」は、いくつの府県にまたがっているでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その34)■ =2003年3月20日(木)14時 定期発行 <通巻46号>=
【東武〜営団〜東急 新ルート】
3月19日(水)、営団半蔵門線が水天宮前から押上まで延伸し、東武が曳舟から押上まで新線(押上駅は業平橋駅の真下で、運輸省(国土交通省)への届出段階では、伊勢崎線曳舟〜業平橋間の複々線化工事となっていた)を建設してこれとつなぎ、都心を貫く新たなバイパスが誕生しました。
東武伊勢崎線沿線から都心へ向かう場合、起点の浅草乗り換えでは不便なので、北千住から日比谷線・千代田線で都心に向かうのがメインルートとなっています。さらに、東武では業平橋駅地上ホーム(浅草行きは高架ホーム)を活用してここ止まりの通勤列車を新設し、地下の京成押上線・都営浅草線押上駅への連絡通路を作ってラッシュをしのいできました(この列車と通路は3/18限りで廃止)。
これが、伊勢崎線が営団半蔵門線に乗り入れることで、大手町・永田町・渋谷への直通ルートができたのです。ルートが少し大回りなのをカバーするため、北千住〜曳舟はノンストップ運転の「区間準急」「通勤準急」となっています。しかも、日光線南栗橋から東急田園都市線の終点中央林間までの、全長98.6kmに及ぶ相互直通運転です。
東武〜営団〜東急の3社はこの快挙を記念して、南栗橋のさらに北まで行く〔3社直通運転記念号〕を1往復臨時運転します(全車自由席。予約不要で普通運賃のみで乗車できます)。往路は3/29(土)、中央林間10:17→南栗橋で分割→東武日光14:07(後6両)・鬼怒川温泉14:21(前4両)。復路は3/30(日)、東武日光12:35・鬼怒川温泉12:26→南栗橋で併結→中央林間16:11(復路にはヘッドマークは無し)のダイヤです。途中駅の時刻は『スパなび』で検索して、時刻表表示でご確認ください。
なお、『スパなび』では、指定された発駅・着駅・出発(到着)日時の条件で、1分でも速いトータル所要時間をひたすら優先して検索結果を出すため、上記の半蔵門線経由や、長い距離を走る普通列車は出にくくなっています。トップ画面の「経由駅ボタン」を押して錦糸町などの途中駅を入れたり、「条件指定ボタン」で「特急列車を利用する」「JRを利用する」のチェックをはずしたりする工夫をしてみてください。発駅・着駅・出発(到着)日時の条件をちょっとでも変えると、出る結果が劇的に違う場合もあります。ルートのはっきりしている短区間ごとに分けて検索するのも有効です。
最後にクイズ2つ。 (1)〔3社直通運転記念号〕は、いくつの都県を通って行くでしょうか? (2)この3社の路線は、いくつの都県にまたがっているでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その35)■ =2003年4月7日(月)午前11時 特別号臨時発行 <通巻49号>=
【鉄腕アトムの誕生日】
「鉄腕アトム」の誕生日が2003年4月7日だと聞き、『スパなび』でなにかお祝いができないかと考えました。生誕地が高田馬場だというので、弊社独自の「あいまい駅名入力」機能を使って、「鉄腕アトム」と入力すると「高田馬場」がヒットする仕掛けをしてみました。「アトム」「astroboy」「atom」でもOKです。
この機能は、いわば仮名漢字変換のユーザー辞書のようなもので、間違えそうな入力を登録してあるのです。例えば、保土ヶ谷・保土ヵ谷・保土が谷・保土ガ谷・保土谷で保土ケ谷が、下田で伊豆急下田が、御茶の水・御茶水・お茶の水・お茶ノ水・お茶水で御茶ノ水が、といった具合。tokyo、osaka・ohsaka、tamacenter、tennozisle のような英語風(ヘボン式)入力にも対応しています。
ついでにおまけとして、「手塚治虫」で「宝塚」がヒットするようにもしました。
さて宣伝です。JTB出版事業局ではこの世紀の日に、単行本『鉄腕アトム その夢と冒険』を発売します。内容は、アトムの漫画とアトムの謎が満載。
さらに、初版本にのみ、シリアルナンバー刻印の「アトムチップ」が付きます。アトムというロボットに人の心を与えたチップです。チップはレプリカで、情報等は入っていませんが、シリアルナンバーがレーザーで刻印され、1冊1冊が世界にただ1つの番号をもつアトム本ということになります。
また、帯に付いている「プレゼント応募券」を貼付してハガキで応募すると、抽選で200名様に「アトム1/2設計図」が当たります。
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●単行本『鉄腕アトム その夢と冒険』
手塚プロダクション 監修
アトムを愛する会 編
A5判/216ページ/定価 本体1600円(税別)/
ISBN4-533-04778-5 C0095/JTB出版事業局刊
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●「るるぶ旅の本屋さん」をご存じですか。
ネット上で書籍の購入ができます。但し送料がかかります。ご了承ください。
http://www.rurubu.com/publist/Recomm.asp?
なお、お近くの書店さんにお申し込みいただき、その書店でお引取りいただく
場合ですと送料はかかりません。どちらか便利な方をご利用ください。
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最後にアトムの謎から2つ。 (1)アトムを造ったのはお茶の水博士ではない? (2)造られた時の名前は「アトム」ではなかった?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その36)■ =2003年4月21日(月)発行 <通巻50号>=
【TKルート】
東京ディズニーランドを「TDL」、大阪のユニバーサルスタジオジャパンを「USJ」と略す伝で、「TKルート」とは「立山黒部アルペンルート」のことなんです。富山県と長野県との間にそびえる屏風のような北アルプスを、いろいろな乗り物を乗り継いで一気に抜ける、日本で一番過酷な路線、かつ一番魅力に富んだ路線です。途中の徒歩連絡区間では、黒部川をせき止めた、あの黒四ダムそのものの上を歩きます。
当然真冬はお休みで、例年4月20日頃から11月末までの営業ですが、今年はまんなかの小区間以外は4月10日(木)から開通し、全通は4月20日(日)でした。この真ん中は「雪の大谷」といい、春先は17mもの雪の大絶壁の底をバスが走ります。今年は、4月20日(日)〜30日(水)と、5月6日(火)〜18日(日)の午前10時〜午後2時に、「雪の大谷ウォークイベント」として、この区間を散策体験できます。真夏にはだいぶこの壁も低くなりますが、解けきることのない万年雪地帯です。『スパなび』ではこの「TKルート」もサポートしています。
このように、気象状況の極端に厳しい路線ですので、TKルート公式サイト http://www.alpen-route.com/ で事前に運行状況の確認と、防寒着のご用意を。はじめてであれば、http://www.jtb.co.jp/ の「旅物語 http://www.jtb.co.jp/fset.asp?rf=/media/ 」のようなツアーに参加するのもひとつの手です。TKルートだけでなく、宇奈月温泉や黒部峡谷鉄道も訪れるおトクなコースが、各地から設定されています。
TKルートのホームページによれば、立山から美女平に登る立山開発鉄道のケーブルカーが、今シーズンから新車両になったとか。これを記念して、立山駅のコンコースで11月3日(月)まで、「日本のケーブルカー展」を開催中とのことです(入場無料)。
最後にクイズ。JR富山駅前の電鉄富山を出発して、長野県信濃大町に抜けるまで、何種類の乗り物に乗るでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その37)■ =2003年5月26日(月)発行 <通巻53号>=
【都の西北、本庄早稲田】
上越新幹線・熊谷〜高崎間に、来春新駅が開業する。1982年11月15日の上越新幹線開業以来、初の新駅である。高崎線の本庄駅とは約2km離れており、所在地は埼玉県本庄市北堀字山ノ根2070。新駅の名前を、「新」や「東西南北」の接頭語は不可の条件で公募した結果、5月7日、「本庄早稲田」(ほんじょうわせだ)に決まった。
1826通の応募があり、1位「本庄早稲田」、以下「本庄児玉」「武蔵本庄」の順だったという。地域名優先なら「本庄児玉」が妥当だろうが、すでにインター名で使われていた。「燕三条」駅のそばのインター名が「三条燕」というクイズもどきの例もあるが、大学名「早稲田」が入った駅名は目新しいかんじがする。鉄道駅名に「○○大前」が増え、いまや珍しくもないが、さすがに新幹線の駅名にははじめてである。
新駅の南側に広がる大久保山丘陵地には、早稲田大学の本庄セミナーハウス、高等学院、大学キャンパスなどがあり、「早稲田山」と通称されている。「早稲田リサーチパーク」を建設中で、来年度以降に環境・情報系の独立大学院もできるという。「わせだのもり」といえば「都の西北」の歌詞が思い浮かぶ。東京の早稲田は鉄腕アトムの高田馬場駅近くだが、開学当時、ここは東京市外の郡部の早稲田村だった。さらに外側に位置する、品川〜渋谷〜新宿〜池袋を走る「山手線(やまのてせん)」は、文字通り東京の山の手の市外地域を結んで建設されたのである。よって、「都の西北」は「都の中の西北」ではなく、「都の外の西北」の意なのだ。そういえば、本庄キャンパスも、都心から西北の方角ではないか。
話は変わって、同じ来春に、山陽本線向洋(むかいなだ)〜広島間(広島市南区東駅町287番)に新駅ができるが、ただいま新駅名を公募中。同じく、「新」や「東西南北」はノーサンキューとなっている。武蔵野線の駅名はなんだったんでしょうかねー・・・
応募を官製ハガキに限るのは、最近では珍しいかも。要項は http://www.westjr-hiroshima.com/ にて。締切は6月16日(月)消印有効で、発表は7月初旬とある。
最後にクイズ。「ほんじょうし」と「ほんじょうえき」が、この本庄市以外に存在します。どこにあるでしょうか?
※ヒント:「ほんじょうえき」は今年の3月にできたばかりの駅です
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その38)■ =2003年6月20日(金)発行 <通巻55号>=
【千早振る、鹿児島本線の新駅】
「千早(ちはや)ふる神代(かみよ)もきかず竜田川(たつたがわ)」とくれば、知ったかぶりご隠居の落語を思い浮かべてしまいます。千早という花魁(おいらん)が相撲取りの竜(龍)田川を振ってしまうという、百人一首珍解釈のお笑いです。
7月7日たなばたの日に開業する千早駅は、住所こそ福岡市東区水谷(みずたに)2丁目83-1であるものの、地域一帯の名称として古くから「千早」が使われ、「千早市民運動公園」のように千早を冠した施設も多数あることで命名されたとのこと。
すぐ近くにある香椎宮のご神木「綾杉」は、神功皇后が植えたと伝えられるが、このご神木を詠んだ古今和歌集の歌「ちはやふるかしひ(香椎)の宮のあや杉は神の御衣木(みそき)にたてる成りけり」がある。「千早ふ(ぶ)る」とは、神や宮にかかる枕詞(まくらことば)なんですね。
ところで、新駅の一体はかつては広大な貨物列車の操車場だったが、いまや福岡の東の副都心としてまちづくりの真っ最中。首都圏でいえば、新川崎(旧新鶴見操車場)か、さいたま新都心(旧大宮操車場)あたりの風情でしょうか。新駅開業ののっけから快速が停まるとは、ただものではありません。すぐ近くを走っている西鉄宮地岳線名香野(なかの)駅と合わせた一体化構想もあるとか。これは名鉄・JR・名古屋市営地下鉄の駅が一体に改良された金山駅と同じプランです。なお、「東福岡」という駅名希望もあったそうですが、「千早」という含蓄のある駅名に決まってホント良かったと思います。本庄早稲田といい、最近は新駅の駅名に凝りますね。
最後にクイズ。千早のあい方、竜田川という駅が本当にあるんです。どこにあるでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その39)■ =2003年7月23日(水)発行 <通巻57号>=
【青春18きっぷ】 〔ムーンライト91号〕は全区間全車指定席!!
「青春18きっぷ」のシーズンです。東京から西へ向かう場合、大垣行きの夜行は定番。今までは、東京発23:43(品川23:53)の〔ムーンライトながら〕の指定券が取れなかった場合、品川23:55始発の全車自由席の臨時普通列車に早めに並べばなんとか座れました。
今夏より、この列車が特急型車両にグレードアップされるとともに〔ムーンライト91号〕(上りは92号)の名前が付き、全区間全車指定席(禁煙車・喫煙車両方あり)に変更となりました。運転は7月19日(土)から8月23日(土)までの毎日(上り92号は東京行きで、運転日が1日繰り下がる)です。
このため、指定券(指定席券510円)を持たないでの乗車はできないことになりました。車内での指定券発売も一切ありませんので、あらかじめみどりの窓口で指定券をお求めいただく必要があります。首都圏のみどりの窓口はほとんどが22:00頃までの営業です。出発間際に品川駅で購入することも不可能です(品川駅のみどりの窓口は23:00までの営業)。十分にご注意ください。
すでに下り〔ムーンライトながら〕〔ムーンライトながら91号〕とも満席の日があるようです。1席や2席ならばキャンセルが出る可能性もあり、最後まであきらめずにみどりの窓口でトライするしか方法がありません。定期列車〔ムーンライトながら〕は小田原から自由席になる車両があるので、東京23:40の普通列車で小田原まで先行し、この〔ムーンライトながら〕に乗り継いで大垣まで行くことは可能ですが、確実に深夜立ちっぱなしとなります。体力に自信のある方以外にはおすすめできません(上りではこの方法も使えません)。
指定券が取れなかった場合、名古屋まで新幹線で翌朝行くことにするか、朝一番の普通列車利用のプランに切り替えるか、または行き先をがらっと変えるかなど、いろいろ策を練っておく必要があります。なにせ、ここらへんの臨機応変がこのきっぷの醍醐味なんですから・・
最後にクイズ。あとから出た〔ムーンライト91号〕は大垣に、〔ムーンライトながら〕より1時間1分も早く着きます。どこで追い抜くのでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その40)■ =2003年8月25日(月)発行 <通巻59号>=
【〔のぞみ〕の特急料金】
今回の改正で東海道新幹線は、〔のぞみ〕75+〔ひかり〕125+〔こだま〕87の計287本が、〔のぞみ〕137+〔ひかり〕65+〔こだま〕89の計291本となり、のぞみちゃんとひかり君の立場が完全に逆転する。スピードアップと引き替えに、〔のぞみ〕に乗らざるをえないダイヤになったともいえ、特急料金の設定がどうなるか注目されたが、思い切って〔のぞみ〕と〔ひかり〕の料金差(〔のぞみ〕加算額)を縮めた制度改正となった。例えば東京からだと、新大阪は加算額970円が300円に、名古屋は760円が200円に、岡山は1330円が500円に、広島は1630円が500円に、博多は1840円が600円にと、ほぼ3分の1以下となる大幅値下げだ。
さらに、〔のぞみ〕全列車に自由席が初めて付き、しかも〔ひかり〕〔こだま〕の自由席と同額で乗れるといううれしい知らせ。通常期指定席の510円引きに加え、さらに上記加算額分もまったくいらないことになる。東京〜新大阪だと現行指定席(通常期)より一気に1480円も安く、4730円で〔のぞみ〕が利用できる。自由席は前(下りの場合)3両ということだが、自由席は早いもの勝ちなので、確実に座りたい場合はあらかじめ指定券のご予約を。
あと、グリーン車利用の場合の計算の仕方だが、繁忙期や閑散期も含め、通常期指定席の510円引きにグリーン料金を足すルールで、これは現行通り。例えば東京〜新大阪〔のぞみ〕グリーン車の場合だと、通常期指定席5540円の510円引きに、600.0kmまでのグリーン料金5150円を足した10180円だ。現行10850円より、〔のぞみ〕加算額の値下げ分670円が安くなる。
〔のぞみ〕指定席から〔ひかり〕指定席に乗り継ぐ場合は、〔のぞみ〕の利用区間のみ加算額を足す。例えば東京〜広島を〔のぞみ〕指定席で、広島から〔ひかり〕指定席に乗り継いで徳山までの場合は、東京〜徳山の〔ひかり〕指定席7230円(通常期の場合)に、東京〜広島の〔のぞみ〕加算額500円を足した7730円となる。東京〜徳山の〔のぞみ〕指定席7830円ではない。
〔のぞみ〕グリーン車から〔こだま〕に乗り継ぐ場合で〔こだま〕にグリーン車を連結していない場合は少し難しい。例えば東京〜岡山を〔のぞみ〕グリーン車で、岡山から〔こだま〕指定席(又は自由席)に乗り継いで新尾道までの場合は、東京〜新尾道の〔ひかり〕通常期指定席6710円の510円引きに、東京〜岡山の〔のぞみ〕加算額500円を足し、東京〜岡山のグリーン料金6300円を足した13000円となる。グリーン料金は実際に乗る岡山まで(800.0kmまで)を払えばよい。新尾道まで(800.1km以上)の7440円ではない。
このグリーン料金のややこしい乗り方となるパターンは、今まで『スパなび』が対応できていなかったが、今号から対応した。なお『スパなび』は、入力した日付に応じて、旧料金、新料金でそれぞれ正しく表示する。繁忙期、閑散期の判断(JRによって期日が異なる)も同様だ。
最後にクイズ。〔のぞみ〕が停車する駅は、今回から全部で何駅になったでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その41)■ =2003年9月22日(月)発行 <通巻61号>=
【東海道新幹線 品川新駅】
10月1日東海道・山陽新幹線白紙ダイヤ改正は、〔のぞみ〕大増発・料金大幅値下げに加えて、品川新駅がホットな話題だ。
最大のメリットがあるのは、渋谷・蒲田・新川崎・東急各線・京王井の頭線方面から乗る場合で、東京まで行かなくてよくなったため、品川〜東京の往復時間がまるまる助かる。もちろん、品川の新高層ビル街やホテルはいうまでもない。〔のぞみ〕が1時間に2〜4本は停まるし、自由席も3両新設されたので利便性も十分だ。品川から名古屋までは最速列車だと1時間32分、新大阪は2時間26分、岡山は3時間15分、広島は3時間50分、博多でも4時間57分で着く。
意外なのが千葉方面からの利用だ。今までは東京で、地下ホームから高架ホームまでのえっちらおっちらが必要だったが、品川で乗り換えれば実質3分くらいでOK。なにせ、総武快速線と直通している横須賀線ホーム(13・14番線)のすぐ向こうの同じ目の高さに、新幹線ホームが見える。山手・京浜東北線へ乗り換えるよりも近いかんじだ。〔成田エクスプレス〕の品川停車も増えたので、成田空港とのアクセスにも品川乗り換えがおすすめである。
また、人数や乗車日・乗車区間、指定か自由席かなどに応じて、お得な切符が多数用意されている。9月30日までとがらっと変わっているので注意。詳しくは、『スパなび』トップ画面上部右よりの「おトクなきっぷ」ボタンをクリックし、自分の目的地の「地方」を選び、「東海道・山陽新幹線の回数券」「東海道・山陽新幹線の回数券(その2)」などの切符名を選んで確認を。
なお、時刻表本誌(JTB大型時刻表)には、特別企画として、「のぞみ停車全15駅発車時刻表」を、新幹線頁の直前に綴じ込んである。切り離すと、定期入れに納まるサイズとなる。
最後にクイズ。品川停車の〔のぞみ〕〔ひかり〕〔こだま〕では、どれが一番本数が少ないでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その42)■ =2003年10月20日(月)発行 <通巻63号>=
【JR東日本の「グリーン料金」はおトク】
昨年の12月1日から、JR東日本内相互間の「特急・急行用グリーン料金(新幹線を含む)」が期間限定(1年間)で値下げとなったが、今年12月1日以降も引き続き、このおトクな料金が継続されることとなった。規則所定では、100キロまで1,240円、200キロまで2,670円、400キロまで4,000円、600キロまで5,150円、800キロまで6,300円、800キロ超7,440円なのが、100キロまで1,000円、200キロまで2,000円、300キロまで3,000円、300キロ超4,000円と、千円札単位のきっちり値段でわかりよく、400キロを超えた遠距離はめちゃ安い(300キロ超〜400キロのグリーン料金のみは値下げ前と同額の4,000円)。
さらに、東北新幹線と山形新幹線・秋田新幹線が直通している区間(直通列車でなく、乗り継いでの利用も可)においては、所定では列車ごとにグリーン料金を計算しないといけないが、通しの営業キロで計算できるとのおマケも付いている。例えば東京〜盛岡〜秋田で〔はやて〕のグリーン車から〔こまち〕のグリーン車に乗り継いで利用した場合、所定では5,150+2,670=7,820円となるが、通しの営業キロ662.6kmに対する4,000円と、所定の約半額でOKだ。ただ、途中駅で改札から外に出た場合は「下車」扱いとなり、この特例は消え、グリーン料金を改めて払う必要が生じてしまうのでご注意を。
料金の細かいことをいうと、グリーン車に乗る場合の特急料金は自由席相当の値段だから、普通車指定席(通常期で自由席の510円増し)と比べると、その差は思ったより小さい。なお、JR東日本から他のJR会社にまたがって乗車の場合(例えば大船〜三島、青森〜函館、長岡〜富山)や、特急「成田エクスプレス」、東海道・山陽新幹線にはこの特例料金は適用されず、所定料金が必要となる。快速・普通列車用のグリーン料金と、グリーン個室料金も対象外である。
最後にクイズ。年末に、東京から八戸まで〔はやて〕、八戸から〔つがる〕に乗り継いで弘前までグリーン車で行くとすると、乗車券、特急券、グリーン券の合計はいくらになるでしょうか? また、普通車指定席と比べてその差は?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その43)■ =2003年11月20日(月)発行 <通巻64号>=
【さようなら 可部線 (可部〜三段峡)】 46.2キロの車窓
2003年秋の、とある土曜日。博多から、国鉄時代のエース、0系のこだまに乗って広島駅に降り立つ。可部(かべ)線の列車内で食べるため「広島おまかせ寿し」を買い込み、ホームへ。
廃止寸前の可部線。ガランとした車内で駅弁を広げる…予定だったのだが、やってきた列車はロングシートの通勤型電車、しかも、土曜日だというのに車内は背広姿のサラリーマンや制服姿の高校生でごった返している。さすがに廃止されずに残る広島―可部間は生活感のある活気に満ちている。
それでも、可部から三段峡行のキハ28に乗り換えると、乗客はほとんど「乗りおさめ」に来たであろう人だけになる。鉄道ファンばかりでなく、若い頃からずっと可部線にお世話になってきたという思い出話をするお年寄りの姿も目立つ。
河戸から、トンボが一匹のりこんできた。やっと「広島おまかせ寿し」の蓋が開けられた。可部から三段峡まで、蛇行する太田川を渡ること11回、トンネルをくぐること20回。雄大な自然を映し続けてきた46.2キロの車窓。都会では味わえない安心感。目をこらすと、坪野駅のすぐ先には、国鉄営業キロが2万キロに達したことを記念する石碑がたっているのが見える。ほとんどの駅に、列車のすれちがい設備の跡や使われなくなったホームがあるのもわかる。開業時に寄せられた、沿線の大きな期待と、その後の営業存続のための努力が伝わってくる。河戸から同乗していたトンボは、いつのまにか下車していた。
11月30日日曜日。可部線可部―三段峡間は34年間という、意外と短い歴史に幕を下ろす。後ろ髪をひかれる思いで、東京行き最終のぞみ500系に乗り換える。その最後の瞬間まで、いつもとまったく変わらずに走りつづけるであろう可部線を想像しながら。 (編集部 大内 学)
《補足》 可部線横川―可部間は明治末に「大日本軌道広島支社」という私鉄が軌道で開業した古い区間だが、1936(昭和11)年9月1日鉄道省に買収された。このときまでに、軌道から鉄道に変更(路線の改築も実施した)し、「広浜(こうひん)鉄道」という名前になっていたが、これは可部から先を延長し山陰本線の浜田と結ぶ計画があったためである。しかし、同年に安芸飯室まで11.1km、戦後の1946(昭和21)年に布(ぬの)まで2.4km、1954(昭和29)年3月30日に加計(かけ)まで18.5km延ばしたところ(このとき2万キロを突破し国鉄全線が20,007.8kmとなる)で停滞し、1969(昭和44)年7月27日にやっと14.2km先の三段峡まで60.2kmが開通したが、ここから先に延びることはついぞなかった。当時は三段峡の1駅手前の戸河内(とごうち)まで貨物列車が走っていたが、1978(昭和53)年には可部以北の貨物は廃止となり、1984(昭和59)年には可部以南も廃止され、旅客列車だけが走る線となった。可部以南は電車だが、以北は非電化で、可部―加計間にはSLの引く客車も走っていたことがある。加計以北の線路は一番最近に建設しただけあって、ひときわ立派であった。広島駅新幹線口から可部線に沿って北上し、三段峡駅手前で分かれて峠を越え、山陰本線益田までのバスが走っている。『スパなび』にはこのバスと、もっと東の方を走る浜田行きも収録している。
最後にクイズ。可部線の途中駅に、私鉄との連絡駅がある。何駅か?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その44)■ =2003年12月22日(月)発行 <通巻68号>=
【あいうえお順 駅名索引】
12/20(土)発売になった1月号本誌の新春特別企画として、付録(巻頭黄色の頁)34〜51ページの18頁に、「あいうえお順 駅名索引」を掲載しました。対象は、本文p65〜p769に収録の、JR線と第3セクターの全駅、大手私鉄有料特急停車駅です。本文の掲載頁も入れたので、列車の時刻を調べるのに便利。同一駅であっても、運転系統路線別に複数収録(本文で複数箇所に出てくる場合、その掲載トップ頁をすべて収録)しているのが特色です。例えば上野駅なら、東北新幹線、上越新幹線、東北本線、高崎線、常磐線、常磐快速線、成田線、山手線、京浜東北線といった具合。
この索引の駅名データを、デジタル(カンマ区切りテキスト・6474レコード・5597駅)で、愛読者の皆様にネット上にて、2004年1月中旬よりダウンロード販売(価格・税込29,800円)いたします。詳しくは、「るるぶ.com グッたいむBBSニュース」 http://www.rurubu.com/forum/news.asp?Menu=List にてご案内しております。
この付録51ページ下には、「駅名雑学」として、駅名で遊べるヒントをたくさん掲載していますが、ここでは、別の駅名遊びをクイズとして出題いたしましょう。
次の駅名の書き方は、どこか違っています。正確にはどう書くべきでしょうか?
(1)八王寺 (2)取鳥 (3)伊予大州 (4)お茶の水 (5)五稜閣 (6)宇佐見
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その45)■ =2004年1月26日(月)発行 <通巻69号>=
【ごめん・なはりこちゃんマップ をゲットしよう】
南国土佐高知県は、海岸線から山並みまでが迫っていて、その間に町が連なっている。高知の東方の、その名もズバリ南国市(なんこくし)の後免(ごめん)駅を起点として、斜め右下へと海岸線を快走する土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」42.7kmには20の駅があるが、ここには11の市町村がひしめく(2市7町2村)。この11と近隣の4町村を合わせた15自治体がつくる「ごめん・なはり線活性化協議会」(〒784-8501 安芸市矢ノ丸1丁目4-40安芸市役所内)が「ゴトゴトマップ」を作成した。
昔の鉄道地図のような、バタバタバタと折りたたんだ形式で、オモテがイラスト地図、ウラがウォーキング地図となっている。高知県香美郡香北町(かみぐんかほくちょう)出身の、やなせたかしさん作のイメージキャラクター20人がふんだんに登場し楽しい。後免=ごめんえきお君、後免町=ごめんまちこさん、夜須=やすにんぎょちゃん、和食=わじきカッパ君、伊尾木=いおきトラオ君、安田=やすだアユ君、田野=田野いしん君、奈半利=なはりこちゃん など。
ウォーキングモデルコースは、昨夏の暑いさかりに実際に現地を歩いて、しなびた野菜状態になって作成したという。このこだわり「ゴトゴトマップ」(21×11×0.8センチ)のゲット方法だが、ごめん・なはり線に関する意見・感想を記入(様式不問)し、返信用切手(160円相当)を貼った長3サイズの封筒を同封して、協議会事務局宛郵送すればよい(1人1回限り。提供1部)。但し、部数に限りがあるので、先着500名まで。
また、同線をサポートする「ごめん・なはり線友の会」会員も募集中。第1号会員はやなせさんの由だが、これらの詳しい情報は、「ゴトゴトWeb」 http://www.gomen-nahari.com/ を。
筆者は、ごめん・なはり線が開業した2002年7月1日の翌8月に、初乗りとともに、安田駅から安田川を遡った馬路村(うまじむら)も訪れた。かつて安田川と奈半利川には森林鉄道が延々と伸び、高知杉を搬出していたのだが、その跡の望見と、馬路村内に2箇所ある森林鉄道の忘れ形見の乗車が目的であった。狭い道をひた登る路線バスはマイクロで1日数便のみ。高知の山はさすが険しい。奥の1箇所は行きそびれてしまった。ここで見つけた「ごっくん」という清涼飲料水は、歩き回ったのどにじつに爽やかであった。横浜に帰ってきて、近所のマーケットで「ごっくん」に思いがけず再会したときは、山の香りが蘇った。
最後にクイズ。高知県内には、市がいくつあるでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その46)■ =2004年2月20日(金)発行 <通巻70号>=
【九州新幹線】
昭和50(1975)年3月10日、山陽新幹線岡山〜博多間が開業し、新幹線が九州に乗り入れた。このとき、東京〜博多間の所要は、開通前の10時間25分が6時間56分と3時間半の短縮となり、九州が日帰り圏に入った。
現在の2004年に飛んで、3月12日(金)東京発6時で検索すると、東京06:00→〔のぞみ1号〕→10:58博多11:05→〔L特急つばめ9号〕→八代通過12:43→鹿児島中央(正確にはこの日まで西鹿児島)14:52となり、博多までは所要4時間58分(同じ新幹線ながら29年前より2時間短縮している)、鹿児島までは8時間52分である。 なお、デフォルトだと航空路線も含めて検索されるので、トップ画面の「条件指定」で「空路を利用する」のチェックをはずしてサーチするとよい。
翌日のダイヤ改正日3月13日(土)東京発6時で検索すると、東京06:00→〔のぞみ1号〕→10:58博多<ここまでは変更無し>11:10→〔L特急リレーつばめ9号〕→12:46新八代12:49→九州新幹線〔つばめ9号〕→鹿児島中央13:28で、鹿児島までの所要は7時間28分、約1時間半の短縮だ。折り返し、13:49発の〔つばめ12号〕に乗れば、なんと21:30には東京に着いてしまう。鹿児島に2時間以上滞在して、15:45発の〔つばめ16号〕に乗っても、23:26には東京に戻って来られるのである。東京から西鹿児島まで、急行に24時間乗り続けてもまだ着かなかった時代と比べると、正に夢物語のようだ。
なお、検索する場合のウラ技を紹介しよう。「出発駅」東京、「到着駅」東京、「経由駅」鹿児島中央と設定して検索ボタンを押すと、上記の、東京06:00→13:28鹿児島中央13:49→東京21:30の乗り継ぎが、1回で調べられる。ただ、検索が多少重くなるのはやむをえない。
最後にクイズ。東京から東北新幹線で北に向かい、北海道のどの駅(特急停車駅)まで日帰りで行けるでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その47)■ =2004年3月19日(金)発行 <通巻72号>=
【つばめ、翔ぶ。】 九州新幹線〔つばめ〕は5代目
3月13日(土)から、九州新幹線が走り始めた。南半分だけの開業ながら、海沿いの曲がりくねっていた区間を直線の新幹線に置き換えたため、時間短縮効果は抜群。博多〜鹿児島中央の所要が4割も減少し、約2時間10〜40分で到達するダイヤとなった。JR九州ではHPの中に「TSUBAME-NET」 http://www.jrkyushu.co.jp/shinkansen/index.html という特別コーナーを作る力の入れよう。乗りもまずまずで、見学だけの入場券の売り上げも予想外という。
ところで、この〔つばめ〕という愛称名は、じつは5代目なのだ。1930(昭和5)年10月1日に東京9:00→神戸18:00、神戸12:25→東京21:20で結んだ(東京〜大阪は8時間20分)特急〔燕〕が初代。改正前より2時間半も短縮し「超特急」といわれた。東京〜国府津は電化されていたが、このときは全区間SL(C51)の牽引であった。4年後に丹那トンネルの完成で現御殿場線経由から熱海経由となり、東京〜大阪8時間ジャスト、これが戦前の最速レコードとなった。
戦中に特急は全廃され、やっと1949(昭和24)年9月15日、東京〜大阪に〔へいわ〕の名前で特急が復活した(所要9時間)。この名前は短命で、早くも翌年1月1日から改称され、2代目特急〔つばめ〕となった。漢字が平仮名に変わったことになるが、テールマークは戦前も平仮名書きであった。但し、戦前は文字が縦一列、戦後は斜めに配置されているのがミソ。翌年8時間運転と戦前の水準に戻り、1956(昭和31)年11月19日東海道本線全線電化で7時間30分となった(全線EF58電気機関車牽引)。翌々年の電車特急〔こだま〕が成功し、1960(昭和35)年6月1日に〔つばめ〕も電車化され、東京〜大阪6時間30分となったが、列車最後尾の一等展望車(マイテ)が姿を消した日でもあった。
この2代目〔つばめ〕は1964(昭和39)年10月1日の東海道新幹線開業で廃止され、3代目〔つばめ〕新大阪〜博多となった(所要9時間10分)。翌年、名古屋〜熊本が運転区間となる。1972(昭和47)年3月15日の山陽新幹線岡山開業で〔ひかり〕とともに西へ飛び、岡山〜熊本・博多に変わる。翌年、西鹿児島(現鹿児島中央)へも足を伸ばす。そして、1975(昭和50)年3月10日の博多開業に至り、ついに〔つばめ〕の名前は消えてしまった。
そののち空白の17年を経て、1992(平成4)年7月15日のJR九州のダイヤ改正で、博多(門司港)〜西鹿児島の特急〔有明〕が〔つばめ〕と改称されて、4代目として甦った。この787系電車は、鉄仮面と通称されるメタリックな外観だけでなく、かつての「つばめガール」を彷彿とさせる「つばめレディ」を乗務させるなどソフト面にも意を用いた、トータルデザインのたまものであった。
そして、真打ちたる5代目、新幹線〔つばめ〕の登場となるわけだが、JR九州の車両は一貫して水戸岡鋭治氏がデザインを手掛けている。このいきさつは、3月26日(金)発売の、下記弊社新刊における、元JR九州会長石井幸孝氏と水戸岡鋭治氏との対談に詳しい。
増田浩三 編著
単行本 『栄光の超特急<つばめ>物語』
−日本の鉄道のファーストレディ「つばめ」「はと」の記憶−
248ページ(うち8ページはカラー)/定価 1890円(税込。本体1800円)
ISBN4-533-05234-7 C0095 JTB出版事業局刊
ご購入は、書店か、弊社サイト『るるぶBookWeb』にて、
http://book.rurubu.com/search/book_detail.asp?isbn=4533052347
最後にクイズ。鹿児島本線に現在走っている特急の愛称名を、すべて挙げてください。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その48)■ =2004年4月20日(火)発行 <通巻74号>=
【帝都は遠くなりにけり】 営団地下鉄から東京メトロへ
東京付近のメジャーな私鉄(公営も含む)といえば、東武鉄道、西武鉄道、京成電鉄、京王電鉄、小田急電鉄、東京急行電鉄、京浜急行電鉄、相模鉄道、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)、東京都交通局(東京都営地下鉄・都電)といったところだが、命名の由来は結構古びている。東武・西武は東武蔵、西武蔵だし、相模は旧国名そのままだ。京成は東京〜成田、京王は東京〜八王子、京浜は東京〜横浜、小田急は小田原急行の略記である。
ここで「帝都高速度交通営団」と来ると、戦前のかおりプンプンとなる。それもそのはず、1941(昭和16)年9月1日に、浅草〜新橋の「東京地下鉄道」と、渋谷〜新橋の「東京高速鉄道」の2つが一緒になり発足した会社名だったのだ(現在の銀座線)。「東京地下鉄道」は東洋初の地下鉄として、1927(昭和2)年12月30日、浅草〜上野間で創業した会社だ。
この「帝都高速度交通営団(Teito Rapid Transit Authority)」が、4月1日から「東京地下鉄(株式会社)(Tokyo Metro Co.,Ltd.)」(愛称「東京メトロ」)に社名が変わり、サインマークも「S」(Subway)から「ハートM」(Metro)に衣替えされた。『スパなび』でも、「営団銀座線」を「メトロ銀座線」のように表記を変えている。現行は政府と東京都の二者が株主(出資者)だが、いずれ完全民営化され、6年後2010年度には株式も上場されるという。
ただ、「東京地下鉄」という名称は「東京にある地下鉄」という一般名称のように読めてしまうので、「東京地下鉄道」という創業時の名前に復すれば誤解を生じなかったような気もする。なお、「高速度」は地上をゴトゴト走っていた路面電車に対するもので、快速運転をする路線という意味合いではない。現在も銀座線は、全列車が各駅停車となっている。
じつは京王電鉄も、1998(平成10)年7月1日改称するまで、「京王帝都電鉄」が正式名であった。これは営団とは事情が異なる。新宿〜東八王子(現京王八王子)を中核とする旧「京王電気軌道」と、渋谷〜吉祥寺を走る(現井の頭線)旧「帝都電鉄」(1933(昭和8)年開業)が戦時中に、小田急、京急などとともに「東京急行電鉄」(いわゆる大東急)となり、戦後の1948(昭和23)年6月1日に解体された際、小田急系列であった旧「帝都電鉄」が、別系列の旧「京王電気軌道」と合体し、その名も「京王帝都電鉄」となったのである。
その証拠はレールの幅(軌間(きかん))に今も残り、京王線系統は1372mm(都電や都営新宿線と同じ)だが、井の頭線は小田急と同じ1067mm(JR在来線と同じ)だ。かつて、帝都電鉄と小田急線との間には渡り線もあったという。
ともあれ、これで鉄道会社名からは「帝都」の文字が完全に消えた。運輸関係ではタクシーで、「帝都」を含む会社名がいろいろ見つかるが・・・。意味的には「首都」と同じコトバであるが、「帝都」は非常にインパクトの強い命名であった。
最後にクイズ。東武東上線(池袋〜寄居)の、「東上」の命名の由来は?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その49)■ =2004年5月25日(火)発行 <通巻78号>=
【根岸線40周年】 40年前の5月19日、桜木町〜磯子が開業
「根岸線」といってもカゲがうすい。「京浜東北線」と運転系統が一体化しているので、大宮〜東京〜大船の81.2kmをまとめて「京浜東北線」といってしまうヒトも多い。『スパなび』でもこの表記のみで大宮〜大船間を表しているが、正確には、横浜から大船の間22.1kmは「根岸線」なのであります。
「根岸線」は、大都市の真ん真ん中を走っているのに歴史は新しく、1964(昭和39)年5月19日の桜木町〜磯子の7.5kmを手初めに、1970(昭和45)年3月17日磯子〜洋光台4.6km、1973(昭和48)年4月9日洋光台〜大船8.0kmと伸びて、やっと22.1kmが全通しています。
明治時代に全通した東海道本線は山寄りの戸塚経由だが、そもそもこの建設の時から比較線としてノミネートされており、やっと「桜大線」の建設線名で40年前に日の目を見たものです。当時は貨物線のバイパスが建設理由の主たるものであったのに、今や沿線の団地族の足として、横浜市民に無くてはならない線となっています。武蔵野線や京葉線の経緯と似ていますね。
ところで、「根岸線(横浜〜磯子)」の名前が誕生したのは桜木町〜磯子が開業した1964年。それではそれまでの横浜〜桜木町2.0kmはどうなっていたかというと、行き止まりの盲腸区間なのに、堂々東海道本線の一部だったんです。「東京・神戸間、鶴見・横浜港間、横浜・桜木町間、大垣・美濃赤坂間、東灘・神戸港間及び貨物支線」というのが「日本国有鉄道線路名称」による東海道本線の正式区間なのでした。「大垣・美濃赤坂間」は今でも東海道本線の一部です。
桜木町駅は、1872(明治5)年日本初の鉄道「新橋〜横浜間」の横浜駅(1代目)そのもの。1887(明治20)年西へ延伸されたときには、桜木町から元来た道を戻り、斜めに保土ケ谷方向へ進むV字形で建設され、このときは途中駅であったが、のちに現横浜駅付近経由の直通線にルート変更された結果、1駅だけの盲腸線区間として取り残されていたもの。
この「根岸線」の名前が生まれた1964(昭和39)年10月には東京オリンピックが開催されており、また東海道新幹線が開業した月でもあって、わずか40年前というか、もう40年も経ってしまったというべきか・・・
最後にクイズ。根岸線に乗り入れている「横浜線」の正式区間は?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その50)■ =2004年6月21日(月)発行 <通巻79号>=
【国境のトンネルを抜けると相模の国だった】
横浜駅(1代目。現桜木町)から西へ向かって、1887(明治20)年7月11日、当初単線で延伸された東海道本線は、程ケ谷(現保土ケ谷)を過ぎると築堤で少しずつ登りつめ、清水谷戸(しみずがやと)トンネルをくぐって現東戸塚駅の方に出るルートを選定した。東海道本線の特急や普通電車(湘南電車)が現在も走る上り線単線トンネルは、この時建設されたトンネルが今も使われており、なんとわが国最古の現役鉄道トンネルとのこと。このトンネルの真上の山が、武蔵(むさし)と相模(さがみ)の国境である。
1928(昭和3)年3月31日にこのトンネルの山側に増設された貨物線(現横須賀線)は、もっと低い位置にだいぶ長めの複線トンネル(品濃トンネル)を掘り、国境を越えている。貨物列車は重いので、勾配がきつくなるのを避けたのだ。明治時代には長大トンネルは大変な工事であり、高みまで登って少しでも短く掘るルートを選んだものだといわれているが、このことがよく実見できる区間だ。
さらに山側にある複線トンネル(猪久保トンネル)は、1979(昭和54)年10月1日開業の貨物線で、東海道新幹線新横浜駅付近の横浜羽沢(はざわ)駅(貨物駅。戸籍上は旅客駅)を通る遠回りルート。鶴見までの16.0kmが完全別線となっており、ほとんどが地下というすごいルートは一見の価値あり。ここには〔湘南ライナー〕上りが、明るい時間帯の朝に走っているので、乗車券(青春18きっぷでもOK)とライナー券500円を用意すればばっちり体験できる。但し土曜・休日はお休みなのでご注意を。
国境のトンネルから東戸塚駅までの間は、湘南電車と横須賀線が少し離れているが、この間に挟まれた島状の土地に「肥田(ひだ)牧場」があり、乳牛さんが飼われている。横須賀線の車窓から気を付けていると、「MILK」と黒字で描かれた赤茶の小さい屋根がちらっと見える。肥田さんでは、1942(昭和17)年秋から乳牛生産を始めて親子三代になるとのことで、東戸塚駅前「オーロラシティー」の高層ビル群と好対照をなしている。一昨年7月に、牧場の敷地のはじっこに、絞り立てミルクを使った直営の「アイス工房メーリア」が開店した。
6/19(土)午後久しぶりに、東戸塚駅ホーム横浜寄りから望める山小屋風店舗に寄ってみた。駅から徒歩3分ほどだが、はじめてだとちょっと迷うかも。むしむし天気に千客万来で、三人の女性店員がてんてこ舞いの盛況であった。付属のウッドデッキは横須賀線と貨物線の線路にオープンで接しており、電車を眺めながら撮りながらアイスをなめるのも乙かも。
最後にクイズ。武蔵の国の範囲は、どの都県までか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その51)■ =2004年7月20日(火)発行 <通巻81号>=
【山陽新幹線〔ひかりレールスター〕】
〔ひかりレールスター〕はJR西日本ご自慢の山陽新幹線看板列車で、「ひかり号」のうち、700系車両8両編成の列車の愛称です。時刻表本誌で、列車名〔ひかり353〕、注記で「〔ひかりレールスターで運転〕」のように記載している列車です。『スパなび』では、「JR山陽新幹線下り 新幹線ひかりレールスター353」のように表記しています。
通常「ひかり号」は16両編成ですが、〔ひかりレールスター〕は8両編成で、グリーン車は連結されていないものの、 指定席5両(4〜8号車)が「2列シート+2列シート」となっており、従来の「2列シート+3列シート」よりもゆったりで、グリーン車にも引けを取らないやや幅が広めの座席です。さらに、指定席の「4号車」は「サイレンスカー」といい、発駅と着駅以外での車内放送は入らず、また車内改札用のきっぷホルダーが座席前のポケットに設けてあり車内検札時にいちいち起こされる心配がありません。指定席の「8号車」の半分(新大阪行きだと先頭になる)は「普通個室(4人用個室)」です。個室単位の発売ですが、4人で利用するならふつうの指定席4人分と同額でおトクです。なお、自由席3両(1〜3)は「2+3列シート」なので、お間違えなきよう。
〔のぞみ号〕より停車駅が若干多いので所要時間はその分かかりますが、途中駅での〔のぞみ号〕の通過待ちがほとんどありません。料金は通常の〔ひかり号〕の特急料金と同額で、新大阪〜博多で〔のぞみ号〕より300円安となります。正式な列車名はあくまでも〔ひかり○○○号〕なので、きっぷの券面も〔ひかり○○○号〕とのみなっています。駅の電光掲示板では〔ひかりレールスター〕のマークを使用しており、車内放送では〔ひかり○○○号レールスター博多行き〕のように案内していますが、念のため、指定席をとる前に、時刻表や『スパなび』でご確認ください。
この〔ひかりレールスター〕はJR西日本管内(新大阪〜博多)だけを走る列車なので、東京〜新大阪間には走っていません。座席がゆったりしている反面、その分だけ席数も少ないため、平日、土曜休日を問わず指定席が混雑しており、出発間際での指定席確保は難しいようです。早めに指定席をゲットしましょう。
最後にクイズ。博多→新大阪を〔ひかりレールスター〕に乗り、新大阪で改札の外に出ないで、新大阪→東京の〔のぞみ号〕に乗り継いだ場合の特急料金は、どのように計算されるでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その52)■ =2004年8月25日(水)発行 <通巻83号>=
【10月は改正ラッシュ】 JRだけでなく、私鉄の予定もたくさん!!
今号で、10月16日(土)の、JR東日本・東海・西日本ダイヤ改正のうち、特急の時刻を先行して掲載いたしましたが、ことしの10月は、私鉄も改正ラッシュです。現在判明しているものだけでも、以下のように目白押しです。なお、対応次第、臨時号を発行してお知らせして行く予定です。
●10月6日(水) 名古屋市営地下鉄
※「名城線」の名古屋大学〜八事(鶴舞線と連絡)〜新瑞橋(あらたまばし)5.6kmが延伸全通し、地下鉄初の環状運転を開始します。一周26.4km、48分。
※運賃は最短経路で計算するため、現行より安くなる区間がたくさんあります。
※名城線が乗り入れる「名港線」と、環状線を東西に貫く「東山線」もダイヤ改正します。
●10月6日(水) 名古屋臨海高速鉄道(あおなみ線)
※JR名古屋駅隣接の名古屋駅から、真南の金城ふ頭(きんじょうふとう)駅までの15.2km、11駅の新線。もともとJR貨物(戸籍上はJR東海の線路)の貨物線(正式名称「東海道本線」、通称「西名古屋港線」)だったのを、複線・電化して、国際展示場(ポートメッセなごや)の真ん前まで延伸し、旅客営業を開始するもの。
※名古屋市、愛知県、JR東海が主要株主。第一種鉄道事業。
※10月号時刻表本誌から、広義の3セクとして、JR線頁に1ページ使って全列車を掲載予定。
●10月16日(土) JR改正がらみで、乗り入れしている「りんかい線」などや、接続している私鉄各社がダイヤ改正予定。
●10月17日(日) 西鉄
※天神大牟田線の西鉄久留米〜花畑〜試験場前〜津福が、高架線に切り替えとなるため。
※花畑駅が特急・快速急行・急行列車の停車駅となります。
●10月19日(火) 東武 野田線
※東岩槻〜春日部4.3kmと、新鎌ケ谷〜鎌ケ谷1.9kmの複線化が完成するため、スピードアップと増発。
●10月19日(火) 東急 田園都市線・大井町線、メトロ 半蔵門線
※田園都市線の夜間下り(中央林間方面)の混雑緩和のため、急遽増発実施。
なお、11月以降も、11月26日(金)の京都市営地下鉄東西線の延伸や、12月1日(水)の東京モノレールの第2旅客ターミナルビル直下への延伸などなどがあり、目が離せません。
最後にクイズ。名古屋市営地下鉄名城線の「地下鉄初の環状運転」は、都営地下鉄大江戸線のごとき「6の字形の環状運転」は含めず、ぐるっと回って元に戻る形の単純な環状運転を指していますが、このような「環状運転」は、JRに2箇所、私鉄に1箇所あります。どこでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その53)■ =2004年9月18日(土)発行 <通巻84号>=
【東海道新幹線開業40周年 (その1) 】 40年前の試運転試乗記
新幹線開業間近の1964(昭和39)年8月下旬のある日、時刻表編集部員一同、試運転列車に試乗の機会を与えられた。朝早く東京駅の真新しい19番ホームへ集合。やがて入ってきたピカピカの0系電車の大きさに感激。なでさする御仁も1人ならず。1等車(現グリーン車)のドア枠は金色、ステンレス板を切り抜いた「1」の等級表示が、車体のブルーによくマッチしていた。で、そこから乗ったもののゴールドイエローの大きなシートにはビニールがかぶせられ、横目で眺めるだけで2等(普通車)の、これもビニールがかかったままの青い座席に座る。どうも一般の試乗列車ではなかったらしく、車内では何かテストもおこなわれていた。飲食は遠慮で、喫煙などもってのほか。まだ在来線では珍しい冷房が心地よい。
「スジはこだまよりちょっとかかりますよ」とのこと。車窓の視点が高く、始めは思ったより速度感がなかった。しかし風景が車窓に迫るところでは、やはりその速さはそれまでの在来線にはないものだった。圧巻だったのは、掛川付近で並走した東海道線の下り電車を並ぶまもなく追い抜いた時で、「おー!」と一同改めて高速を実感。
また、何かのテストか静岡駅西方のカーブで徐行したときには車体が大きく傾き、カントの大きさに驚いた。「食堂車の飲み物大丈夫かな」「ここで停まることはまずないでしょう」の声。地平ホームの豊橋構内では老いたSLのC50が入換えに活躍中で、新幹線が煙にまかれる一幕も。各駅のホームは最後の仕上げの最中で、もちろん売店はやっていないから空腹でも我慢、ガマン。関ヶ原越えはあっという間で、151系の特急「つばめ」でも速度が落ちた区間だけに「速いねえ!」。
13時をだいぶ回った頃京都着。折り返しまで2時間弱の休憩。まだ古いままだった駅の食堂で「ここ京都だよねえ。この時間で日帰りだからすごいよ」。と大ベテランの先輩が感に堪えないように言う。
復路は所定ダイヤだったのか、0系は快調に走った。途中でとっぷりと日が暮れたが、沿線は現在より灯火が少なく、駅付近以外はひたすら闇の中を疾走していたような気がする。ついこの間のようだが、もう40年も前のことになった。 (時刻情報編集部 赤澤 良久)
《補足》 1964(昭和39)年10月1日の開業当時のダイヤは、時刻表10月号本誌の付録16〜17ページに再録したが、これを見ると、超特急〔ひかり〕で東京〜新大阪間4時間ジャスト(名古屋・京都のみに停車)、特急〔こだま〕で5時間ジャスト(各駅に停車)であった。ちなみに、この前日までの在来線特急〔こだま〕・〔つばめ〕・〔はと〕(151系電車)は、東京〜大阪間が6時間半だったので、日帰りはできるものの、結構きつかった。1年1ケ月後の翌年1965(昭和40)年11月1日改正で、〔ひかり〕3時間10分、〔こだま〕4時間にスピードアップされる。
<用語の説明> 0系(ゼロけい)=新幹線電車の車両の形式。新幹線用電車はこの0系から始まった。 スジ=列車ダイヤのこと。 カント=カーブ区間をスムーズに通過できるよう、外側の線路を内側より少し高くするが、その数値。 地平(ちへい)ホーム=高架でない地上にあるホームをいう。東海道新幹線では豊橋駅のみ。
最後にクイズ。東海道新幹線(東京〜新大阪間)で開業時には無かった駅が5駅あります。どこでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その54)■ =2004年10月20日(水)発行 <通巻89号>=
【東海道新幹線開業40周年 (その2) 】 40年前の東京駅の表情
東海道新幹線開業の、1964(昭和39)年10月号「時刻表」の東海道本線東京口を眺めてみると、まだたくさんの優等列車が残っていたのに驚かされる。新幹線が30分間隔で26往復(うち「ひかり」は14往復)と少なく、全車指定席であったこともあろうが、昼行の特急こそ消えたものの、中~長距離の急行~準急が数多く走り、中間駅への需要の旺盛さを物語っている。むしろそれまでの「つばめ」などの特急が新幹線に置き換わっただけの感じで、当時の新幹線はまだ特別の存在だったということが言えようか。
夜行列車も大半が健在で、夜の20時台に長距離急行がきびすを接して発車するのは壮観である。中距離準急では「東海」のほか、現行の「踊り子」に引き継がれている伊豆への温泉列車が多数出ていて、現在より修善寺行が多いのが目を引く。急行「伊豆」は新幹線開業まで特急として使われていた157系電車を転用、グレードアップしたため、伊豆方面では初の急行となったもの(後に特急「あまぎ」となる)。準備のため11月からの運転となっている。
また地味な存在だが長距離普通列車も数多く顔を見せており、そのうちの名古屋行、姫路行、大阪行の3本は、EF58型の牽(ひ)く客車列車である。新幹線のかげに、古き良き時代の"汽車"も、まだ健在だった。
以下に新幹線開業後も東京駅にがんばっていた列車たちのうち、主なものを発車時刻順に列挙してみた。まだまだ東海道在来線の全盛時代が終わっていないことが感じられる。 (時刻情報編集部 赤澤 良久)
発車時刻/種別~愛称名/行 先/備 考
5:20/★長距離普通列車/名古屋
6:57/「準急」日本平/静 岡/臨時・休日運転
7:20/「準急」東海1号/名古屋
8:06/「準急」東海2号/大 垣
8:30/「急行」六 甲/大 阪
8:33/「準急」はまな1号/浜 松
8:54/「急行」第1伊豆/修善寺~伊豆急下田/11月1日から運転
9:06/「準急」東海3号/名古屋
10:00/「急行」いこま/大 阪
11:00/「急行」霧 島/鹿児島
11:30/★長距離普通列車/名古屋/客車列車
12:10/「準急」おくいず/伊豆急下田
12:20/「急行」なにわ/大 阪
12:30/「急行」雲仙~西海/長崎~佐世保
12:57/「準急」第1あまぎ/修善寺~伊豆急下田
13:15/「準急」第1いでゆ/伊東~修善寺/修善寺行は休日運転
13:25/「準急」いこい/修善寺~伊東/土曜運転
13:34/★長距離普通列車/大 垣
14:00/「急行」よ ど/大 阪
14:03/「準急」第2あまぎ/修善寺~伊豆急下田/土曜運転
14:32/「準急」はつしま/熱 海/土曜運転
14:35/「急行」高千穂/西鹿児島/日豊本線経由
14:46/「準急」第2いでゆ/修善寺~伊東
14:56/「準急」ながら/大 垣/臨時列車
15:00/★長距離普通列車/姫 路/客車列車
15:20/「急行」第2伊豆/修善寺~伊豆急下田/11月1日から運転
15:50/「準急」東海4号/大 垣
16:00/「準急」湘南日光/伊 東/日光発
16:35/「特急」さくら/長 崎
16:50/「準急」東海5号/大 垣
18:20/「特急」みずほ/熊 本
18:30/「特急」あさかぜ/博 多
18:36/「準急」はまな2号/豊 橋
19:00/「特急」はやぶさ/西鹿児島
19:05/「特急」富 士/大 分
19:50/「急行」出 雲/浜 田
20:00/「急行」那 智/紀伊勝浦
20:10/「急行」さぬき/宇 野
20:20/「急行」能 登/金 沢
20:30/「急行」安 芸/広 島/呉線経由
20:40/「急行」銀 河/神 戸
21:00/「急行」瀬 戸/宇 野
21:20/「急行」はりま/姫 路/臨時列車
21:30/「急行」明 星/大 阪
21:40/「急行」金 星/大 阪
22:00/「急行」月 光/大 阪
22:35/「急行」第2いこま/大 阪/臨時列車
22:45/「急行」大和~伊勢/湊町~和歌山市~鳥羽
23:00/「準急」東海6号/大 垣
23:30/★長距離普通列車/大 阪/客車列車
最後にクイズ。上記の50本の列車のうち、どれが一番、長距離を走っていたでしょうか?
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その55)■ =2004年11月22日(月)発行 <通巻93号>=
【東海道新幹線開業40周年 (その3) 】 40年前のビュフェのメニュー
特急といえば、食堂車があるのが当たり前だった時代――10月1日(1964(昭和39)年)開業する新幹線にも食堂車、という話が出たようですが、東京〜新大阪間〔ひかり〕4時間(1年1ケ月後の本ダイヤでは3時間10分)、〔こだま〕5時間(同4時間)ということで、軽食の「ビュフェ」に落ち着いたようです。
当時の時刻表誌面に残る、開業当時のビュフェのメニュー(抜粋)をのぞいてみましょう。
コールミートランチ/350円
洋朝食/150円
オードブル/150円
コールチキン/200円
コールビーフ/200円
コンビサラダ/150円
ハムサラダ/150円
ミックスサンド/200円
パン(バター付き)/30円
トースト(バター付き)/30円
チーズクラッカー/50円
コーヒー/50円
ハムサンド/150円
ランチA/500円
ランチB/400円
ランチC/300円
スパゲティー/200円
カレーライス/150円
スープ/100円
ライス/30円
エビフライ/250円
うなぎ/300円
ポークカツ/180円
ボックスランチ/300円
ライスが30円となっているので、今なら150〜250円くらいと考えて、物価が約5〜8倍になった勘定でしょうか。ちなみに、当時の東京→新大阪の運賃は1180円でした。現在は8510円なので、こちらは7.2倍になっています。
さて、最後にクイズ。現在、食堂車かビッフェの付いている列車を、すべて挙げてください。残念ながら、現在の新幹線にはどちらも付いておりません。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その56)■ =2004年12月20日(月)発行 <通巻97号>=
【国電百年】
私の子供時代には、列車で移動することを「汽車に乗る」と言ったが、今ではディーゼルカー(気動車)も含め「電車に乗る」という言い方が一般的となってしまっている。
1872(明治5)年、汽笛一声新橋は、もちろんSLで始まった。1895(明治28)年2月1日京都駅〜伏見間の竹田街道上に開業した京都電気鉄道(のち京都市電北野線)が電車の初めだが、道路上の併用軌道である「路面電車」で、車両も1両であった。
1889(明治22)年4月11日新宿〜立川間で開業した「甲武(こうぶ)鉄道」は、1895(明治28)年4月3日には飯田町(いいだまち。現水道橋のちょっと新宿寄りにあった。のち貨物専用駅)〜八王子間となっていた。1904(明治37)年8月21日、この内の飯田町〜新宿〜中野間が電化され、SLと併用ながら電車が走り始めた。同年12月31日には御茶ノ水まで、電車専用の新線が延長されている。弊社の最寄り駅市ケ谷にもこの電車が停まったのは、ちょっとうれしい(駅の開業は1895(明治28)年3月6日)。これが専用軌道かつ本格的な幹線鉄道としては初めての電車である。1〜2両連結で新宿までは10分間隔であった。なお、東京まで全通したのは1919(大正8)年3月1日である。
これより前の1906(明治39)年10月1日、甲武鉄道は鉄道国有法のトップを切って買収され、鉄道作業局「中央東線」となった。のち、鉄道院→鉄道省→日本国有鉄道(国鉄)と変遷したので、これに合わせ「院電(いんでん)」「省電(しょうでん)」「国電(こくでん)」と名前も変わった。このため、甲武鉄道の電車が「国電」の元祖とされる。今年8月21日に百年を迎えた。
戦前では、東京・大阪付近のごく近距離で頻繁運転するのが電車の活躍舞台であり、下駄替わりということで「ゲタ電」とも呼ばれた。中・長距離電車としては、戦後1950(昭和25)年3月1日、東京〜沼津間の電気機関車牽引の普通列車を置き換えた80系電車(通称「湘南(しょうなん)電車」)がさきがけである。当初は故障が多く「遭難電車」と陰口をたたかれもしたが、1958(昭和33)年11月1日には特急〔こだま〕がデビューするまでになった。この技術的蓄積が1964(昭和39)年10月1日の東海道新幹線として結実するのである。在来線もSLから電車または気動車に置き換える無煙化が強力に押し進められた。1987(昭和62)年4月1日国鉄からJRになる直前の3月23日、電化区間が皆無だった四国にも電車が走った。こののちもJR電化区間は増えつづけ、最近では小浜線や加古川線などのローカル線まで電化され、もうめぼしいところは残っていないかんじである。
JRになったとき、「国電」の名称も問題となった。JR東日本では「E電(いーでん)」という新しい名前を創作したが不評で、いつしか消えてしまった。どうも現在に至るも適当なコトバが無いようで、「国電」の命脈も尽きていない。『時刻表』本誌では、民営化時、巻末の山手線や京浜東北線、大阪環状線、阪和線などの「国電区間」の表記を、「東京近郊区間」「大阪近郊区間」に改めた。この「近郊区間」はわかったようではっきりしない言い方で、私などは「国電区間」のままでよかったのではと、思わないでもない。みなさんはいかがでしょうか。
さて、最後にクイズ。無煙化が完成し、SLの定期列車がなくなったのはいつだったでしょうか。
■蘊蓄(うんちく)ニュース (その57)■ =2005年1月25日(火)発行 <通巻99号>=
【さよなら 寝台特急〔あさかぜ〕〔さくら〕】
3月1日(火)のダイヤ改正を機に、東京と下関を結ぶ寝台特急「あさかぜ」と、同じく東京と長崎を結ぶ寝台特急「さくら」が廃止となります。両者とも国鉄時代からの伝統ある列車で、今回の廃止は新聞にも取り上げられ、古くからの旅行・鉄道ファンにとっても衝撃的な出来事となりました。
「あさかぜ」は1956(昭和31)年11月19日の白紙ダイヤ改正にて、東京―博多間を直通する寝台専用列車として誕生しました。当初は一般の客車だけの編成で、同時にデビューした昼行の特急「つばめ」「はと」のモスグリーンの車両から見れば地味なものでした。しかしダイヤは東京と山陽・九州を直結することに主眼を置き、初めて大阪地区を深夜に通過するという当時では考えられなかった画期的な列車でした。
1958(昭和33)年10月1日、「あさかぜ」は20系と呼ばれる専用のデラックス客車に衣替えし、ここにブルートレインの元祖としての地位が築き上げられました。当時の編成は13両で、のちには2等寝台(今のA寝台)が多くを占め、「動くホテル」というニックネームもつけられました。この列車の人気はすさまじく、なかなか寝台券が取れない列車でもありました。そのためシーズンには救済列車として同区間に「さちかぜ」という列車が増発され、これがのちの特急「さくら」となっていきます。松本清張氏の小説―点と線で、東京駅の4分間の空白でこの「あさかぜ」を